新・日記2に戻る | 2019年6月の日記に戻る

=2019-06-13=

アメリカのトランプ大統領が言いたいことは簡単である。それは、「トランプに従わないものにはアメリカが制裁を与える」ということである。

日本のように、トランプとつるむ国には、アメリカは良くする。だが、トランプに従わないイランのような国には、とても強大な「アメリカからの制裁」を与える。

僕は、これは新しいいじめではないかと思う。

それなら、僕はこのようにする。トランプやアメリカに従うものに制裁を与え、アメリカから制裁が加えられたものを救い出して、僕たちの連合を作るのである。

僕一人では、この訴えはアメリカには届かないだろう。だが、必ず、そのような人間は今から増えていくだろう。トランプにいじめられた最後の集団を救うのは僕である。

この連合を、「反トランプ連合」と呼ぼう。リーダーは、アメリカやドイツからもっとも嫌われ差別されている、日本人の僕である。

僕は、ハーウェイの動向に注目している。AndroidをGoogleから供給されなかったことで、自分で独自にOSを作るしかないが、僕はそのOSがAndroidだけではなく、WindowsやMacも超える新しいOSになるのではないかと思う。難しいのは、ローレベルな部分、たとえばカーネルやデバイスドライバ、ネットワークやファイルシステムの部分ではないかと思う。僕は、Android同様にオープンソースで公開すると良いと思う。Windowsのように、中国のひとつの会社が優良企業になって、ビル・ゲイツのように知的財産で大儲けすることはできないだろう。だが、逆に、そのことがLinuxやUNIXが通常用いられるオープンソースのサーバ・エンタープライズの分野で、新しい転換点を作ることができる。Linuxをリプレースするぐらい、大きなプロジェクトにすることができる。できれば、言語処理系はgccを使うのではなく、自分たちで作りたい。LLVMをベースにすれば、簡単にRustのような新しい言語のコンパイラを作ることができる。たとえWindowsほど成功できなくても、「中国と日本の新しいIBM」のような超巨大企業を作ることができる。それは、中国だけではなく、アメリカと戦う日本やイランのような、アメリカ以外の全ての国にとって有益であると思う。ハーウェイとともに、僕と反トランプ連合が、IBMを超える。それが巨大財閥のように資本を持てば、絶対にトランプにすら、勝てる。

ただ、僕は金儲けや競争の勝利には興味がない。僕が興味があるのは、「新しい技術」である。特に、UNIXのopen()/close()/read()/write()やsocketを中心とするファイル指向のOSは、Plan 9によって分散ファイルシステムと分散ネットワークプロトコルに取り替わろうとしている。それに、LinuxはモノリシックカーネルのOSである。マイクロカーネルにすることができなくても、新しいアイディアは何か、考えられるのではないか。ロボットや人工知能の分野でも、宇宙ロケットの制御プログラムの分野でも、中国はアメリカと対等に渡り合おうとしている。宇宙ロケットと同程度の高度で巨大なプログラムである「OS」にも、中国の技術革新の分野は広がっていくのは、これから目に見えている。いつまでも、全世界でWindowsを使う時代は終わりである。そのようになると僕は期待している。

昔は、蓋然性合理主義のような考え方を書いていた。

そのことにおける本質とは何かを考えなさい。

本質から、何が生み出されるかを考えなさい。

本質は、どこから生まれるのかを考えなさい。

その本質を生み出すために、どのような方法があるのかを考えなさい。

現実社会において、その本質がどのように生み出されているのかを知りなさい。

その本質を生むために、どのような社会システムが考えられるかを知り、その実現方法を考えなさい。

結果に対して、別の結果から、その結果がどのようにどうなるかを知りなさい。

方法を仮定しなさい。

方法を想定しなさい。

さまざまな事実を生み出して、その事実の積み重ねと発見を知りなさい。

それらの事実を、原理原則と捉えて、原理を発見しなさい。

そして、その原理を実現するために、社会、人生、論理、物理法則を捉えなさい。

現実のリアリズムから、アイデンティティの実現を知り、価値観とは何であるかを知れば、「全てのことはそのままで完璧に理解できる」ようになる。

ありのままの世界があることが、この宇宙の「答え」であると知りなさい。

仮定と成立から、たとえば「グループ」とか「制度」とか「法」と言う意味で、この世界の新しい発想を知りなさい。

それとともに、現実の世界をありのままに見て、その世界でどのようにそうした発想の実現が行われているかを知りなさい。

全てを実現できるようになるために、「これが私の考える自由なのだ」と確信して、その自由が「どこにどんな意味で見出せる自由であるか」を知って、気付きと発見から「人間関係と正しい社会の構築」を知りなさい。

それが自由であることが、潜在的にどれほどの可能性を持っているかを知りなさい。

その自由が、個人だけではなく、集団の協力や自然なそれぞれの努力による発生であることを知り、「社会を作ることは一種の自由である」と気付きなさい。

多様性は、自由なシステムでそれぞれが「自発的に文化を共有」する中で生まれるものだと知って、文化やコミュニティの構築のための方法と場の発生条件を知りなさい。

社会参加から、愛と手助けの精神を知りなさい。

精神の分析から正しい「涅槃の愛」を知り、「すべてのものを平等に慈しむ」と言う意味での「仏の慈悲」を知りなさい。

それぞれの立場にたって考えながら、それぞれの経験や理性を尊重するとともに、自分の独自の経験から分かったことから、人々を愛することのできる「全てが分かった本当の愛」から、世界を変えなさい。

全てのことはシステムと共有であるとし、環境や人格すら基盤的なシステムであり、自らの考え方を人々と共有することで世界は変わると考えなさい。