新・日記2に戻る | 2019年7月の日記に戻る

=2019-07-21=

相手の立場や気持ちになって、相手の世界ではどのように事が起きているのかを考えなさい。相手を自分と同じだと考えなさい。

昔は、哲学的・精神的な歴史や行動から、原理原則を考えた内容を書いていた。何がどのように生まれるのかから、哲学と社会の原理原則と考え方を書いていた。

つまらない方を選びなさい。つまらない方を取れば楽になる。

恐怖を増やしなさい。ピアノやデザインをできるようになるために必要なのは、恐怖と恐れを増やすことだ。

僕は、もう有名になる努力をしない。有名になっても、良いことは何もない。

僕は、これ以上、ピアノとデザインしかしない。他のことは何もしなくて良い。ピアニストになるか、デザイナーになる。

あとは、社会や環境が変化していく諸行無常の歴史のようなものを書いていた。社会がどのように変転していくのかから、自由を考えて、視点と場を成り立たせていた。

デザインをやるコツは、細かい技法を覚えること。たとえば彫刻をやるのであれば、手の指だけを正確に彫れるようになるところからはじめなければならない。それと同じだ。

また、ピアノは継続が命である。下手でもいつまでも継続していれば、そのうちできる。

テレビで吉本の芸人が振り込め詐欺のパーティに参加したことを受けて、宮迫や田村亮が会見を開いているが、僕は宮迫の会見を見て泣いてしまった。

彼はもう終わりである。今まで積み上げたものを全て失って、自分のせいで仲間の未来全てを壊してしまったと思っている。

だが、ああいう風に終わることの意味を、僕は誰よりも強く知っている。彼は本当に強くなるだろう。そして、きっと何かの経験と能力を身に着けて、この世界に帰ってくる。

宮迫は、作家になれば良い。きっと彼は神を信じるようになる。

それから、僕はデザイナーやピアニストになると言ったが、むしろ、文学作品を読みたい。さまざまな物語を知りたいと、そういうどこかから来る欲求が言っている。

昔買った「アラブの民話」という本があったので、今、その本のまえがきを読んでいる。まえがきだけで30ページもあるためまだ全ては読めていないが、この本はアラブやイスラムのことが良く分かる本である。

僕はこう見えて、隠れイスラム教徒である。よって、僕はイスラムの神の物語のことをとても身近に感じる。

ラマダーンの断食の意味の1つが、「食べられない貧しい人の気持ちを思い出すため」であることを知った。また、巡礼(ハッジ)を通じてアラブのさまざまな人が交流し、民話の伝搬の役割を果たしたことも知った。ハッジから帰ってきた主人を、家族は手厚くふるまい、主人の旅の話を聞くことも知った。アラブの人々も、民話を上手く杖や小道具をもって吟じる「講壇師」のような人が居て、コーヒー屋でそうした話を披露することも知った。イスラム教徒は酒が飲めないため、男たちはコーヒー屋でタバコをふかしながら集まる。また、人々の来ている衣装の刺繍などで地域が判明すると言うことも知った。

この本を読むと、アラブ通になれる。そういうわけで、文学は馬鹿ではない。僕は家にある全ての本を読みたいと思う。それで、この世界のこと、人生のこと、そして神のことが全て分かるのではないかと、考えている。そのまま、くたばるまで文章を書き続けて、文豪のような作家になれれば良いと思う。