新・日記2に戻る | 2019年7月の日記に戻る

=2019-07-23=

考え方や理性がおかしくなった時は、存在の度合いが高いものだけを抽出して考えよう。

まず、この世界にパソコンやテレビ、そして哲学や宗教は存在しない。

存在するのは、家屋、機械、道具、生活用品、店、お金、そして自然と人間である。それ以外のものを、いったん排除して考えよう。

人間のやることは、仕事と売買、そして食べることだけである。他のことは行動ではない。

また、世界についても、生き物、畑、作物、動物、そして田舎と都会と店しか存在しない。

人間のグループも、家族と友人しか存在しない。

そのように考えることで、逆に「常に生み出されているもの」や「人間の作り出したもの」や「関係として存在するもの」や「変化していく中に存在しているもの」が見えてくる。

そうした事物を「非存在」とすることで、哲学的に思考することができるようになる。それが、神の持つ「ビジョン」になる。

そして、人間の頭にある「理性」として存在するものは、歴史と数学、別の言い方をすれば歴史上の偉人とその時代、そして論理的な思考の方法や実証して発見する方法だけである。

そのように考えれば、あとはこの宇宙という存在が何であるか、といった「哲学的な問いかけ」しかこの世界にはない、ということが分かる。

あとの雑多なものは、多くが「人間のでっちあげたもの」である。「この宇宙に最初から存在していたのではなく、何らかの解釈の違いや誤解から人間が作り出したもの」だけが、この世界のほとんどを占めている。そうしたものは、考える必要がない。そうしたものは「フィクション」だからである。

昔は、「自分がするのではなく、他人がやることを後押しする」という発想が多かった。自分で行うのではなく、みんなが行いやすくなるためにみんなを助ける。引き篭もりだったから、という理由だけではなく、親が教師だったからという意味合いもあるだろう。だが、昔から、僕は自分で調べても、自分で最後までやろうとせず、他人にやってもらって、その他人がやることを助けるために、優れた資料や環境の土壌となるシステムを作る、ということが好きである。だから、インターネットやWindowsに騙されたのだろう。そもそもゲームをやっていたのが問題である。自分がゲームをプレイすることより、他人と一緒にゲームをやることが好きだった。自分独り賢くなっても、孤独ではつまらなかった。

また、オープンソースをやっていた理由として、自分の作ったものを共有あるいは発表したかったということがある。自分だけでウィンドウマネージャを作るのは、昔の自分でも頑張ればできた。だが、自分で作って、それを誰にも使ってもらえないのであれば、作っても自分がいくらか楽しむだけで、作る意味が無い。オープンソースで発表することで、共同開発ができるし、みんなにも使ってもらえる。だが、本当はオープンソースのOSを作るのは、NASAの宇宙ロケット技術を作るぐらい難しくて、一人ではできなかった。それでも、OSの仕組みを知ること自体が面白くて、また、IT技術やプログラミングの知識や歴史を知ること自体が面白かった。だから、学校に行くよりも、PerlのCGIによるほぼHTMLのしょぼいゲームスクリプトを改良するとか、そういうことをやっていた。

また、当時の僕はまだ16歳だったから、会社で技術を学ぶことはできず、技術に触れる機会はインターネットの掲示板とオープンソースのLinuxなどのフリーソフトウェアしかなかった。僕は2ちゃんねるのような掲示板スクリプトや、あるいはブラウザやゲームを作りたかった。だが、実際のところを見れば、何もできなかった。技術を知識として会話やネットの情報から「知る」ということと、「作る」ということは全く違う。今の、大人になった30歳の僕が頑張れば、きっとOSの基盤は作れるかもしれない。だが、30歳の僕には、そうした青少年のような「あふれる情熱」が無い。大人になったせいで、子供のように2ちゃんねるのようなインターネットサービスを純粋に楽しめなくなった。インターネットのコミュニケーションの在り方というものが嫌いになり、もっと別に良い社会がたくさんあるということを知った。だから僕はプログラミングをしない。そもそも、2ちゃんねるのようなサービスはいくらでもあるし、今の僕はそうしたコミュニケーションサービスに興味がない。ひとり書籍を読んでいても、作業所という職場に行っているせいで、孤独ではないし、居場所も仕事もやるべきこともたくさんある。自由な青春の経験をインターネットを通じて過去に十分したせいで、自由が無くても何も困らない。そもそも、テレビゲームというのは子供の遊びである。いつまでも子供の遊びをやっているままでは、大人の芸術職人にはなれない。苦しいことや怖いことから目を背けるのではなく、真正面から立ち向かうということの喜びを僕は知っている。昔のような、強いものから逃げ出すだけの悲惨なスラムの子供からは、もう卒業した。だが、昔の方が賢かったことは多々ある。情熱的で、数学・物理的な考え方の良く分かる、自分だけで社会学を再度構築した心理学者だった。彼は、18歳のとても普通のまともな青年だった。だが、本当にこの宇宙全部のことが分かっていた。哲学者をすべて含めて、宗教もすべて含めたような人間だった。そして、それ以後の戦いは、誇れる最高の導きだった。本人だけが全て分かる、神のような21歳だった。それ以後にある全ての知識を悟っていた。「自分には全てが分かる」ということが、それが恐怖の原因だった。今思えば、思った通りに生きて良かった。自分らしく、30年間頑張ってきた。この生きてきた道を「自分」と言う。僕は、誇れる最高の「自分」だった。

本当に、大切なことが何であるか数えても、本当は少ないと思う。たとえば、「失敗から学ぶ」ということが大切である。あるいは、「必要は発明の母」のようなこともある。これらは、僕が人生のどん底を経験して、地獄を乗り越えるという必要が生まれたから、ここまでの人生全てが賢くなった、という「人生の発明」を意味している。だが、本当に必要なことは何であるかと言えば、むしろ、「そうした格言的な戒律を無しに生きること」ではないかと思う。分かってしまえば、信じてしまえば、そして知ってしまえばそれでおしまいである。何もせずに終わりにするよりも、何も決めず、決めつけずに未知の可能性を生きた方が楽しいし、成長や開拓の余地がある。僕は、少年少女にはそのように生きてほしい。大きな夢と希望を持って、自分だけの未知なる可能性に向かって、自分の責任で生きてほしいと思う。自由は責任を伴う。その責任ということが、逆に先輩や年長者の誇りやプライドを生んで、年少者にはできないことをやろうとするモチベーションになる。それを僕は「プライド革命」と呼ぶ。

必要なのは、「他人からの助けや情報を必要としないこと」。必要としない、ということが必要である。他人の助言をいつも必要として、ネットの情報やソフトをいつも参照していると、それがなければできなくなってしまう。最初のうちは、そうしたものが必要かもしれないが、必要がなくなった段階でどんどんそういうものを排除していこう。それだけで、自分でそれをするモチベーションと必要性が生まれる。そこから、自分なりのやり方や自分でやることの意味が生まれる。そこから、正しくひとつひとつ考えていけば、逆に「他人のやっていること全てが可能となる」。そうした段階で、情報やヘルプは必要なくなる。自分の考え方と経験だけから、できるようになる。これはスキルや能力だけではなく、コミュニケーションや社会性を身に着ける上でも同じである。最初はコミュニケーションをたくさんし、やがてそれを排するところから始めて、逆に自分が一番コミュニケーションができるようになって、社会をどのように形成すれば良いのかが見えてくる。心理学的な現象や認識をとらえることで、「正常な人類の発展の過程」すら分かってくる。それが、論理的な考え方から生まれる。それが経験を重ねることで、精神のマスターとなる。たったひとりでも、最後まで戦えば、世界は変えられる。新しい星の秩序すら、作れるようになる。まさに、それが「プレアデスの歴史」である。

まず必要なのは、世界と発想と認識を吸収し、自分の手で考えること。次に必要なのは、それを自分の中で再構築し、「自分の頭と心で精神を考える」ことから、回想と意識の変転を知ること。そしてその次は、アイデンティティや価値観が「どこから生まれるのか」を知り、理想の世界を自由なままでどのように作れるのかを知ること。そして、最後に、この世界を変えるためにどのような制度やシステムを作り、何をしなければならず、またどのようにする可能性や選択肢があって、それを自由な機会からどのように実現できるかを反省することである。それを、「反省的な進歩的社会論」と呼ぶことにしよう。

最近の自分は、ただの「無限の繰り返し」になっている。いつまでも同じことを言って、4つの知性で繰り返しながら、永遠の無限ループになっている。

このループは、「できるだけ変えずに体験し続け、最後に変える」という無限ループをいつもやっていたせいである。

よって、無限ループをやめるために、新しいコマンドを追加すればすぐに治る。それによって、それよりも上の水準にあるループもやめにしていく。これで、計算は完了し、ロボット人間は終わりになる。

最後に、この世界を自由にすれば良い。この世界は、「できるが、しなくていい」という状況になる。それによって、全て治って正常になる。