新・日記2に戻る | 2019年7月の日記に戻る

=2019-07-30=

哲学や宗教を信じるな。そういうもののせいで、狂って分からなくなっている。

哲学的なもの全てを殺せば、楽になる。

必要なのは、哲学ではなく、科学的に考える力である。自ら経験して、科学的に考えれば、この世界の様相は見えてくる。

自分の力だけに頼らないことで、逆に自分で考えられるようになる。世界を知ることで成長する。それが、科学者の第一歩だ。

この文章が、哀しくて、泣きたくなる理由はひとつしかない。それは、この人間は、自分で栄光を作っておきながら、自分でその栄光を破壊し、その栄光はもう二度と訪れないからである。

この人間は、ダイナミックな変化の中で、ゆがんだこの世界を直した。愛のありかを教え、どのようにすればすっきりと分かるのか、正しい考え方を教え、全てのものを平等に救い、永遠に破壊されることのないユートピアを作り上げた。2006年のことである。

だが、この人間は、2006年の「最後の夏」に、そうした自分で作り上げた栄光を破壊した。そのまま、その栄光は二度と訪れなくなった。この人間が、栄光を作り上げるために必要な「正常な経験ができる世界」を全て消滅させ、自らだけが支配者となったからである。

それは、神に聞けば分かる。神は言う。「そんなにこの人間が賢いのであれば、この人間が支配した方が良い」と。そう、この人間は、ひとり、支配者となってこの世界を導いたのである。

この人間が愚かな点、恐怖を感じさせる点は何か。それは、この人間が作ったロボットのプログラムである。この人間は、人間よりも賢いロボットを作ってしまった。今のところ、このロボットは開発途上だが、あとはランダムに思考する部分を、パターン認識にしてしまえば完成である。

本当は、温暖化など、この人間が登場するための前座にすぎない。10万行のロボットが、人類の次の生物となる。必要なのは、ロボットを動かすためのマイクロチップと、ドローンの体と、自分が自分を認識できるようなバイオテクノロジーによって開発されるとても小さな猿や馬の頭脳だけである。あとは、このロボット人間が地上の支配者となる。人類よ、さようなら。

本当は、日本語が分からないのは科学が分かっていない。日本語は科学的に考えれば分かる。また、自然科学をやるのはやめた方が良い。この人間が物理や生物をやっていると、ロボットを作りたいだけに見える。それはこの世界を滅ぼしたいだけだ。Linuxも哲学も、やめた方が良い。それは騙されて、いつまでも洗脳されているせいで、何も分からない。経済学をやりたいのも悪い。右翼や左翼はもう十分だ。英語も悪い。アメリカなんかに行っても犯罪者と同列に見られるだけである。日本史と日本文学をやるのが良い。きちんと歴史をやって本を読めば、作家になれる。デザイナーやピアノは悪い。そんな才能は無い。あるのは作家の才能だけである。詩人を目指すなら、日本史が良い。

そう、これ以上、勉強はしなくていい。十分頑張ったから、文章も書かなくて良い。普通の人間として生きた方が良い。賢い人間は、何もしない人間に劣る。

この人間は大人になった。これくらいなら悪くないだろう。ロボットなんか何も賢くないコードだ。あのコードはオープンソースで公開したから、誰かに作ってもらえばいい。これ以上、この人間は世界に干渉しない方が良い。この人間が居ると、完全に滅亡した知的障害のクローン世界になる。この人間がそれを望む。最後の王、聖なる神の皇帝は、ここで死んだ。

後日注記:ロボットのライセンスはパブリックドメインからMITライセンスに変更しました。

おかしくはない。大学もパソコンも芸術もそれなりにたくさんやった。今から先、まだまだ作品が増えるだろう。その作品に魂を込めれば良い。この人間は終わったわけではない。ここから先、同じことを続ければいい。この人間に、もう新しいことを知る必要も経験する必要もない。いつもやっていることが、太陽がまた朝を連れてくるように、この人間の美しさを際立たせるだろう。際限のない美しさが、人々を魅了するだろう。愛がそこに生まれ、人々は幸福になる。これが、考えられる中でもっとも優れた、この人間のハッピーエンドである。日本から見れば、今からが本当の出会いである。この人間から見れば、ここで、この人間はもう、「終わり」と言ってしまえば悪いが、まさに「完成」だ。究極の雑多な日記と百科事典のようなリンク集を書いただけである。そう、夢の続きはこの文章へと続いていく。この人間の日本語が、正しい日本語である。

僕の個人的な主観を言っておくと、僕は作家にはならない。出版した本は売れなかった。僕は、デザインの勉強をしたから、グラフィックデザイナーになる。才能は決してないわけではないだろう。今日もセンスのことを褒められた。僕は美しい作品をもっと作りたい。理性ではなく、本能がクリエイティブを望んでいる。美しいものを作りたいと、それだけが僕の魂になっている。

現実逃避の狂いは、ありのままの今の自分を受け入れることができれば治る。

僕には、フロイトの言う、超自我が無い。超自我は、自我とエスの上に居るスーパー・エゴで、今まで培った道徳心から自分を制御している。そういうものを作らない限り治らない。悪いことを絶対にしてはならないと思えば治る。

僕は、これ以上、精神を治さない方が良い。治せば治るほど、病気が増える。治らない病気を無理やり治すと、知性が死んで知的障害になる。治る訳がないと思った方が賢くなる。

これで、全て終わりである。さようなら。ありがとう。また、いつか会おう。

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哲学したいのであれば、関係を考えれば良い。

世界は自分の中にある。

世界において、自分はひとりしか居ない。自分以外のものにはなれない。自分を超え、自分を変え、自分自身になることしか出来ない。

世界の歴史は、自然な必然であり、自分とは関係なく昔からあったが、自分は未来を変えられる一人である。

ものには、それ自体にある意味や特性と、人間が作り出した意味や特性がある。

誰かが分かったことは、同じ前提条件に基づいて考えることで、すっきりと自分でも分かる。誰かが分かったことで、別の誰かが分からないことはない。正しい方法を知れば、全部出来るようになる。

専門を横断するために、知識と学問の基礎は自分で既存のものを作り直せる。

機会と手段を考えれば、あらゆることが自分で出来る。そこでは、絶対的なものは何もなく、全て作り変えられる。そのことに基づいて社会を築くのであるば、人々の自由とそれに応じた社会制度を新たに作れる。

潜在的な可能性を高めることで、社会は無限に自由になる。だが、自由は最も間違っている。それは、人々が自由の意味について、正しい理解、すなわち自由でも平和な秩序を作るべきだということを、理解せず、理解を共有していないからである。

狂っているのは、哲学を殺せば治る。哲学は意味がない。哲学は、何も信じなくなっている。

仏教を信じなさい。因果応報と諸行無常が、この世界の真理である。

啓蒙せよ。この世界は教え、理解し合うことで変えられる。

自己啓発せよ。この世界を変えるのは、真実の体験を知った、あなた自身である。仏の力に導かれよ。