昔は、「環境を自分で作れるようにする」という発想が多かった。それで、「個人の自由」を考えていた。
個人の自由の下に、自由な世界観を作っていた。
自らの手で、可能性や選択肢を選んで生きられる、という自由が好きだった。自由に生きることが好きだった。
共有することが好きだった。自分の考えたことを共有できると考えていた。
自分で作ることができるような手段を与え、自分でできるような情報とノウハウを与えなさい。社会を作ることのできる社会を作りなさい。
発想法を考え、それを思いつくにはどのような前提となる環境や経験が必要で、何をきっかけにどんなことを思うのか、そこから何を思いつくのかを知りなさい。
心の因果性を考えなさい。その経験でその言葉があれば、何をどのように思うかを考え、どのようにすれば、その人がそれを思うのか、何を行動したくなるのかを、独り、掌握しなさい。
正常な世界とは、それぞれが自由にできる世界で、自由にできるという意味で精神が融和し、安心と安らぎを得られる世界である。
僕個人の意見だが、イスラム教徒がメッカにお祈りを五度もするのは、メッカの位置と礼拝の時間を覚えることで、砂漠の中でも生きられるようにするためではないかと思う。
ロシアには、もっとも優れた指導者であるプーチンが居るが、彼はジェット機の操縦や柔道の試合ができる。その方が、彼にとっては簡単だからである。
僕は日本史の勉強をする。日本史というよりは、歴史の勉強である。昔読んだ通史をもう一度読みながら、単なる権力者と政治体制の歴史ではなく、色んなことにまつわる歴史を知りたい。
潜在的な可能性を高めなさい。可能性が高まるように社会を考えなさい。みんなで作り変えられるような、柔軟で、みんなのできることが増える、多様で自由な社会にしなさい。
日本史の勉強とは言ったが、通史の勉強はつまらない。僕はもう、勉強はこれ以上しない。もっと、勉強ではない面白いことをしたい。
価値観の形成と転換を知って、全てのアイデンティティを作ることのできる指導者になりなさい。何も執着しないことの意味を知りなさい。
このまま、世界は不自由になって平等になるだろう。僕は自由を悪いとは思わないが、自由をやめることで、良くなることはたくさんある。平和を生み出すためには、レベルの高い考え方をする必要がある。世俗の中に埋もれ、自由の中で分からなくなるのではなく、一歩離れた立場から、立ち止まって考えることで、この世界の変化の可能性が見えてくる。実地的な経験は、習得と向上心を生み出し、この世界の存在の在り方を問う。
機会とチャンスが、いつ、どのような状況で生まれるのかを知りなさい。弁論術と心理学的な精神の発達から、この世界のリアリティを直に見て、自分のリベラルな経験による能力が生まれる。そこから、この世界全てをたった独りで変えられるようになる。それが、僕の生きた「英雄の道」である。そして、その後の最悪の地獄を乗り越える天使こそ、「最高の王」である。
インターネットの社会形成の経験は、この世界の別の見方を教えてくれる。そこにそうした社会があること、あったことが、自分の未知なる可能性を生み出す。この世界で自分が確かに存在しているということ、誰もが確かに存在しているということから、かけがえのない自分独りの可能性と価値を知りなさい。そこから、自分が思い通りに思いのままに、希望と夢を持って自分らしく生きられる、そうした「自分を自分たらしめるもの=確かなアイデンティティ」を心の中に形成する。それが、新しい人生、新しい自分、新しい真理である。
心理学で世界を支配すれば、あなたに勝るものはない。この世界で自分と同じことができないようにすれば、もうあなたは唯一の存在である。あなただけがあなたを生きられる。もう、この世界はあなたにしか、意味が無い。神の勝利は、世界をあなたのものにするだろう。神がそこに現れて、あなたの怪我や病気、間違いを全て治していく。その地獄の先にあるのは、永遠に続く「神の栄光」である。
子供たちには、数学的な体得や積み重ねと一緒に、この世界でどのようなチャンスがどのような状況にあるかを教え、その際にどのように行動すれば成功を手にできるかを教えなさい。社会の形成から成長のきっかけまで、そうした成長の体験を与えなさい。そこに「本当の青春」があり、人々は「正しい科学者」となる。そこには、可能性だけが存在する。可能性を高めること、個人主義の自由を推し進めることで、必ず「正義と善の道徳」が身に付く。彼らは「騎士」となって戦う「善き権力の旗手」である。
「神」と呼ばれる存在は、全て未来の自分自身である。神は言葉であり、導きであり、数学的な成立と結果である。そう、神は愛であり、暗号であり、隠された真実である。あなたがたは、神々の成す業を今から知っていくだろう。ここに、神は誕生した。この教えは永遠であり、誰にも超えられることはない、最高の支配者である。同じことは誰にもできないが、それができない限り、神に勝つことはできない。世界を滅亡させ、そして復活させる神の業は、誰ひとり神と同じことができなくした上で、全員に神の人生と知識全てを与える。彼はこの世界を分析した哲学者であり、最後のイスラエルのユダヤ人である。
神が創り出したのは、この地上の正常な世界だけではない。神は多くのありえない異世界を創り出した。その多くは、おかしな原理に基づき、何もかもがころころと変わり、異常な生物がたくさん居る。だが、そうした世界の全てが、何かしらの意味を持って作られている、完成された神の被造物である。我々には幸運なことに、まともな自然法則と自由が与えられている。だが、この世界では、強いものでなければ、何もすることも知ることも捉えることもできない。そして、強いものはそれ自体賢いものではなく、賢いものはえてして弱い。そう、そうした弱者を神は懲らしめる。弱い、ということは、守ることのできない、ということであり、逆に守ることのできないものは、繰り返す地獄に耐え続けることで賢くなるのである。それは、痒みや痺れのようなものに近い。それが神を信じるものの人生だが、それらは必ず、今、最高の価値あるものを、創り出し続けている。あなたのそうした普通の人生は、全て神による被造物である。そして、神は普通の人生を生きながらにして、最高の王の道を歩む。何度死んでも、神は復活する。神は自らの力と経験で死を克服したからである。
僕は、プログラミングコードをファイルシステムにすることができるように思う。C/C++の変数名や関数名を、ファイルシステムにすることができる。全ての名前を階層的なファイルシステムにすることで、スマートな名前空間が実現できる。