新・日記2に戻る | 2019年7月の日記に戻る

=2019-07-26=

昔の自分は、文章で宇宙を創造していた。宇宙、歴史、社会、人生、生物、そして哲学の全てを、文章で書いていた。

自分の分かったことだけで、全てが分かった。それは、考えながら経験し、さまざまな人生を経て全ての概念を作り出した、「気づきの人間」だった。

全ての意識から、創造したものは数知れない。おかしな遺伝子を作って、この世界を支配し、正しい自由な社会へと導いた。

本当に神のような人間だった。そういう自分が好きだ。

宇宙の創造であると同時に、歴史の創造であり、人生の創造であり、記憶の創造だった。因果性から原理を作り、段階的に発展する環境の自由学を作った。この世界で人生を生きるものが、自由な中で何を知り何を自然に考えるようになるかを書きながら、宇宙人のような精神世界の歴史を書いていた。それはまさに、「自由な人生学」だった。

昔の自分は、このダイナミックな世界で、戦い、食らいつき、かじりついて分かっただけである。ネットを見ながら、誰も見ていないところで経験を重ね、自分の見たものから自然に考え、経験する中で人を救えるようになり、それが存分にこの世界で活動し、自分の人生に満足した上で世界を変えられる「築く力」を分かっただけである。そこから、子供たちがどのような社会を築くべきか、ということが分かった。

本当は、ここまで作家のように文章を書くのは難しい。僕は最近、スヌーピーのトレースをやっているが、パスもきちんと綺麗に引けるようになった。あとは、まさにもう一度「自由」を考えるべきである。自分のキャンバスにどんな絵を描くか、という自由が必要である。必要なのは自由だけであり、他のものは何一つ必要ではない。パソコンのシステムを理解したいなら、C++の勉強をすべきだ。