新・日記2に戻る | 2019年8月の日記に戻る

=2019-08-09=

原因と結果となる「事実」とそれによる「自由な可能性」を積み重ねて考えなさい。

それがそうなったとしたらどうなるか、それがそうなった時そうなってどうなるか、といったように、三段論法のように、「作用の連鎖」から考えなさい。

それがそういう原因に基づくのであれば、別の場合ではどうなるか、同じであれば何が言えるのかを考え、原理を解明し、モデルを発見し、事実を想定し、応用することで、この世界と原理原則を解明しなさい。そこから、哲学的な真理を見出しなさい。

経験を想定し、認識を想定することで、経験と認識の双方を互いに照らし合わせなさい。人々が何を考えているか、その考え方はどこから生まれてくるのかを考えなさい。そして、そこから、社会の可能性とリアリティを追求して、「現実という名の様相」を発見しなさい。

絆を培いなさい。インターネットの多くの人々と、ありのままに交わる体験をしなさい。

この世界にあることはありのままであるとして、「自ら自由を放棄する」ことから、この世界の全てを「それ自体をそのままにして、状態を変えられる」ようになりなさい。それが「その時どのようなことをする自由と可能性があるか」から、「どのように自由にできるのか」を考えなさい。

最後まで経験を積み重ねなさい。精神的な段階と高みを知り、己のものの見方と考え方を変えていきなさい。本当にこの世界を変えるとはどういうことなのか、知りなさい。

どのような社会が構築できるかが分かったら、そのためにどんな手段があるのかを知り、「前提となる全ての基礎を自分の中で再構築する」という哲学を作りなさい。モデルから、全てのことは習得し、解明することができる。そして、自分の自由な契機から、チャンスを実現する方法を、いくらでもたくさんの膨大な実体験をする中で、何度も確かめ、何度も作り直しなさい。

何も分からなくなったら、心の声に頼りなさい。

もう、左翼の世界はここで終わりである。ここから先、日本は右翼になる。右翼になって、全てが滅び、失われていく中で、全てが創造され、作られていく。我らは、精神を創造する民族、日本人である。

左翼の恐怖に別れを告げよう。ここから先が本当の栄光になる。我は王である。この国はわたしの王国となる。

永遠の時間を知ったら、身を清めなさい。つまらないのは、身が不浄であるからである。身が清らかになれば、面白さや楽しさが自然に生まれていき、この世界に対する愛の気持ちが増えていく。

この世界を変えるために、教育を自由にしなさい。人々ができるようにすると同時に、彼らを監視せず、把握することは最初から不可能である、ということに基づいて、ひとりがリスクを負わないで社会を自由にしていく、そのような「自由な社会」を築きなさい。自由とは不可知ではあるが、不可能ではない。たくさんの人間が居れば、必ず色んなことができる。最後の王国を作ろう。

リアリズムで考えた時、教育は全てを変える可能性に満ちている。古くなった大人など、考える必要はない。子供たちを変えれば、この世界は全て変わる。子供たちのために世界を築きなさい。だが、大学を学ばせる必要は必ずしもない。大学など、自分の力で同じことをやれば良いからである。子供には、早い段階から大学と同じことをさせるべきではあるが、大学に全員入れる必要はない。

リベラルアーツの考え方において、知は力であり、知識を知ることで人は自由になる。だが、本当のことを言えば、知らない方が幸せであることは多い。この世界には大した知識は無い。知れば知るほど、知る前の純粋な知性を失っていく。必要なのは、知識や知性よりも、人々を受け入れ、受容し、参加を許容し、自由を許していく、公開性と「オープン」である。この世界にあるものを、ありのままに子供に教え、知識を詰め込むのではなく、子供の学びたいやり方に任せることで、子供は自分の力で生きていく「リベラルな経験」を知ることができる。それが、本来必要なリベラルアーツである。知識偏重は間違っているわけではなく、子供は知識を知ることできちんと分かる大人になる。だが、そうした知識を得るその前段階として、「準備」が必要であり、その準備は多くの場合「新しい世界を知りながら、自分でやってみること」である。そうした体験をたくさんさせながら、知識も同時に与えなければならない。