新・日記2に戻る | 2019年6月の日記に戻る

=2019-06-27=

昔は、「自由に支配する」という発想が多かった。支配そのものは大嫌いだったが、その代わり、影響力を行使したり、社会を「築く」ようなそれぞれの場所での自分の自由が好きだった。

最近、平等な人間になった。支配者は国民に平等であるべきである。誰か一部のものを優遇せず、国民を平等に扱わなければならない。

行う前には、良く考えなければならない。昔は、それだけを著しく賢くしただけである。行う前に、思考し、経験し、世界を良く知ること。事前にきちんと思考に先立つ経験をすることで、思弁哲学者になれる。全ての世界を、それなりに、自分の中で「再構築」しながら分かることで、価値観やアイデンティティのような「その場その場の社会論と人生論」を分かることができる。まさにそれが、学校の数学ではないかと思う。

僕は、これ以上、不特定多数の女を全員愛するのはやめる。言ってしまえば、全ての女を自分のものだと言いたいだけである。そして、それは何も成功しなかった。女は一人で十分である。その一人の女が誰になるかは分からないが、今はまだ分からないその女を愛することにする。よって、僕はもう、この世界全てを自分のものにしようとは思わない。

そもそも僕は社会主義は嫌いである。今読んでいる本にありありと書いてあるように、ポーランドのような東欧諸国で起きた悲惨は目も当てられない。よって、僕は社会主義もやめる。所有権まで否定しようとは思わない。

そう、僕は最後に、ひとりの女を選んで終わりである。だが、その女にはまだ出会っていない。自分のことを本当に愛してくれるのは、歌手ではない。歌手は僕のことなんか一切愛していない。