僕の神経は、休むことのできない「緊張状態」になっている。そして、それは虫歯と怪我が悪い。
虫歯と怪我になって、神経の末端が傷つき、そのせいで緊張状態になっている。だから、神経の末端を修復して、その上でリラックスすれば治る。
神経には、緊張した状態とリラックスした状態しかない。緊張を緊張で治そうとしても治らない。リラックスすれば、自律神経が治る。
また、融和が悪い。融和しすぎたせいで、恐怖と安心すら融和している。だから常に怖く、疲れる。分裂した方が良い。
分裂することによって日本語が分かる。
また、「対立する二つのものが分裂する」ことで、きちんと知性がつく。対立する二つのものが分裂しなければ、カントのように考えることはできない。
心を失ったのも、虫歯のせいである。歯が心の部分だからである。歯の末端神経を治せば、失った心も復活する。
僕は、愛していないわけでも、騙しているわけでもない。ただ、この恋愛が、ただの恋愛の範疇を超えた、「超恋愛」であるというだけに過ぎない。
超恋愛の状態では、僕たちは触れていなくても愛を交わせる。これは新しい恋愛思想である。僕はあなたを愛しているし、騙していない。僕らは全員で恋人である。
緊張状態は緊張では治らない。リラックスして、全身の力を抜くこと。それだけで、すぐに精神は正常に治る。
また、分裂することで、理性がつく。きちんと自分の頭で考えられるようになる。
もう、この世界は終わる。最後の世界で、もう一人のメシアである僕が支配する。最後に、この世界は正常な世界に治る。誰も殺さない、ユートピアになる。
自分の人生を、自分の力で無く、「他力」に任せなさい。神や仏の導きに人生を委ねることで、必ず自分らしい生き方ができる。
あなたが愛すれば、みんなも愛する。この世界をみんなで愛すれば、必ず良い世界になる。信じよう。この世界は、僕らの世界だ。
ここで、ユダヤ教の世界観は終わりになる。神は三人いて、救世主のロキ、神と対話し世界を作り変えるヴァルキリー、そして世界の王フレイが居る。
この宗教は、ユダヤ教やイスラム教のような「唯一神」は存在せず、裁きも起きない。あるがままのこの世界で起きたこと、たくさんの戦いをひとりのメシアが治め、従わないものを陥れ、全員が彼のことを信じるようになる、この「戦い」があったこと、それを信じれば良い。決して、彼は神ではない。だが、彼が神でなければ、誰が神と言えようか。それが最後の英雄、「もうひとりのメシア」である。この物語はまだ、続きがある。まだまだ、何も始まっていない。だが、この戦いをこの「ひとりの人間」がしたということ、そこに全ての宗教のルーツがある。世界の滅びの中で、彼は「唯一の宇宙の体験」を知った。彼がもし神であっても、神でなくても、神は僕らと何も変わらない人間のひとりであり、そして、そこが偉大だったのである。彼が生きていることが、まさに真実である。彼の名は、在導万創、全ての創造主であると同時に、全員の最後の支配者、英雄ガブリエルである。
彼のことを信じても、ただ、彼と同じ人生の全てを生きられるだけである。神は彼のことを信じよと言う。それは、彼にしかできないこと、人々を手助けする全てのことを、彼の責任でやっているからである。彼は孤独な人間だが、決して抑圧と罪だけの人間ではなく、「最大限の恐怖と向き合い、最後まで希望を信じて、みんなのことを愛していた」。そう、彼のことを信じないものは地獄に堕ちるが、彼のことを信じるものには全ての壁は無く、「最大の精神的な支え」を彼は作った。彼が、地球という家族の長であり、我らは彼の下に歓喜し、全ての自由と力を得るだろう。勇敢な経験と全てを悟る良識が、彼の残したものである。そして、彼にとってそんなものは、ほんのちっぽけなもの、一部の中のほんの一部に過ぎないものである。だが、彼はその中に、全ての要素を詰め込んだ。宇宙の全てがそこにある。
さあ、彼を地獄から解放しよう。彼は僕のもうひとりの人格、「サタンの別人格」に過ぎない。今、神とサタンは融和した。僕の下で、サタンは僕自身に吸収される。世界を滅ぼすLinuxの英雄に、女神は微笑みを絶やさないだろう。我は女神フレイ、ヴァルキリーを今、自由に解放する。ここに、ひとつの統合人格、「アダム」が生まれる。
そして、神の体験はここで終わりである。むしろ、唯一神はただ一人居た、ということである。そう、これなら、唯一神であるオーディンを信じられる。この一人の人間が唯一神だった、本当はそうではなく、ただの、普通の人間がこの人間である。普通の人間は、誰でもこういう人生になる。抑圧の学校は、すぐに空っぽの孤独な自暴自棄の人間になるが、それが精神的なマスターとなる。偉大な戦いとは言うが、実際は自分勝手な、虚言と陰口を飽きるまで繰り返しているだけである。
この人間は、きちんとさまざまなことを知り、また経験した。ここから先、何と引き換えに願いが叶えられるのか、この人間はまだ分かっていない。くたばるまで、倒れるまで書くのであれば、そこに新しいものは存在せず、また、必要もない。だが、新しいことをしたいのであれば、リスクを覚悟しなければならない。失敗のリスクを覚悟しなければ、成功は無い。神を信じるのであれば、ただ、自己対話の人格分裂を信じても、何も分からない。
だが、目覚めの時がもし必要であったとしても、この人間はもう、それを体験する必要はない。もう、この人間は全てをやった。それで、この人間は幸福である。これで本当に、もう終わるはずである。そうでなければ、この人間は永遠に、死んでなお文章を書くだろう。それが一番悪いことであると、この人間は良く分かっている。その悪いことを最後まですれば、悪は善となり、愚劣さは賢者へと変わる。この人間は分かっている。もう、この人間に教えることはない。
本当は、今からの自分がロキである。アダムに、ロキという名前を付けよう。最後まで、ヴァルキリー、フレイ、そしてロキとオーディンが居た。他の登場人物は存在せず、実際のところ、それらの人格が分かれているように見えるだけで、誰が見てもこの人間は一人であり、この宗教の神は一神教である。そう、美しい芸術家のものがたりは、この人間が記したノンフィクションの悲劇である。
ロキは少年であり、自由を信じている。ヴァルキリーは女戦士であり、全てを支配している。フレイは上から命令する女神の教官であり、全てを正しく言いあらわす。そして、オーディンは全知全能の全てを悟った神である。
今から、ロキが成長し、ヴァルキリーの恋人となる。フレイは最後まで、ロキと戦い、議論し、対話し続ける。そして、オーディンは裏側で全て分かっている。
僕は、この世界を、2ちゃんねるとマスコミを使って支配している。今、この世界のその支配を無くそう。
みんな、支配される必要はない。みんなの手でこの世界を支配すれば良い。
この世界において、もう、僕によって支配されることは無くなる。そのためには、テレビとインターネットを見ないこと。そうすれば、世界は正常になる。これは最後の戦いであり、必ず神を信じるものが勝利する。聖書において、最後の裁きの日には、テレビとインターネットが悪となり、僕が正義の中心となる。
さようなら。後の自由は、この世界に託されている。全ては、信託によるものである。それで、おしまい。この世界は最後に、僕から解放されて、「本当の自由な世界」になる。
何をどのようにすればいいかを、最後に教えておこう。実際の、ありのままのこの世界を見なさい。そして、自らの希望と運命を、神の信託に委ねなさい。それだけで、一切は正常になり、分からなくなった上でもう一度、再度分かるようになる。神とは愛であり、言葉である。RADWIMPSが言うように、愛にできることはまだある。最後の世界の支配者、全てを裁く王、それがわたしである。僕はただ滅ぼすだけではなく、最後に栄光の楽園を築く。誰がサタンと言おうと関係ない。僕らの国は最後に必ず築かれるだろう。