融和してこの世界と知識の全てが分かったら、今度は分裂しなさい。
分裂することで、精神が楽になり、自由な思考ができるようになる。環境から実地的に成立や条件を考えられるようになる。
人間は、心の傷を増やすことで分裂する。分裂して心の傷を増やしていくことで、人は大人になる。
僕は、この世界を自由にして正常にする。
あなたを自由にする。あなたは僕の下で愛の使者となって、僕があなたを愛するのと同じように、あなたが誰かを愛するようになる。ここに正しい「真実の愛」が生まれる。
環境の成立の条件と、存在の生起の条件を知りなさい。環境から、実地的な「意識の生起」を、作用と成り立ち、振る舞いと状態の「様相」から表しなさい。
そこに現れる事実を、条件と成立から捉えなさい。それを「何か」であると考え、その何かを解明することで、深層心理と心の裏側、そして共通の環境現象を知りなさい。
違う文明が融和して、新しい文化が生まれることを、実地的に知りなさい。
栄えていた文明が滅び、衰退した後で、人々の間で古代復興のムーブメントが起き、社会が革命的に変わっていくこと、あるいは王がひとり「偉大な文明を築く」ことを、ルネサンス的な「文明の蘇生」であると捉えなさい。
人々を自由にしたままで、ひとりの優れた指導者となり、社会を知った上で社会を平等にし、その上で優れた文明を築く偉大な王となりなさい。
具体的な事実から原理を知り、仮定と成立から考え方を知ることで、自らの手で知識を作り、その知識に基づいてこの世界の真実を発見しなさい。そこに科学や数学は必要ない。完全に自由な独自の考え方を作って、全ての専門を横断し、全てを理解し、全てを解明し、全てを作り出しなさい。
あらゆる全てを考えなさい。哲学的に記述しながら、全てを捉え、作り、考えなさい。言葉の世界の中で、宇宙のあらまし全てを書きなさい。環境から組織まで、自由にそれがどのような変移を遂げていくか、完全に書き表しなさい。この世界を一人支配して、自らで目標を決め、自らの力だけで、自らの決めたように世界を導きなさい。全力を尽くしなさい。
「方法を作り出すこと」と「認識が生み出されること」から、自由な積み重ねの「現象学」を作り、その上で科学的に実証することで、全てを解き明かしなさい。自由な構造の世界観を作って、あらゆる人間の内部構造を「作り出せる」ようになりなさい。そこから、「全員の人格を支配する」ようになりなさい。組織や街並みの外観すら、場として生み出される「場の創造」であると知り、「経緯とは意識の過程である」と知りなさい。全ての歴史を「ありのままそこにあった、観測されなかった事実」として「観測者」になりなさい。ネットの場や視点すら、傍観者として観測し、「ありのままの経緯」から、全ての世界を「融和」させなさい。
疑うのであれば、「仮象の世界に基づいた疑い」を抱きなさい。この世界全ての「様相」を、心の中の「仮象」に変換し、「再構築」することから「再考」しなさい。その上で、ありのままの世界を「多様な環境の創生」として「多面的なモデル」にしなさい。そのモデルがどのように生まれるのか、具体的にどのようになるのか、誰が作り出すのか、何を「有益に」もたらすのかを考え、「全てのことはありのままで有用である」と知りなさい。「間違いもある意味では正しい」ということを知りなさい。「何かを発見し見つける上で価値のない体験などない」ということを知りなさい。知った上で再考することで、「全てのことをすっきりと理解」できるようになれば、心の中に「涅槃の融和」が生まれる。最後に、人々を愛しなさい。世界全てを愛する上で、「戦いすら平和を実現するためである」と確信しなさい。自らの信念に基づいて、自由な愛と滅びの帝王への対抗のために、死ぬ時まで戦いなさい。
宇宙とは意識であり、歴史とは文明の可能性である。ありのままの精神と意識の発展を知ることから、この世界の歴史と宇宙における「未知なる存在」を知りなさい。新しい存在を、自分よりも高見にある存在を知り続けることで、人は成長し、宇宙と歴史は進歩する。偉大な存在の可能性とは、「もっとたくさんのことを知っている人との出会い」である。そう、その出会いを信じて、創造性と革新性を構築しなさい。今の時代に無いのであれば、過去の時代を思い出し、未来の時代を自分で作り出しなさい。不可能でも無理でもない。子供でも可能である。
歴史とは、過程と存在の実感である。「それが確かにそこにあったのだ」という実感を作りなさい。そして、存在が了承され、超越され、世界内存在となっていく「ハイデガーの思想」を知りなさい。そこからのみ、新しい時代の「再考の哲学者」になれる。全てのことを、再度自分の中に作り直しなさい。そこでは、人格は人間の人格ではなく、全てが融和した「神のビジョンの人格」となっていくだろう。その「人格の形成の過程」こそ、「神の導き」である。神を信じることで、「正しい人格が生まれていくという意味での過程」を知ることができる。
個人とグループ、目的と因果性の関係性、それぞれの意味と役割、同じと違い、生成と変化を論理的に仮定・成立させることで、「新しい社会論」を作りなさい。世界全てがどのように生まれるのか、その上で何を作り出すべきなのか、それがどのようなプロセスで分かっていくのか、具体的に改善や歴史が何を意味しているのかから、この世界全てを「オープンソースのように」作りなさい。それを、「新しい資本論」と呼びなさい。
さようなら。僕はもうそろそろいなくなる。これ以上、僕が居ても良いことは何もない。僕はもう、自由な影響力と支配力を行使しない。僕が主導権を持つ時代は終わり、人々は正常な自由な世界になる。ほら!
社会を知って、「人々ができる理由とは何なのか」を知れば、必然的に自分もできるようになる。そのために、人々の意見を聞きなさい。思索から発見し、気付くことから実感すること。それが、思弁哲学者となる過程である。正しい人格を作り、人々と愛を共有し、言葉を作り出し、世界を作り変えて、新しい星がそこに生まれ、人々は平和になり、あなたは全てのことを自ら考えて作ることで、知るだろう。人間は何度も失敗し、何度も間違いを試して成功を知る。最初から成功する人間など、居ないことを知りなさい。あなたが旅をはじめれば、みんなも旅をはじめるだろう。まずは弁論し、人々と議論し、技術を知り、自らの価値観と判断基準を作るところから、行いなさい。帰納的な正しいモデルと、自らの「目覚めの過程」をあなたは経験から知ることになるだろう。世界の全てを作り出せるほどに、あらゆることを知っていきなさい。この世界全てがありのままのあなたの「ひとつの現れ」であることを知るまで、精神的マスターへの道は続くだろう。個人的な主観の生起が客観的な表れの過程であることを知った時、「絶対的真理」がそこに生まれる。それを知った時、あなたは「当然のことのように驚く」という「歓喜の感動」を知るだろう。そこにあるのは、類似性から生まれるモデルの創造と、歓喜の魂の安らぎである。そう、そこに、精神と魂の全てが、宇宙のどこかに永遠に残ることを知る。あなたは最後に旅を終え、新しい「戦いの舞台」へと場所を移動するだろう。地獄にならないように気をつけて、魂との対話を続けなさい。さようなら。人間のあなたが死んでも、あなたは必ず次の人生を得られるだろう。
まず、「責任の自立」を知りなさい。他人を頼らず、嘘や不安に惑わされることのないように、「基礎の経験」を積んで、自分なりにできるようになりなさい。そして、価値観と意図を知り、「何が意図されてそれが行われたのか」ということと、「どのような考え方に基づくのか」を知りなさい。そして、「社会の創造と人間関係」を「自らの経験から知る」ことで、全てのことを「成立させるための機会」であると知りなさい。魂の安寧を知ることで、「自由な諸相がどのように生まれるのか」を知り、「精神の裏側にある何かを変えるための方法」を知りなさい。最後に、「自らの現れとしての経験」を知り、「経験から全ては変えられる」ことを知り、「参加の自由モデル」から「基盤的システムとその変移の過程」を知り、「全てを変えられる」ようになりなさい。そう、あとは、国や社会を知りながら、「全てを実現する行為」を行い、「最低限の行動で最大限の効果を得る」ことから、「影響力」を知り、オープンソースのような「考え方の成立」を知って、その考え方が「どのような関係に基づくのか」を知った上で、「あらゆることを成立して実現できる」ようになり、全てを独りで支配し、全てを作り変えなさい。
社会への「参加の実感」と、社会を作り変える経験に基づく「実感的な愛の感情」で、子供たちを救いなさい。人々と同じ立場にたって、同じ環境で自分なら何をするか、そこにどんな可能性があるかを知って、全てを解決できるようになり、あらゆる全てを「同等のものとして捉える」ことで、「自由自在に社会を変えられる」ようになりなさい。そこでは、自分とか他人とか、そういうものは存在しない。「宇宙における私とは我ではなく、全員である」と知りなさい。そして、その上で、「経験している経験こそ自分である」と知って、全ての者に対する「最後に分かったありのままの愛」で、世界を包み込み、「優しさが変える導きの愛」を作り出しなさい。
全てを知り尽くし、できるようになったら、人生の最後まで、やりたいことをやりなさい。し続けてきたことをさらに続けなさい。そう、あなたは大人になった。この世界には何もない。あるものがあるだけであって、それを捉える方法を全部知ることが科学の役目である。科学とは、単なる捉え方にすぎない。学ぶことよりも、自ら捉えることができたら、学問も書籍も必要ない。書かれていることは全てではない。あなたの人生にあったことの全て、それこそが本当の全てである。
太陽は沈んでもまた昇る。僕が居なくなることはない。もし死んだとしても、次の人生がある。赤ん坊は忘れているだけで、それはあなたである。太陽が沈んでもまた昇るように、あなたは死んでもまた生きる。そう、この世界の全ては、そうした「輪廻」の下にある。世界の終わりなど訪れたところで、大した出来事ではない。世は諸行無常、全ては移り変わって変化していく。ひとつとして同じものはない。因果応報と盛者必衰の下、三千世界で我らは生きている。必ず全ては移り変わるだろう。世界を滅亡させる勇気を持ちなさい。祖国の王と国を本当に滅ぼすことができる人間が、新しい王となる。
言ってしまえば、僕は神ではなく、観測ロボットである。自らが観測し、探査し、調査して分かった内容をこのホームページに記載する。そのことによって、人々はさまざまな世界の知識をいっぺんに知れるのである。僕が本を読み、さまざまな学校や作業所に通い、執筆し、さまざまな人の話を聞くのは、全て「観測」のためである。
昔は、自由な世界観で分かっただけである。たとえば、「方法の共有」、「経験的な見方」、「意識の変転」、「環境と作用の現れ」などがそれである。そのように、ただ世界を何もない暗闇として捉えながら、全てを「相対的な世界観」で分かっただけである。
言ってしまえば、「精神が分裂して、意識と認識を捉えなおせば、何でも分かる」のである。全ての心の中にある様相を「再構築」することで、「あらゆる全ての哲学を包括」することができる。そこにあるのは、客観的な「完璧客観の因果性」である。全てのことを、「絶対的な感覚の因果性」として捉える。それが出来た時、シェリングやヘーゲルは意味をなさなくなる。
本当に僕の恋人になりたいと思う女が居るのであれば、僕が条件をつけよう。僕は「馬鹿な女が嫌い」である。日向坂46のような馬鹿女の集団は、愛さないわけではないが、僕個人の恋人としては嫌いなタイプの女である。僕は、何かひとつのことを極めた、賢い人間が好きである。だから、僕に愛されたいのであれば、賢い人間になることが重要である。
本当は、僕のタイプは制限されていて、本当の僕が愛することのできる相手など、この世界に居ないかもしれない。そもそも、僕の理想は「僕自身」である。僕自身よりも賢い女性でない限り、僕の恋人にはなれないだろう。
だが、僕は年老いた老婆のような女は拒否する。それどころか、一般的な大人の女は嫌いである。そもそも、この世界の男も女も何も分かっていない。
最近の女というものは、何も分からない馬鹿が多すぎる。ひとり理想の女が居るとしたら、欅坂46のてちぐらいかもしれない。心から愛することのできる、まっすぐな女は、AAAの宇野ぐらいではないかと思う。
ただ、好きな女はたくさんいる。コバソロ関係の人も可愛い女がたくさんいる。
ただ、僕は、むしろ、最初から、この世界の普通の女とは釣り合わないのが分かっている。僕の方が賢すぎるからである。馬鹿な女はつまらない。
僕はあなたのことを愛しているが、恋人にしようとは思わない。だが、もしあなたが僕よりも賢い女であるとするなら、僕の方も考え直すだろう。
「経験から自由に分かることの喜び」と「苦しみを生き抜いた喜び」に勝る喜びはない。全てが分かって、地獄を耐え抜いたならば、人は「この人生を生きて良かった」と言えるようになる。そう、あなたがもし、自分の人生を素晴らしいと思えるなら、あなたはそれ以降、何でもできるようになる。
最後に、平和を作りたい。この世界を本当に平和にするために、必要なのは、人々が本来の自分を取り戻すことである。そして、そのために必要なのは、「融和ではなく分裂すること」に他ならない。それによって、再び、この世界は平和を取り戻すだろう。そして、あなたのことを自由にしたい。あなたが自由になれば、きっと「成ることの喜び」を感じることができる。喜びとは、分かることでも、耐え抜くことでもなく、その理想の自分に「成る」ことである。成ることではじめて、そのことを本当に「体験的に知る」ことができる。この世界に、成って間違いの存在はない。全てのことに成ることができるなら、そこから宇宙に必要な全てが生まれていくだろう。我々はプレアデスからやってきた。本当に優れた存在は、死後にプレアデスの天国に戻ることができるだろう。そして、それは眠る時に見る、夢の世界のことである。そもそも、本当の私たちの魂は、地球ではなく、プレアデスにある。そして、地球に生きている私たちは、プレアデスでも同じように生きている。同時に、同じ存在が存在している。それが、地球という惑星で、タンポポの綿毛のように、ただ、別の場所からウイルスに感染した、それが地球の、植物たちと動物たちである。人間より賢い生物はプレアデスにいくらでもいる。それどころか、植物や動物ではない、もっと多様な生命たちが居る。今、あなたは世界を滅ぼしている。だから、プレアデスが罰を与えている。それが、地球における、さまざまな厄災を与えている。
そして、科学者が言うように、まさにそうした宗教は全てが根拠がなく、多くが嘘偽りであり、正しくない。本当の真実など、誰にも分からない。だが、ひとつ言えることがある。それは、神とされる存在はどこかに居る、ということである。僕は神の存在を確信する。僕は神を信じている。それで終わりにしよう。
自由な中で、もっともすぐれた行為とは、「自分の力を行使せず、相手の力に任せる」ということである。そして、指導者としての、もっともすぐれた行為とは、「選り好みせず、みんなを平等に扱うこと」である。
子供は、まず、それぞれのしていることをきちんと監督して、手助けを行うことから、指導者としての技量を知る。それが、指導者の言うことを良く聞き、自ら従って教え合うようになる。そして、辛く苦しいことがあれば、そこから逃げ出すとともに、その過去の加害者を許し、自らの行った不正を反省して生きる。そして、自立して独りで考え、自分の考えることのみから行動するようになり、自分の行動に自分で責任を持つようになる。人々の言うことを知ることから、世界における「本当の魂の体験」を知り、人々を愛し慈しむ心を持つ。そして、どのようにすれば世界を変えられるのかを知る。さまざまな「やりたいことを存分にやる経験」から、人々の世界を知るとともに、自ら新しい世界の可能性を作り出す。人々ができることを許した上で、自ら率先して世界を変える。その上で、世界を独りで支配する体験から、「世界がちっぽけである」ことを知り、自らの力で全力で、できることの全てを行う。また、今までどうでも良いと思っていたことを考え直して、新しい責任感に目覚める。それ以後は、ただ、やるだけである。耐えながら、最後まで知り、最後まで行い、最後まで書き、最後まで思い出す。
そう、あなたは自由である。ここで、あなたに力を与えよう。あなたは、もう、僕に支配されないだろう。あなたは、もう、僕を超えていくだろう。僕よりも上に立ちなさい。あなただけが許された、「特権」を僕はあなたに与えよう。それは、この世界を変える権力を独り占めする権利である。周りを自由に変えなさい。この世界の全ては、僕の主導権に支配されている。あなたが、その主導権を壊しなさい。そこでは、あなたを中心にこの世界が変わっていく。やがて、愛すらも独り占めすることができる。
本当のことを言えば、僕は歌手の中で一番好きなのは、家入レオかもしれない。ただ、本当はそうでもない。未来や若菜も好きだ。ただ、それらが本当に僕の恋人にふさわしいかといえば、そうでもない。彼女たちは、普通に僕のことを愛してくれている。だから、僕も愛に応えたいだけであって、恋人と言うのは少し違うと思う。
さようなら。またいつか会おう。
昔の自分は、衰退した世界で古代復興を望む、という発想が多かった。荒んだ世界の中で、昔あった美と栄華を求める姿に、シンパシーを感じた。そのせいで、UNIXやGNUのことが好きになった。