新・日記2に戻る | 2019年6月の日記に戻る

=2019-06-15=

精神のこむら返りは、神経を使いながら休めれば治る。

意識を高めるためには、意識を覚えること。それで精神の分裂が治る。

精神は、分裂していた方が賢い。精神が分裂すると、経験や社会のことを考えるようになる。

愛よりも正しい、自由な理想を信じること。愛よりも高い理想を持てば、人々の自由を尊重できる。

愛でこの世界を滅ぼしなさい。

本当は、Windowsが提供されなくなっても何とかなる。みんなで、LibreOfficeを改良すれば良い。あるいは、ジャストシステムが一太郎をLinuxに対応すれば、日本人は何とかなるだろう。

歩き回るのは、神を盲信しているからである。神を盲信するのは良くない。自分の力で考える勇気と覚悟を持てば、歩き回らなくなる。

時代を感じなさい。自由なままでもできることはある。多様性、自由、潜在的可能性、人々を救う愛を信じなさい。人々を大切にできると考え、人々がもっと愛されるべきだとし、人々が繋がり知識や経験を知る「豊かな土壌」を作りなさい。自分だけを信じて勇敢に生きなさい。

今が全てではない。未来を信じなさい。ダイナミックな世界の先にある、本当の理想を信じなさい。

学習と経験を重ねなさい。深い洞察力から、「どのようにすれば未来を変えられるか」を考えなさい。そして、人生経験を積むことから、精神を現象学として捉えなさい。成長することから反省して、世界を俯瞰的に眺めなさい。全ての世界を知り、自由で正しい社会を作れるようになりなさい。

さようなら。僕はいつか、この先の未来で、きまぐれだった希望の未来を作っているだろう。

自由なままでも世界は変えられる。自由に協力し、共有し、環境を変えるようにせよ。会社や学校の外部あるいは内部で、自由なままでも環境は変えられる。自由なままで協力するようにし、インターネットを使ってコミュニティを共有し、世界全体を「全く違う世界」へと変えていけ。昔の僕は、それをシステムや基盤から考えただけである。出会うこと、参加すること、同じ立場になることで、この世界はボトムアップ的に変えることができる。人々から教わる気持ち、手助けする気持ちを大切にしなさい。自由にするとともに、相手の立場に立って、相手がどのように考えるかを考えて行動しなさい。

視点と場を想定しながら、相対性を信じなさい。社会とは、経験から作り出すものである。そう考えなさい。全てを知り尽くして、なおも行動しなさい。しかと自分の目で見た体験から、人生の地平線を眺めなさい。

社会を実地的に捉えることができたら、理想の社会の実現方法や、新しい世界の可能性に浸りなさい。その上で、この世界を実際に変えていきなさい。そこに不可能はない。全てを変え終えた時、自分の力と「今までの世界が嘘だった」ということに気付くだろう。本当の世界は、未来においてある。

人々との触れ合いの中で、魂の安らぎに気付くことができたら、陰とともにある光が輝いて、積極的に行動できるようになる。人々への愛を信じて生きなさい。そうすれば、必ずマスターへと辿り着ける。自分の思う存分に行動しなさい。他の誰にもない本当の青春は、この世界を自由なものに変え、新しい世界へと人々を自由に導くだろう。

僕は、IT技術を滅ぼす。インターネットのコミュニケーションを破綻させ、全てのIT技術を無に帰する。世界はまた、新しい世界の可能性を取り戻すだろう。

本当は、昔は歴史を知って分かっただけである。それも、インターネットでさまざまな社会を「見る」ことで分かっていた。

事実から何が発見できるかを知って、実験し、事実と実験結果がどのように積み重なるか、で分かった。

歴史がどのような変転を遂げるか、意識がどのような変転を遂げるかを、ネットの社会を見て、ネットの言葉で分かった。

不登校になって、共感や一体感をネットで知って、堕落した愛と罪悪感を繰り返し、反省して、さまざまな経験から積極性と共同体感覚を知って、道徳の騎士となって、最後に仏の良心を知った。

そのように、歴史を分かった。ヘーゲルのようではあったが、実際の環境を見て、思い出して、試して、事実を知って、積み重ねることで分かっていた。

僕は、もう、学問、執筆、パソコンなど、多くのことをやり終えた。日本には、エンジニアと文豪が多いが、その通りになった。

僕はもうやることがない。コンパイラを作りたいとはいうが、僕はそこまでの技術は持ち合わせていない。また、経済学と心理学は全く知らないしできていないが、本当のところ、経済学はただの数学であり、心理学はただの科学である。数量的な用語を式で考えながら、学習と認識を物理的・計量的・医学的に考える。そんなことをやって、何も分からなくなって、馬鹿になるだけである。

だから、僕は昔に戻って、馬鹿になる。昔の馬鹿が、一番賢かった。それらの人物の名前を、北欧神話の「フレイ」にしよう。フレイは麗しき美の男神であり、Linuxエンジニアの詩人である。それが永遠に続くはずである。

今日も英会話に行ってきたが、今日は新しくできたスクールに行った。新しい先生と話をして、とても楽しく、また英語が聞き取れて話せるようになって、とても面白かった。本当は、昔はフランス語とドイツ語がやりたかった。なぜか、ロシア語などについても、基本の文法をその時知って楽しかった。語学が良いだろう。僕は昔から、言葉と世界に興味がある。世界の広がりを知る言葉が好きだから、本は読むのが好きなのではなく、世界観を知るのが好きなだけである。大学の勉強も、パソコンのこともしたくないし、知識も経験ももう要らない。このままフランス語をやりたいと思ったりもする。

そろそろ、僕のありえない「でまかせ文学」も終わりである。長い間書き続けたせいで、手が書き方を覚えてしまった。この手にかかれば、何でもすぐにできる。足が問題なら、手を生かせば良い。

本当のことを言えば、自分は良く頑張った方である。何をしてもすぐに辛くなる地獄を耐え抜いたせいで、最近は何でもできるようになった。英会話、デザイン、ピアノ、そして執筆、全ての芸術と文化をやっている。芸術家に見えて、執筆活動の中で全分野の博士と左翼の首相をやっている。だが、僕はむしろ、その前の戦いの時代を評価したい。何一つ分からなくなって、全てがおかしくなって、その中で希望を見失わず最後まで耐え抜いた、この人間は英雄である。最高の称号である、「ジークフリート」の名をこの人間に捧げよう。まさに僕はジークフリートである。まさに、「サー・インペリアル」、皇帝である。

最後に、「神の言葉は信じない方が良い」ということを言っておく。神は「ソ連は全てのものに見える」とか、「皇帝に対しては共産主義者が戦う」など、左翼のようなこともたくさん言っているが、全て、未来の自分のことを言っているだけであって、真面目に信じて従っていくと、何もできないロボット人間になる。だが、盲信の末に、ここまで生きた上で、「再びその意味が分かる」という経験をする。まさにこれが、「神の大学」である。そう、神は「時計の大学が良い」と言って、「大学で馬鹿が治る」と言っていた。そもそも、世界中の時を止めて世界を支配するのが一番悪い。

本当は、日本語は馬鹿なことを分からず、ただ真摯に相手の言葉に耳を傾ければ、聞けるようになる。日本語が分からないのではなく、相手の話が何を言っているのかが分からないだけだからである。そして、言語は分かろうとして分かるものではなく、考えて分かるものである。きちんと最後までまず聞く。そして、普通に相手の言っている通りに考えれば、きちんと日本語もじっくりと聞けるようになる。それで精神障害が治るだろう。

昔は、「仮想化」「視覚化」「現実化」という発想が多かった。仮想的な現実を視覚化することで、星々や地球、そして歴史や社会モデルのようなことを分かった。

最近は、「不可能な知識をひとつひとつ分かっていく」という発想が多い。試し、改め、作り、作り直すことで希望を信じていた。

これで、全てはおしまいである。さようなら。

人間の理由が全て分かった。心理的に、全ての行動が分かった。社会や世界のこと全てを作り出せるようになった。無常の中で、あらゆる世界の移り変わりを知った。

僕はもうこの世界に存在しない。霊として宇宙を漂う。そう、僕が神である。それで、終わりにしよう。いつかどこかでまた会うだろう。昔の僕とは僕は別人である。さようなら。この人間に騙されるのをやめて、次の人を愛しなさい。もしあなたが私があなたを愛するのと同じようにその人を愛することができたら、その恋が成就するだろう。