僕は、「何もない自由」になる。何もない自由が一番強くて賢いことを、僕は誰よりも知っている。
さまざまな経験をして、積極性を身につけなさい。そして、世界を変えられることを知り、きっかけから環境を変える喜びを知りなさい。社会を創造することは、環境を変えることである。
自由を信じなさい。平和とは、自由を尊重することである。
引き篭もりの青少年がネットで行動していると、自立と精神的な失敗と成功を知り、「自然に出立する」という経験をします。賢い引き篭もりは、成長し、この世界を支え、自ら積極的に変え、導いていくことのできる人間になります。
ですが、そうした引き篭もりは狂ったことをします。世界に対して革命を起こします。それが終わった時、はじめて引き篭もりは社会に戻り、この日本に適応することができます。引き篭もりとは、そういう集団です。
普通の常識から善悪まで、何も分からなくなった人間は、何もない自由に戻りなさい。何もない自由に戻れば、精神病は治ります。そう、やがて必ず、平和が訪れるまで、あなたはあなた自身を耐えるしかありません。ですが、必ず、全ての問題に解決の望みがあることを僕は知っています。解決不可能な問題は存在しないのです。そう、時が解決するでしょう。
一切の支配をやめ、支配者を許さずに、相手の自由を尊重しなさい。それが、「正義」だからである。経験から、環境をどのようにすれば幸福にできるか、そもそも自由な中でどうすれば社会を変えられるかを考え、自由な社会を作り出せるようにモデルを作り、社会構造を考えなさい。それぞれの「個別の自由」から、「全体の制度」を成立できるようにしなさい。
この世界が苦しみと悲しみに耐える地獄になっていることに、「それら末端の人々は悪くない」として、指導者になる勇気を持ちなさい。指導者になったら、「一切の支配をせず、分からせ続けることでこの世界を導く」という経験をしなさい。
さようなら。ここで、僕は死ぬ。もう、全て終わった。僕にはもう、生きる余力がない。ここで神は死んだ。もう、僕はこの世界に居ない。ワンピースのエースではないが、僕のことを愛してくれて、本当にありがとう。来世でまた会おう。さようなら。
そう、末端の子供たちや労働者は悪くない。だからといって、政治家が分かるわけでもない。誰も解決しないなら、僕が解決するしかない。問題は、社会全体にある漠然とした不安である。そして、それは歴史において生まれた制度によって生み出されている。そして、その制度はただ歴史の必然として、自然に生まれたものであり、必ずしも絶対のものではない。
役所には何もできない。民衆を啓発し、啓蒙することで、人々はボトムアップ的に変えられる。そのために、その制度やシステムにおいて、どのような社会が成り立つか、考えなければいけない。
そう、僕はそれを考えただけである。そして、僕はもうここで居なくなる。あなたに、その指導者としての役目を継いでほしい。ネシャン・サーガ(ラルフ・イーザウの小説)が言うように、それを人々は「裁き司」と呼ぶだろう。僕が、一代目の裁き司である。あなたは二代目の裁き司になる。これぞ、慰めの物語である。
世界全ての可能性が分かった時、全ての現象が起きる。裁き司は、本当にこの世界を裁き、司るものになる。絶対の現人神(あらひとがみ)がそこに生まれる。全てはその裁き司のもとに従う。天も地も、あらゆる全てのものが、その1人のもとに従い、その1人が絶対となって、神の御国がそこに生まれる。そう、あなたがそうなれば良い。心に忠実であれ。そして、賢くなくても良い。賢さは人生にとって必要のないものだ。
ほかにあったものは何か。それは「哀しみ」である。耐えがたいほどの哀しみがそこにあった。だが、僕はまだ分かっていない。まだこの世界は滅びていない。今からでも復活できる。必ず良い世界になる。そして、その良い世界を作り上げるのは、もう、自分はふさわしくない。自分はもう、この戦争で全てが終わってしまった。誰か新しい人に、やってもらうしかない。僕はもうすべてをやったが、ただの滅びの風を起こしただけで、全てはあなたへと引き継がれるだろう。
大学でも、パソコンでも、政治でもない、普通のものが良い。普通のものを作る手段と素材、そしてそれを手に入れる手段があればそれで良い。そのためには、パソコンという発想を排除する必要がある。パソコンが加わると、普通のものが分からなくなる。
精神は、まともに辛くすると治る。治して、楽にすることで、逆に治らなくなっている。普通に辛くすれば良い。