新・日記2に戻る | 2019年8月の日記に戻る

=2019-08-21=

一度、死にもの狂いで生きる決意をしなさい。今日、食べるものだけを持って出て、新しい場所で生きることを決意し、集まりなさい。

そして、どのように生きれば生きられるか、本気で考えなさい。

その決意をしたら、それ以上は、元の場所に戻って、今までと同じ生活をしなさい。

一度、死にもの狂いで生きる決意をした人間は、同じ環境でも、違った決意で生きることができる。死にもの狂いで生きられる。死にもの狂いで生きようとしなければ、死にもの狂いでは生きられない。

一度全てを失い、今までと同じ人生を生きることを諦めた人間は、勇敢なる覚悟を持って、新しい人生を生きることができる。

引き篭もりになるということは、普通の人生を諦め、死にもの狂いで生きるということに近い。全てを失う覚悟をした人間は、何も失っても怖くない力を得ることができる。自立して、自分の力で生きることを決意し、諦めること、その「覚悟」があれば、どんな戦いも、失敗も、地獄も、苦しみも怖くない。自らの力だけで、過酷な人生を生きられる。

キリスト教では、「人生を棄てなさい」と教えるが、必要なのは、人生を棄てることではなく、「成功者としての人生を棄てなさい」ということである。自ら失敗する覚悟を持てば、「その方が真の意味で成功できる」のである。

最近、Perlの勉強をはじめた。Perlをやっていると、「プログラミングの基本」が良く分かる。Perlに一度触った経験があるだけで、Perlでプログラミングすることはこういうことなのだ、ということが分かる。それが、プログラミングの習得の助けになる。

僕は妊娠した。僕は、脳神経の運動を変えれば良い、ということが分かった。脳神経がおかしいせいで虫になっている。これも、足の精神と同様に、上手く力を抜くことで治すことができる。ここで、新しい虫から進化した生命が誕生するだろう。

僕のようになりたいのであれば、死にもの狂いで生きなさい。自由を開拓したら、全てを支配しなさい。

なぜか、猫になった。猫が優れている。僕は、このままで黒猫になる。

人間は、完全に脳が死んで治ると、猫になる。

僕は、昔を思い出して、アニメではないものを作れば脳が治る。

何があったか、良く思い出した方が良い。

インターネットは要らない。インターネットには、オタクとゲームしかない。

もっと思い出せば良い。ものづくりのようなものがたくさんあった。戦いも多かった。みんなと一緒に遊ぶのが楽しかった。

そういうものを、普通に思い出せば、この脳は治る。全部二次元になっている。

良く考えると、むしろ、猫ぐらいしかなかった。昔の自分には、何もない。猫ぐらいしかない。

あとは、良く考えると、家族が多かった。家族と旅行に行ったぐらいの思い出しかない。ネットには何もない。自分の家にも何もない。そういうものには何も無かった。

何があったのか、良く分からない。学校は覚えていない。

良く考えると、むしろ漫画が多かった。普通の、良い漫画が多かった。あとは、無かったような気がする。

何があったのか分からない。昔の自分に何かがあったのか分からない。良く考えると、色んな「作った想像力」があったが、その想像力は多くが狂っている。そういう理由で、想像力がかけらも無くなった。

そういう想像力を正常に治せば、狂った二次元は治る。想像力をもっと、別のものから作れば良い。それで、エロいのが治る。

そもそも、想像力は数学である。言葉と数学から想像力は身に付く。よって、数学をやるのが怖いのは、想像力が怖いからである。想像力を豊かにすれば、数学もできるようになる。

要するに、現実のものを見ながら、自分で絵を描いたりして想像力を付ければ良い。そうすると、きちんと想像力がつく。