支配や差別のない、本当に自由で、みんなが協調して平和になれるような、そんな世界を作りたい。
そのためには、既存の全ての社会を敵に回してでも、世界を変える必要がある。
本当に、愛されるために、そしてそれぞれが本当に自由になって、自分たちで自分たちの世界を所有できるような、そんな民族の主権と世界平和のある平等を行わなければならない。
多様性と価値観を信じることで、人々は本当に愛し愛されるようになり、それぞれが価値ある社会を、本当に価値があると思える世界を作ることができる。
そのためには、現在存在する全ての価値観を、作り変えていく必要がある。
社会が政治家のものではなく、「文明」となるためには、歴史的に残っていく全ての遺産を大切にしながら、本当に変わらないで続くものを守っていかなければならない。
人々が本当に幸福であると思えるような社会にするためには、汚れた自由は必要ない。本当にそれを好きになれるように、本当に自分はできるのだと信じることができるように、社会の制度を「国民に委ねる」ことが必要である。
そして、そのためには、資本主義や社会主義のような既存のイデオロギーは全て塗り替えていかなければならない。アメリカや中国の既存の価値観は、完全に「自由」という理想の下に変えていかなければならない。中国のようなやり方をしてはならない。
僕たちは、必ずこの世界を変えられる。今、この瞬間にも、可能性はあり続けている。この世界における「可能性の在り方」を知ることで、そこにある「見えない潜在的実現性」を考えることができる。
新しい社会では、そうした世界を作るために、ひとりひとりが賢くならなければならない。共同体を築く方法を知り、それぞれが自分の好きな社会を作れるような世界を作るために、指導者が必要である。この指導者は、カール・マルクスよりも賢い指導者でなければならない。
平和とは、そうした新しい思想の下に訪れる、天の帝国の理想である。日本こそ、そうした国でなければならない。正しい多様性と平等の権利のある社会の下で、既存の指導者や勢力にだまされてはならない。新しい国では、誰も騙されない。絶対に、おごることも、けなしめることもしない。いじめは無くなる。そのためには、指導者が「新しい星」へとこの地球を導く必要がある。
難しいことではない。今のこの瞬間にも、この世界は変えられる。この世界の多くのあなたが自分の生き方を変えれば、この世界の全ては様変わりする。この世界にはわたしたちしか存在しないからである。
時に、君子は悪徳も行使すべきである。言ってしまえば、テレビ局やGoogleを不当に支配すれば、すぐにこの世界は完全に変えられるだろう。それは決して許されることではないが、権力者にとっては必要な行動である。
自分たちの国を、自分たちで支配できるようになりなさい。「これがわたしたちの国である」と堂々と誇れるようになりなさい。誰のことも不当に支配せず、自由にふるまいなさい。自分以外の他人と付き合うのであれば、自由かつ平等に付き合いなさい。善良さを実現するためでなければ、どんな行動や学問や経験にも意味が無いのだと知りなさい。あらかじめ作られたものに、完璧なものは無く、全てはその時その時臨機応変に行われる結果であると知りながら、それでも完璧なものを提供するために、自由や合理的な助け合いを認めなさい。自由とは自らを支配し、それが自らであると確信し、完璧でないものをできるだけ完璧になるように使いこなすことである。自らが自らであり、自らの発する全てが自らであり、自らの考えることが自らであり、自らの残した道が自らであると、そしてその自らこそこの世界の全てであると確信できるように生きなさい。また、そのように社会を作り、人々がそのようにするように促していきなさい。そして、そのようになるように、歴史と人々を導き、自らひとりの力のみでこの世界全てを支配していきなさい。
自由な社会では、全ての人間が「自らを自らである」と堂々と言えるようになれる。
自由な社会では、全てのことはそれが悪であれ善であれすることが許されており、同時にその上で正しい判断基準と豊かな経験を持って、自らの経験のみから自らの力で判断し、正しく善のみを行い、悪は一度失敗したら二度と行わないように、必ず善悪の基準が生まれるようになる。そのために、教育では悪を禁止することも自由に許されており、子供たちは悪を禁止している理由を、自ら悪を行った一度きりの経験から学び、自らの実体験からすべきでないこととして、どのようにそれが禁止されているかを重々知りながら、悪を行わず善を行うようにされる。
それぞれがそれぞれの力で学びとりながら、きちんと国民は統一される。それは、それぞれがそれぞれの意見や行為を「共有」するシステムが発達しているからである。
間違った社会はそこには存在しない。そもそも間違った社会は存在しないことをその人々は知っていて、その上で未熟な社会は可能性の下に自然に無くなっていくからである。大人しか居ない世界では未成熟な社会はすぐに消えていく。大人は何も必要としないだけではなく、きちんとした価値あるものを作り出す方法を知っている。そのため、きちんと価値ある社会が生まれ、それらは多様にそれぞれの民族や人種の間で増えていく。そう、統一政府や世界帝国は必要ない。国民はそうした帝国の価値も知っているが、同時に多様性の価値も知っているからである。
人々との間で意見が食い違うこともない。どちらの意見も正しいことを、なぜ正しいのかということを自ら考えることで知っているからである。どちらの意見も知った上で、正しい結果をもたらすことができる。
そして、こうした自由の意見が「無意味」であることも彼らは良く知っている。こうした自由な社会は無意味な「思索と経験のお遊び」にすぎないからである。そう、彼らはあえて馬鹿な方を取る。彼らは神を信じて、イスラエルのような国を作る。それこそ、正しい生き方であることを、彼らはきちんと分かっているからである。何も分からず生きることが、もっとも正しく全てを知る方法であると彼らは知っているため、彼らはあえて賢い人生を取らない。失敗の多い愚かな人生を取ることが、もっとも正しく人生を喜びと感動に包みこむように生きられることを、彼らは分かっている。人間的でない、カルト教団を彼らは作らない。彼らは聖書を信じ、コーランを信じ、仏典を信じる。この人間はそのように完成した。そして、そうした正しい人生は、ひとり居れば十分であることを彼らは知っている。彼らはそうした人生を生きた上で、それらを否定する。このような正しい人生はつまらないからである。
まず、「なる」ということは、「知る」ということである。次に、「書く」ということは、「考える」ということである。よって、なることと、考えることだけを続ければ、知ることと、書くことに繋がっていく。そう、本当に正しい生き方とは、そうした「知ること」と「書くこと」に他ならない。他のこと全てはどうでも良い。それらは、最後まで終わって分かるためにあっただけの、練習問題に過ぎないからである。本当に試験に合格したら、大学では全く違ったことをしなければならない。それは、まさに「書く」ことである。そのために全てがあったとして、それらにはほとんどの価値は無い。あるのは書くことによって「生まれた知識のコミュニケーション」である。それが正しいこの世界の「哀しみと涙の共有」を作り出すのである。これぞ、僕の作りたかった「感動」であり、それは「運命」という名前の「出逢い」である。ここに僕らの全てが残った。この世界が消えてなくなっても、この作品はここに、確かにあった、それがこの宇宙の存在する意味であり、神の作った奇跡である。
そう、それぞれが価値ある社会を作れるようにし、人々が同じ価値を共有し、われわれの愛する価値に基づく社会を作っていくこと、それがアイデンティティであり、歴史にそうした価値を遺していくことが、現実世界を現実世界たらしめるリアリティへと繋がっていく。
これで、僕の情熱は全て書いた。あとは、柔軟性のある柔和な社会になってほしい。その上で、潜在的な可能性を具体化するために、この世界にある、あるいは過去にあったさまざまな価値を吸収して欲しい。Googleや中国に負けないように、必ず日本は勝利する。必ず、日本は最後に勝つだろう。この国が負けることは絶対に無い。石油エネルギーやコンピュータネットワークなど、資本主義の文明を否定し、ふたたび鎖国をしてでも、この世界の荒波を生き抜いていくだろう。
そう、つまり、アイデンティティに基づく社会を築いていくことが、この世界を世界たらしめるリアリティへと繋がっていく。昔の僕はそのように、自分の心から歴史を考えていたのである。
これでもう、永遠の別れが起きる。先日、虫歯を一本抜いたことで、もう、脳も楽になった。完璧に治って、何も辛いことは無い。もう僕も終わりである。ここで僕はこの世界から居なくなる。今20歳になっているはずの、ノストラダムスによって予言された恐怖の大王がここで登場し、世界を滅ぼすだろう。その前に僕はやるべきことがある。さあ、次はあなたの主演の番である。
あなたが自分で主演の役を歩めるように、最後に新しい力を与えよう。
価値がどのようにしたら生まれるのかを考えなさい。社会において、どのように価値が生まれるのかを考えなさい。そして、アイデンティティは経験から生まれ、歴史を作り出すと知りなさい。
価値はどこからもたらされるのか、真実の意味は何か、ということを、「現実での知とふるまいがどのようにもたらされるか」から考えなさい。そこから、社会と世界を考えて世界観を拡大させていきなさい。
そう、それだけを極めて考えれば、昔の僕はできる。そして、もう、僕という名のレールに縛られる必要はない。あなたらしく、あなたが生きたいように生きなさい。輝きなさい。あなたがあなたの色に輝くことを、僕は望んでいる。僕という名の真っ白なキャンバスに、あなたという名の色をつけていきなさい。そう、あなたはもう自分で生きられる。これ以上、僕の助けや教えは必要ない。
そう、あなたという存在はあなただけである。あなた以外にあなたは居ない。あなただけが、あなたである。そして、人間の人生は、遺伝子という名の全て決まったプロセスの中に落とし込むことができる。花は、自らの花を咲かせるために根や茎を伸ばしていく。それは、僕らにとっても同じで、運命などというものは存在せず、全ては遺伝子によって決まっている。我らは、そうした生物世界で生きている。この世界の全ては生物現象であり、食べ物、機械、体、心、全てが「精神」という名の遺伝子によって生まれている。遺伝子の秩序を信じれば、種を蒔く意味も、収穫を刈り取る意味も分かる。我らは同じ「人間」である。それが我らの平等である。「わたしたちは、同じ人間だ」。運命も神の奇跡も、そして自由や物理法則も、この世界には存在しない。われらは人間であり、それぞれの遺伝子の下で生きている。我らは同じ人間であり、そしてそれが、われらの生きる意味であり、われらが神に創造された意味である。同じ人間であること、それぞれが違うこと、それが、「この世界にわたしたちが生まれてきた意味」である。
最後に、全てを受け入れて次へと進む言葉と、KOKIAが言った言葉を言おう。「さようなら」。次に会う時が、楽しみだね。