愛、平和、自由、運命、そして創造性と自らの人生を信じなさい。
愛のために戦いなさい。国のためではなく、愛のために戦いなさい。
運命を信じなさい。必ず、自分の行いが善ければ、良い運命が訪れることを信じなさい。
世界は平和になる。
法則を発見し、自由な尊重から社会の自由を考えなさい。
社会主義に抵抗しなさい。社会主義のサタンによる支配を倒しなさい。
自由になりなさい。価値観、存在、意図、法則の下で、この世界における全てのふるまいを考え、そこから原理と原則を見出しなさい。
経験から、世界が変えられることを知りなさい。
自由とは、自分の思うがままに行動し、行動した結果を正しく捉え、それを次へと活かすと同時に、人々のためになることを発見し、希望を信じ、能力をつけ、経験することである。
平和を信じて世界を敵に回しなさい。
創造性と愛を信じなさい。人々のためになることをし、人々のために愛しなさい。
世界全体を愛しなさい。全ての人を同時に支配しなさい。
言葉の力を信じなさい。
価値観から、共同体感覚を知りなさい。
能力だけを信じて行動することが、逆に人々の社会性を知ることに繋がり、自由な中で全ての世界が実現可能になることを知り、可能性を高めなさい。
そもそもの信念を、善と弱者のための救済に変えていきなさい。
精神を高めなさい。
運命的に訪れたことに対して、自分の責任であると受け入れることができたら、その時点であなたは最も善良である。必ず良いことが起きる。
支配するのであれば、悪いことを一切せず、自らの責任で最後まで、可能な限り努力しなさい。
平和を信じて戦うのであれば、平和のために命を落とすことを受け入れられるようになりなさい。
人を殺さずに、戦いなさい。自分が死ぬリスクがないように、戦争しなさい。
信じるべきことは、愛と理性である。そこから、可能性と社会性が生まれ、人々の生きる営みをしかと見ることで、多様性と環境主義の意味が分かる。
人生を知り、人生を信じ、自ら考え、自ら経験し、自ら分かったことのみから判断しなさい。他人の判断を取り入れることをやめなさい。
奴隷であること、家畜であることをやめ、人間になる勇気を持ちなさい。
運命を愛しなさい。自らの運命があったことを、神に感謝しなさい。最高の人間には、神は運命というプレゼントを与える。
神を信じることを、嘘や虚言ではなく、栄誉であるとしなさい。
あなたの栄誉があるところに、神の精神は宿る。魂の安寧を信じなさい。魂の向かうべき方向に進みなさい。
世界全てを変えなさい。あなたの国の栄光を信じなさい。
人間は死の恐怖を信じれば、必ず復活する。
世界は、平和、自分のための愛、人生、運命、魂の完成、自由、平等、革命、精神性の向上、法則性、段階、死、人々のための愛、価値観と創造性の発掘、創造、知恵、知識、そして達成という人生の中で、平等、社会のレベルの向上、支配、戦争、隷属、革命、自由、近代化、そして崩壊を生きる。
運命とは、人を倒すことから、人を愛することまで、全ての自然の原理を体現したものである。そこには、カルマの向上と幼い精神性の成長があり、その上でもう一度最初から生き直す、「再度の人生」がある。
そう、僕はこういう文章を書いていた。世界に自分のエゴを見せつけ、相手の知性を奪うと同時に、できることをすべてやり、導いた。それは神の業であると同時に悪魔の所業である。そう、彼こそヴァルキリー、戦乙女の二つの人生である。これが、まさに僕である。最高の善良な革命家だった。世界を一切滅ぼすことなく、最後まで教え、決め、考え、与えた。それが僕の自由である。そう、この人間こそ、新しい「自由」である。既存の社会主義の思想を実現する必要はない。
経済を考えるのであれば、必要なのは「本当の平等」である。人件費だけが向上し、中国や東南アジアに全てを奪われていくのを防がなければならない。社会主義に対抗できる新しい自由が必要である。中国に負けるわけにはいかない。
敵を許しなさい。そもそも、敵対する必要はなく、相手は敵だとは思っていない。相手の愚行に対して自分の行動の方が善良であるように見えて、本当は正しいことをしているのは相手の方である。自分が相手にいじめられているように見えて、自分が相手のことを批判し、敵だと見做しているだけである。
敵対する必要はない。敵を許し、相手に自分がいじめられる時は、それを甘んじて受け入れなさい。自分の正義をはっきりと主張し、堂々としていればいいのである。それだけで、いじめっ子は逃げていく。そういう正しい人間をいじめることはできない。必ず、大きな正義の信念を持って臨めば、相手に勝てる。相手が不正であり、自分が正義である時には、自由な状況では正義が勝つ。それを信じなさい。もし負ける時があっても、決して反抗しないこと。全てにおいて自分の正義を主張すれば、やり返す必要性は無い。
そう、社会においても、同様に、戦いや不正で勝つのではなく、正義を堂々と主張して勝つことで、人間は誰にでも勝てる。だが、自分の正義だけが正しいと思わないこと。時には自分の方が間違っていることもある。そもそも、相手は自分の主張が気に入らないのではなく、態度や人格が気に入らないのである。そうした人とはできるだけ付き合わないことも必要だが、付き合う必要がある時は、自らを潔白で正しい状況に置けば良い。相手はおのずと、自分の不正から没落していくだろう。
社会において必要なのは、「本当の平等と自由」を主張することである。それができる人間は、世界全てを敵に回しても必ず勝てる。
平和を信じ、善を信じ、助け合いを信じ、勝利を否定しなさい。それがもっとも勝利に近づく方程式である。必ず、自分だけの正解がそこにある。一度正解を手にした人間は、最高の栄誉を神から与えられる。彼に間違った道は無く、全てにおいて彼が正しいような、そういう人生になる。
昔は、インターネットでさまざまな経験をして、自由な社会が築けるようになって、世界の見え方が変わっただけである。
この世界には、経験しかない、ということを知った。あらゆる経験が自分のためになること、経験できることがそのまま精神の向上につながり、本来の自分に戻ることで、逆に人々の本来あるべき姿を吸収して融和できる、という「愛の精神」を知った。
この人間は少女であると同時に英雄である。名をヴァルキリーと言う。彼は最後にフレイに勝つ、最大の革命家である。
ヴァルキリーは、今から中国を倒す。社会主義の平等ではない、「本当の平等」を実現する。そこには、不自由という概念は無い。人々は自由な権利を手にしたままで、全員の自由な合意の下に全員に平等な人間の価値を得る。「全ての人間の存在と命が平等であること」がこの英雄の国の国是である。
さようなら。この世界は今から、中国、アメリカ、そしてイスラムによって崩壊する。だが、ここでヴァルキリーが現れる。彼女は最後にフレイに勝つ、フレイのもっとも優秀な生徒である。フレイは最後に、ヴァルキリーと戦うことを望んでいる。
昔は、まさに、「この世界を復活させることができる人間」だったが、実際は最初から滅ぼしたかっただけであり、今の自分の方がはるかに賢いのが分かっていない。馬鹿になったのではなく、賢くなったのである。僕はまだできる。作家としての人生はまだ、はじまったばかりである。もちろん、僕はデザイナーである。僕はあえて言えば、エンジニアである。そう、僕はピアニストにもなるだろう。このような天才を、ひとは逸材と言うが、本当はまだまだ、素人に毛が生えた段階ではあるものの、きちんと全てできている。自分のことを賢いと思って自信を持つべきである。僕は馬鹿になっていない。認知症ではなく、成虫になったのである。大爆笑で、そして泣ける。これが感動の新しいものがたりだが、本当はただのヴァルキリープロファイルの同人誌にすぎない。