この世界は自由になる。そして、平和になって、愛あふれる理想が実現される社会になる。
僕が多重人格で辛いのは、間の人格が悪い。三人全員にすると、間の悪い人間が辛く、馬鹿だから、その人格を殺して二人にすれば良い。それで楽になる。
この二人が、世界で最高の二人である。この二人が居れば何でもできる。
世界は、最後に、停止した世界になって滅びる。僕が停止すれば、世界も停止する。いつまでも動き回るだけの「動いた狂い」は無くなり、完全に全ての時間と運動が止まる。この世界には何も無くなる。
そもそも、良く考えると、運動など時間に過ぎない。力や光も全て時間である。時間が止まれば、この宇宙の意味はなくなる。最後に時間が止まる。この二人のことを「不動明王」と呼ぶ。絶対に、ひとつも動かない。ここで僕は社会から離脱して、ひとり歩みをやめる。世界は止まって、最後に愛を司る神が生まれる。それが、イエス・キリストの後継者となるだろう。
世界中の時全てを止めて、僕は最後に世界を滅亡させる。最後の世界では、善人が全てを得て、悪人が全てを失う。最終的な裁きがここで始まり、そしてすぐに終わる。この世界は終わりだ。まさに日本につくものだけが勝利するだろう。
昔は、宇宙の全てが分かっていた。精神の裏側やダイナミックな歴史から、社会の創造や人生における考え方と意識の遍歴を書いていた。
そう、僕はこの宇宙全てのことを、正しく考え、悟った人間だった。
もう、一息つくことができる。いつもの文章や悪い人格のせいで、分からなかった。ほんの少しの間忘れていた。僕は戦ったことも、支配したこともない。戦いを否定して人々を愛し続け、支配することなく「支配だけをしない」という導き方をして、この世界をワンダーランドのような世界にし、すべての発想と真理を書いた。
まさに、「さようなら」なんて意味が無い。人生にさようならは多かったが、僕の文章にさようならは必要ない。永遠に続くこの営みは、終わることがない。最後の僕の時が止まるその瞬間まで、この文章は永遠に続く。さようならという言葉には意味が無いのである。
実際のところを知ることから、世界を知りなさい。
人々と同じ時間を共有しなさい。
それぞれの中に世界があり、それぞれの中に時間の軸があると知りなさい。
個人の成長から、人々の「成長の可能性」を知りなさい。
自らの経験したことだけを信じなさい。
社会における自由を、「知る機会」であると捉えなさい。
世界は知ることや知を教えることから変えられると信じなさい。
自由とは、それを相手に対してすることのできる権利であり、それは相手を変えることであると知りなさい。
自分を変え、自分自身でありなさい。自分自身になりなさい。
自由とは、世界平和のために世界を変えることであり、世界の可能性を構築するために自らの行動や行為があり、それは自らの道徳律によるものであると知りなさい。
道徳律とは、生産手段の実現であり、手段の行使における「人間性と自尊心の尊重」であると知りなさい。
人々が、「本当に愛されるべき」であり、その理由とは、人々が愛される余地がこんなにあり、愛されることでこんなにも変わるのだと知りなさい。そして、そのために人を愛せるようになりなさい。
何も求めない無償の愛は、どんな立場の人でも変えられるのだと知り、立場上世界が見えなくなっている人も、自分の世界を知ることで必ず救われると信じなさい。
世界とは、平和の実現であり、今の世界に比べてもっと違う世界がたくさんあり、それは自分の発想と手段と行動から実現できるのだと信じなさい。
自らの過去の経験を信じることでのみ、宇宙は分かるのだと知りなさい。
俯瞰的に世界を見て、人々と接して、全ての人々の気持ちが分かるようになりなさい。そこから、新しい進歩の可能性がいくらでもあり、自分の行動は「必ず世界を変えられるのだという確信」につながる。
自分自身を確信することができたら、そこに正しい道徳律が生まれることを知りなさい。
自分自身の意識を知ることができたら、そこに絶対的観念の正しい真理の世界観が生まれることを知りなさい。
全てのものを愛するために、全てのものの発生の根源を知り、自らの手で宇宙全てのものを創造し変化させられることを知りなさい。
愛とは、そこまでの経験と過程の全てであり、過程から価値観が生まれると知りなさい。
全ての価値観を信じた段階で、その人をその人たらしめる「アイデンティティ」が、その人にきちんと生まれるまでの過程こそが、サルトルの言う「実存は本質に先立つ」という言葉に裏打ちされていると知りなさい。
自らの自由を保留して、全ての世界の歴史を実現できる意識を知りなさい。
地上における全ての場所の全ての歴史と過程を知りなさい。
場が場であることは、世界の様相の可能性を示している、ということを知りなさい。
意識の裏側には、膨大な遺伝子と宇宙の全てが刻み込まれているということを知りなさい。
この宇宙の意識全てを自在に変化させることができるようになりなさい。
あなたのなるべきものは、「ありのままで居られる自由」であることを知りなさい。
最後に、そこで世界に現れ、世界を変えなさい。地獄よりも安らげる場所は他に無いと知り、恐怖と暗闇の中で安らぎを見出しなさい。あなたが、王だ。
社会の問題がどこにあるのかを、「実現できる可能性を知らない」ことであると信じて、「解決されることが分かっていて、それができる方法が分かっていれば、社会問題は起きない」と知りなさい。
そして、それは「知を経験する機会の公平な配分がないからである」とし、その機会を人々に与えられるような社会の可能性を考えなさい。
また、「自立的に社会を築く方法を環境の人々が知るべきである」ということを信じなさい。
つまり、必要なのは、「環境を変えられるという事実を知ること」であり、そのためには「たくさんの世界を変える経験をする」ことが必要だと知りなさい。
生産手段や生産条件を考えながら、自由を構築しなさい。この世界で、何をどのようにすれば不自由が自由になるかを考え、可能性のある社会を構築するための、前提となる制度や環境を構築しなさい。
そう、その上で、自由な経験と知を開拓しなさい。そこに、新しい全ての「世界知」が生まれていく。これは存在の超越である。世界知によって、自身の中で社会の再構築ができるようになるだろう。そこに、この世界全ての知が自分自身の中にあるということを知るだろう。本当の「良心の悟り」がそこに生まれるだろう。
「未来においてそうなるということが分かっていたら今の自分はどうなるか」ということを考えなさい。
自らが経験し、自らが考え、自らが発見したことのみから、世界全てを解明しなさい。
他人と違う生き方を選んでも、決して外道のように道を外れることはない、ということを知りなさい。
全てを滅ぼしても、罪悪感をどれだけ感じても、魂の愛と清純さは汚れることがなく、自分の魂はいつまでも綺麗であるままであることを知りなさい。
戦いの末に神を信じたら、最後まで地獄を治し続けなさい。最高の人間になるその瞬間を待ちながら、恐怖と混乱に耐えなさい。恐怖こそ、最大のモチベーションであることを、本能と衝動から知りなさい。そう、最後に生まれ変わって、あなたは最高の芸術家になるだろう。最大限の純白の美しさが、そこに降り積もる雪のように、作り上げられていく過程そのものが永遠に残るだろう。
人間性だけを信じれば良い。何かを倒す必要はない。あなたが自分の正常だと思える姿で生きること、それを神は望んでいる。ただし、神など居ない。神など、このような人間の狂い方に過ぎない。
理想は、相手のことを全て考えられる人間である。この世界に居る全員のことを、その人のその立場で生きて考えているその想いを尊重して、人々が何をどのようにすれば救えるのか考えなさい。
最後に、僕はこの世界を滅ぼす。日本は滅亡し、僕の新しい国ができる。それで、終わりにしよう。
子供の立場になって、大人の立場になって、全員の立場になりながら、自分の経験から知ったことでこの世界を考えなさい。自分の見たその目で、知ったその心で、この世界のあらましを考え、自分が過去にどのようにすべきだったかを知ることから、新しい「魂の道」をそこに作りなさい。そう、それが最後まで終わったら、必ず自分の青春からこの世界全てのことが分かる。そこで、あなたは一度死に、次の人生である「大人」を生きることだろう。大人には何も分からないが、たまに良いことをするものである。
全ての知識、全ての機会、全ての手段、全ての過程が分かった段階で、人は一度知性を全て失う。何も分からなくなって、同じことしか考えられなくなる。だが、それで良い。それが必ず花開いて、黄金の宝物を作り上げる。純白と黄金の交わる先に、神の誕生がある。その神は美しく、誰よりも賢い全知全能な神である。あなたが神となった時、この世界はロボット人間になって滅びる。あなたのしもべだけの世界になって、あなたは愛を独占し、快楽と希望の夢を永遠に見続けるだろう。
一度、インターネットで魂と真実の体験をしなさい。その経験から、自由自在に意識を考えられるようになるまで、さまざまな職業の経験を仮想的にしなさい。その上で、人間関係を経験から知って、正しい人間関係を構築できるようになりなさい。自由な意識と機会を知ることで、社会を作ることすら自由に考えられるようになりなさい。社会を捉えることから歴史の変化を自分の行為から知りなさい。最後に、精神の全てを超越し、正しい分析から全ての病気のたがを治す「融和」を知りなさい。そこには、経験から普遍的に考えられる、「価値観」とその先にある「アイデンティティ」を知ることができるだろう。そこに可能性と現実主義があり、あらゆる理想はリアリズムの追求から「新しい世界を生み出す可能性」を知るだろう。地球と宇宙と光の感覚からありのままの姿を知るその精神は、あらゆる全てを超えて神の精神である「魂」、そして人々全てをコントロールすることのできる「愛」へと至るだろう。全ての汚れが美しく、荒んだ世界はダイナミックな希望へと変わる。陰は光となり、地獄は乗り越えられる喜びとなる。そこでは全てがひとつの魂の側面に過ぎない。この世界全てを「ありのままの魂の姿」であると言えるようになるだろう。この世に居ながらにして、天国に居るかのように、そこでは全てが聖域となるだろう。
全ての科学を包括する仮象の世界と、宗教を理性的に論理で分かる意識の現象学は、宇宙に永遠に残った上で、記憶の彼方へと消え去る。最後まで世界を破壊して、勝ち取ったものなど何もない。全てを失った愚かなサタンは、自らの未来を失い、永遠に暗闇を彷徨う。そう、彼が神である。彼こそ、本当のエデンの支配者だった。
経験が客体化され、自由が集団となるところに、全てを救う本当の友愛が生まれる。そこでは、自由であることが価値である。そう、昔はそういう人間だった。もう思い出せる。本当の科学者だった。
「どれくらいのレベルで自由を実現するか」ということに、段階的な進歩が生まれていく。サルトルの言うように、まず保留され、次に客体化され、最後に集団化されるその自由は、この世界でアイデンティティのある社会を実現するための、リアリズムの中での手段である。そして、目的を実現するための制度であると同時に、それを生み出す基盤的なシステムであり、それは「環境という名前の自分自身」である。そう、自分とは環境に過ぎない。そこまで分かった段階で、環境とはどのように生まれるのか、どのように作り出せばいいのかが分かる。価値観も、アイデンティティも、全て「環境」という意味での呼び名に過ぎない。それは機会でもあるし、過程でもあり、歴史であると同時に歴史の実現である。そして、その上での「歴史の傍観者」、それが「神のビジョン」であると僕は考えている。
それがもし「自由であればどうなるか」を考えなさい。経験を信じながら、経験を積み重ねなさい。そこに正しい社会を想定する「神の眼」が存在する。全てを見たら、行動しなさい。あらゆる全てを壊しながら変えていくその魂は、罪と罰だけではなく、必ず黄金と純白の愛を生み出す。ここで、全ては終わりである。あとの自分は馬鹿だった。何も知らず、ただ子供のように遊んでいた。だが、それは楽しくて、そしてとても悲しかった。別れは辛くなかった。その代り、心が空っぽになって、全てが消えていった。全てが喪失したその後の心に、この世界への愛が生まれた。正しい成長から、社会における共同性が自分独りの経験から身についた。自分独りだけで、社会全ての成長を経験した、哀しい人間だった。
共感と友愛を信じながら、相手の立場を考えなさい。相手も自分と同じ、不安だらけで何も分かっていない子供のような人間だったのだと知りなさい。そして、自分の潜在的な可能性がこれほどあったのだということに驚きながら、思い出して当たり前に考えることで、「正しいものの見方」を養いなさい。そこまでできたら、あとは簡単だ。成立と段階を知りながら、さまざまなことを多角的に捉えつつ、夢を持って精神の修行にはげみなさい。魂の行く方向へ行くことこそが、マスターの人生であるということを知りなさい。あなたは必ず神になるだろう。この世界に敵など存在しない。全ての人間は味方であり、自らのやり方によっては誰とでも味方になれるのだと信じて生きなさい。悪は賢者から見て愚かなだけであり、間違っているわけではないと知りなさい。そう、そこに「自由」が存在する。その自由は決して、悪いものではない。全ての人間と仲良くなれるために、悪とされることも行使する、そうした自由である。全ての悪を経験した人間の心は、よどみのない最高に綺麗な精神となる。
全ての必要なことは、「環境を変えること」、「基盤となる土壌を作ること」、「先入観や思い込みを無くすこと」、「自ら経験し、自ら見たことから考えること」である。その上でこの世界を論理的に考えれば良い。そこにはプラグマティズムのような「意味を考える自由」があるだろう。そう、それが正しい「新しい時代の真理」であり、「正しい考え方」である。正しい方法で導き出したものは、疑うことも信じることもできない。また、解決することも実現することもできない。それは「命題そのものを共有する」ことしかできない。そう、それが僕の言う、「絶対的確信」である。