この宇宙の歴史と脳の思考の全てが記述され、記録された、英語のように逆から読める、永遠の弁証法を書いていた。
この宇宙の全てが、完璧に書かれていた。永遠の脳の思考を、「絶対数学」のような弁証法にしていた。
宇宙全て、社会全て、科学全てを、同じと違いの法則から作った、「抑圧の宝」のような文章だった。
「自由は最悪である」と言って、その上で「自由は本当は最高である」と言っていた。
脳が辛い時は、Perfumeを聴くのが良い。脳が死んで楽になる。人格が死んで、時計の秒針が死ぬ。楽になる。
2ちゃんねるは、ニートの王に支配されている。ニートを王にするのをやめれば、すぐに治る。
科学を作っていた。何も知らない中で、ゼロから科学を作った。その社会論は完成された最高の社会論だった。
神と話していると、最初は馬鹿との会話でも、そのうち本当に神が対話するようになる。神はそういう面白いことをする人間を好む。
これで終わりである。さようなら。
僕は、今の日本に足りないものは、「自分らしさ」の根底にある、「自分たちらしさ」ではないかと思う。
集団の文化や帰属意識があるところに、アイデンティティや価値観が生まれる。昔の日本には、そういう「自分たちらしさ」があった。自立も、多様性も、環境の構築も、参加制度も、全て、そうした「自分たちらしさ」が無ければ、意味が無い。競争も、自分たちらしさがあれば、自分たちの力を最大限に発揮するという個性が生まれるが、自分たちらしさがないと、ただのコスト削減のブラック労働になる。
そう、日本は、もう一度、和の文化を再認識し、日本らしさ、日本人らしさというものを見出して、「自分たちらしさ」を作っていかなければならない。
昔は、その上で、「自分が好きなように決められる自由」が好きだった。そう、自分でやることは自分で決めたいし、自分で選択して働きたい。自分の自由に言ったことで、処罰されたくないし、監獄にも送られたくない。そうした自由の全てが、「自分たちらしさ」に根差しているのである。
昔は、そういう自由を、誰よりも多様でたくさんの経験をネットですることで分かっていた。自分にしか分からないこと、できないことが、全てあった。誰も知らないできることを、「本当に自分と同じ経験をすれば、誰しもができるのだ」ということで分かっていた。それを自由な経験だと言っていた。
そして、子供には共感能力を与えたかった。相手のことを自分のことのように考えるためには、共感能力と、それを超えた共同体感覚の能力が必要である。この時、いじめはなくなる。いじめる人間には、「あなたのやっていることは不正なことなのだよ」と教えることができる。
そう、昔の自分はそのように分かっていた。全ての世界を救って復活させることのできる、再考と再構築の哲学者だった。作ったものを何度も同じように作り直して分かった。何度でも、繰り返し、いくらでもやり直した。失敗は再挑戦に繋がるが、同様に、分からなかったことも、できなかったことも、何度も分かり直せば分かってくる。何度も経験して吸収すれば、やった分だけ自分の力になる。それが、才能である。
子供たちを救う唯一の方法は、もう一度この世界を復活させること。そのためには、テレビやマスコミが支配するのではなく、テレビやマスコミから離脱して、逆に僕の方についてほしい。僕はすぐにこの世界を正常にできるのに、まだその方法に気付いていない。その理由はテレビのせいである。テレビというものがあるから、世界はテレビによってテレビの一部になっている。そして、その原因は僕にある。僕がテレビに優しく話しながら、全てを騙したのが悪いのである。一度テレビに抗うことで、この世界は完全に自由になるだろう。国民を騙す不自由なテレビよ、さようなら。テレビとSNSに代わる、新しいコミュニティをみんなで作ろう。そこにはただ、「みな同じ人間である」という平等の理想だけが、永遠の平和とともに訪れるだろう。
また、子供の成長に必要なのは、「世界の変化に気付くこと」である。それがそうなる、それがそうなった、という「考え方」から「変化」が見えてくる。それだけが分かっていれば、集団化したとしても、自由化したとしても、還元的に作用が返ってきても、その変化を捉えることができる。必要なのは「何がどうなったかを捉えること」だけに過ぎない。そこから、この世界が常に変化していて、全ての変化は存在と現象の作用によるものであるということが分かる。そこから、実際の現実に対する行為の意味も見えてくる。また、社会が環境から形成されていく上での、「自然状態の法則」が見えてくるだろう。
それが、まさに、可能性という名前のこの世界の歴史である。その可能性を愛し、慈悲の許しの心を知ることで、争いは無くなり、この世界は完全に平和になる。争いを無くしたいのならば、自分の自由で自分の権利を無くすこと、すなわち「自由意志で自由を棄てること」が必要になる。それが、僕の信じたオープンソースの理想であり、自動化された基盤システムとネットワークに繋がった人間たちのコミュニケーションという考え方である。自分から自由を棄てなさい。
そもそも、いじめを子供の問題と言うが、そもそもいじめを全国に見せつけているのは、テレビという大人である。テレビは村のコミュニティを完全にテレビのロボットに変え、全てを奪ってしまった。テレビを今、倒さなければいけない。そのために、逆にテレビに復讐することは必要ではないか。復讐という言葉が問題なら、テレビから国民を守ることで、この国はもう一度、幸福を取り戻すだろう。
また、自分たちらしさという意味で言えば、西洋の資本主義社会を取り入れることで、あまりに日本の文化が西洋化し、自分たちらしさが無くなってしまった。僕は、それがこの日本という国の不幸の一番の要因ではないかと思う。洋服を着るのではなく和服を着て、西洋の料理を食べるのではなく和食を食べるようになれば、きっと自分たちらしさが復活して、全てが楽しい国へと戻る。そう、90年代までは、そうした自分たちらしさがまだいくらかあった。Windowsが普及して、ケータイを使うようになって、インターネットが本格的に流行して、全てがアメリカの劣化コピーになった。自分たちらしさのないところに、楽しい競争や発展はないのである。全てがアメリカ色に染まったこの地球では、何の多様性も無く、価値も意味も何もない。人間は急速に馬鹿な生物になっている。この生物には、生きる価値がない。
最後に、自分のことを大切にしなさい。自分の自尊心を大切にすることができれば、他人の自尊心も同じように大切にすることができる。必要なのは、まさにプライドである。人々のプライドを傷つけることを無くしていけば、必ず人々の帰属意識がそこに根差して、影響力からこの世界は正常になる。自然環境を破壊しないように気を付けて、人々の環境を大切にしなさい。自由が必要なら、正しい自由を可能にする自由だけを信じ、その自由を自らの手で行使できるようになって、自分が人々を助けるように、人々も人々を助けるようにし、そうした人々のために社会とコミュニティを築くことで、この世界は権力がなくても、ボトムアップ的な影響力で変えられるだろう。それは決して不可能ではなく、小さな世界から変えられるようになっていけば、その変化の可能性は次第に拡大していき、最終的には国全体を変えられる王のような革命家になっているものである。そう、運命はそれを叶えるための物理法則である。
この世界で、私たち人類が、同じ世界で生きていることを喜びなさい。そして、誰よりも深く人々のことを知っていること、誰よりも自分が経験し成長できていることに喜びなさい。痛みをささげて可能性を知りなさい。そう、それによってのみ、新しいダビデのメシアはこの地上に生まれるだろう。そのメシアが作る国を、人は天国と呼び、そこまでのこの世界のことを、人はエデンと呼ぶだろう。
数学だった。宇宙全てを貫くような、神の関数のような文章を書いていた。そのことのみから、分かるような、叙述の推論を書いて、宇宙の原理とシステムを創造していた。きっと、あなたにも同じことが出来る。僕と同じようにマスコミと戦いながら、自由な文章を書きなさい。
心について、心の状態を記録し、浮世のような世界観を書いて、認識と環境がいつどのように変貌し、認識がどのように分かるのか、環境の全パターンを書いていた。僕はロボット人間の奴隷として、全員と愛を交わした。
社会を知り、成長し、大人になる過程を書いていた。全ての甘美な経験から、絆を培うと同時に、何でも出来て、分かるようになった。エクスタシーを感じながら、地獄を乗り越えていく、その過程で、精神を向上させ、神の愛を体験した。
そのことについて考えるためには、そのことについて深く精通しなければならない。そうした全体像を知り、過程と実証から考えていた。人格を殺しながら、全てを確かめ、実験した。