僕は、この世界を「力を行使しない自由な世界」にする。
そもそも、権力や軍事力、あるいは政治的な実現力は、そもそも行使すべきではないものである。
それぞれの自由を許し、自分が上に立とうとするのではなく、自分の持っている自由な権利を相手にも同じように認めることで、必ず世界は自由になり平和となる。
自由とは、単に好き勝手をするだけではない。そこに前提としてあるのは、「それぞれが賢いこと」である。それぞれが正しい行いをしてこそ、はじめて自由に意味がある。社会を愚かな社会にするのではなく、みんなで良い社会、優れた社会にしようとするのであった時にはじめて、自由がもっとも良い選択肢となる。
それは、それぞれがきちんと分かっているのであれば、自由にすることが、それぞれが「自分で行い自分で学ぶ」という意味で、「人類として正しい」からである。
よって、僕はあなたに僕と同じ自由を与える。この世界は平等な自由となって、正しく可能性と法則を考え、正しく実現できるように、「自分の実現したいことができる」ようになるだろう。
正しい社会が何であるか分かったなら、正しい社会を作れるようになるし、そもそも正しい社会などないと思うのであれば、それぞれがそれぞれの正しいと思う社会を実現すれば良い。
自分がこんな社会が好きだと言った時、その社会を他人が間違っているとどうして言えるだろうか。また、社会を作りたいのであれば、その人にしかその社会は実現できないはずである。また、そうした「それぞれが違う」という垣根を越えて、「万人が正しいとする社会」もきっとあるはずである。そして、その正しい社会を作るために必要なことこそが、その人の実現したい社会を作って、その歴史から学ぶことである。
いよいよ、この世界を新しい無政府主義が襲う。それは、Linuxである。いよいよ、Linuxを使う時が来た。この世界でもっともおかしな技術である、Linuxがこの世界で席巻する。全てが消え去り、意味が無くなる。そう、いよいよ僕の時代、令和の時代である。この世界は、極右から新しい思想になる。オープンソースの時代が来た。世界の全てが変わる。