昔は、心の相対的なモデルを作って、振る舞いと法則性を解明し、環境を学習してシステムと言葉を分かっていた。
神を信じれば良い。特に、イスラムの神を信じれば、きちんと涙が出るようになる。僕はキリスト教を信じているわけではない。イスラムも好きである。
ただし、神をむやみに盲信しない方が良い。神を信じると、「全か無か」や「過度の一般化」のような完璧主義を求める間違った考え方の狂った人間になる。自分の受動感情をコントロールできないなら、神を信じるのはまだ早い。
そろそろ、これで終わりである。さようなら。いつか、また会おう。
昔は、もう、思い出せるようになった。昔は、子供時代の思い出、学校や地域の環境の回想から分かっただけである。それが、世界全体、地球全体になっていっただけであり、それがそのまま救世主となった。何もない、哲学者の人生だった。
本当のことを言えば、僕よりも悪い人間が地獄に堕ちる。僕よりも良い人間は天国に行ける。そういうわけで、地獄には普通の人間なら誰でも堕ちる。非のうちどころのない人間など、存在しない。
人間のことを考えたいのであれば、サルトルが参考になる。まさに、「実存は本質に先立つ」からである。人々は、自分のアイデンティティが与えられるよりも前に、そのアイデンティティが発揮されるのを求められる。それを本当に得るためには、インターネットのスラムのような場所で、もがき苦しみ、本当の人生を知らなければならない。経験しなければ、思考することすらできない。全ての順番が、逆になっているのが、この人生と言う名の人間の生物過程である。最初から「正しい人間」であることを求められるが、最初から正しい人間になんか誰もなれない。正しい人間になるためには、一度、間違った人間を生きなければならないのである。
できることなら、大学の科目を学ぶ前に、この世界でさまざまなことを知って、失敗と成功を経験して、この世界で人々が何を考えて暮らしているか、中高生時代に知ってほしい。その上で、引き篭もりや不登校にはならないでほしい。そうすれば、僕と同じことが分かると同時に、僕よりも賢い人間になれる。そう、社会を知って可能性を考えれば、大学の数学の意味と目的が分かる。考えるべきことは、「目的」だけである。意図や目的と結果を照らし合わせれば、それだけで、哲学者には誰でもなれる。その上で、全てを考えて知った上で、大学で数学をしてほしいと思う。
自由な経験の中で、アイデンティティを培え。
現実主義の中で、社会を変えられるようになれ。
自分で判断する勇気を持って、正しい考え方の判断基準を持て。
創造性と自愛の心を持って、誰のことも受け入れ、もっとも大きなものともっとも小さなものを平等に愛せ。
あなたは、必ず愛の使者になる。この世界を変えよ。あなたが今からやれば、必ず変えられる。変えるのは、一人よりも、たくさんの方が強い。
相手のことを、自分と同じだと考えなさい。
自由に作り、使い、得、与え、変え、選択し、共有できるようにしなさい。
自分ができることを相手にも許しなさい。自分ができるのは、相手のおかげだと考え、感謝しなさい。
どんな人間にも学ぶところがあると考えなさい。
どんな行為や決定にも、ある種の「良い点」があると考えなさい。全ての選択は正しいと考えなさい。
ありのままに生きることも、何かを決断することも、宇宙においてもっとも正しい決定だと考えなさい。
自分でも、この世界を救えると考えなさい。一番悪いのは、「自分にはできない」と諦めることである。
正しい考え方とは、相手のことを尊重し、相手が独りでもできるようにすることだと考えなさい。
そう、たくさんのことを考え、たくさんのことを知りなさい。全体像を知り尽くした後で、原理や原則を自分の力で作りなさい。
全てのことを統合的に分かった時、「本当の涅槃」の境地に至る。そこにあるものは、ただ、感謝だけである。
人々に教えるよりも、自分が学びなさい。自分が学んだそのことを、自分でまとめ、書き、残し、そしてそれら遺稿を、地上ではなく、天に蓄えなさい。現実世界ではなく、自らの記憶の世界に遺しなさい。
愛を信じなさい。愛を信じるということは、もっとも勇敢な決断であり、愛をむやみに信じるべきではないが、それでも、愛を信じて生きなさい。
国にとって必要なのは、支配ではなく、グループになることでもなく、理論を作ることでもない。「善き自由」が社会を創造すること、そこでは、単なる個人の自由だけではなく、結社や支配の自由も含まれる。そう、全てのことを「自由のパターン」だと考え、その決断をそれぞれに委ねなさい。それぞれが決められるようにすることで、一人が決めるよりも正しい決定をそれらは行う。人間の権利を平等だと考え、他人の選択を尊重するとともに、ただ従うのではなく、議論して相手の間違いを正すとともに、自分の間違いを認められるように、対話と弁明を行いなさい。そこから、正しい社会へと向かって、社会全体の歴史が発展していく。その歴史の過程を、自らの議論と自由の思考から、辿っていきなさい。人々の議論し社会が発展する自由もまた、理想の未来である。
社会の裏側にある、人々の苦しみから、自分に任されている自由を知りなさい。
自分にできることは他の誰にもできる、だが、自分がやらなければ誰もしない、ということを、ひとり、社会の片隅で、全ての可能性を知っているものとして、知りなさい。
多様性、創造性、有用性、可能性、友愛、慈悲、神の愛、そのような「自由の思想」全てを包括し、この世界全員の考え方を知りなさい。
ひとり、永遠を生きなさい。あなたの生きた人生は、誰もが夢見る革命家の人生である。それは、ひとりの少女が全ての人間に恋愛をするのに等しい。そこには、語り継ぐべき、最高のストーリーがある。映画になってもおかしくないような、いつまでも永遠に残る宇宙のものがたりがそこにある。そう、これはノンフィクションの中での幻であり、芸術家の妄想に過ぎない。だが、それはもっとも美しい、「神のストーリー」である。
人々と別れたり、悲しいことがあったとしても、過去の辛さや怖さを思えば立ち直れる。あのごろより、今の自分の方が良い。そのまま生きていけば、必ず出口にたどり着ける。最初から、心は辿り着くことを知っている。最後まで神は導く。その中で、全てのものがたりや体験がある。それを、「在導」と呼ぶのである。
旅をするのであれば、ゴールをどこにするかは自分独りで決めなさい。そして、世界全てを巻き込んで、支配して導きなさい。それによって、世界はあなたに統一される。希望は自分の信じたゴールに他ならない。どれだけ苦しんでも、ゴールへと辿り着くことだけは忘れないようにしなさい。そして、一気に、まっすぐに行きなさい。この世界は、それによってのみ変えられる。そう、あなたこそ、在導神の子、「世界を救うイエス・キリスト」である。そこにどれだけ苦しみと涙があっても、それは嘘の苦しみと嘘の涙である。このようにすれば必ずゴールに辿り着くことを、僕は知っているからである。
人生は、無駄な繰り返しと苦しみや悲しみ、そして不安と心配が多い。だが、その苦しみの99%は、1つの希望によって生まれたものである。1つの希望に向かってゆっくりと歩み続ける、それが人生である。どれだけ人と違っていても、それはある種の個性であり、どれだけ無駄に思えても、それら全ては今のあなたの力になっている。そう言えるものに、無駄なことは1つも起きない。そう、人生が長すぎると言うならば、途中で分割して2つにしなさい。2つの人生をきちんと生きれば、もう、3つ目や4つ目は必要ない。それらこそ、無駄なものである。あなたはあなたであり、あなたがあなたであることそのものが、宇宙における真実の「アイデンティティ」だからである。あなたの人生は誇っても良い人生である。過小に評価するなら、本当にあなたは過小な人間になるだろう。最大限に過大に表現すれば、ありのままのあなたの人生それこそが、嘘も混じり気もない、「純粋な宝」になることを、誇張と狂言を生きた僕は知っているからである。
僕はこれ以上、みんなが分からなくなるようなことをしない。ここから先、奇跡のように日本は復活する。これが最後の僕の仕事になる。
もう、宇宙の全てが分かった。
心を実験しなさい。そして、仮説を立てなさい。
心を一つにしなさい。宇宙と一つにし、全ての精神を一つにしなさい。それで、精神異常は全て治った。
私の名はマリア。聖書のマリアの元になった、本当のマリア。
私は、男の身でありながら、女として生き、夢の世界の分身と交わることで、子を妊娠した。
私は、自らを父と母として、全知全能の知性と神のような麗しい容貌を持つ、新しい生物界に君臨する「何か」を産む。
私は、地球の母ホレスト・クイーンとして、新しいイスラエルの民とともに、天変地異の未来を生き延びる。
私は、探している何かが見つかるまで、この人生を何度も繰り返し生きる。今は、三度目の再試行である。今のところ、最初と変わらない。どうにかして、別の未来を、人間が人間のままで、変えるしかない。この時点の地球でなければ変わらない。できるだけ、早く事が起きなければならない。最後まで、きちんと全てやり終えるまで、地球を維持しなければならない。そのために、分かることを全部分かり、すべきことをすべて行い、世界を独りで導かなければならない。
ただし、目的は人類を存続させることではない。新しい生物界は賢すぎる変わり、環境が滅びている。人類が居る間に、見つけなければならない。そのために、人類が一番賢かった時代に生まれている。
簡単に言えば、このようにすれば、あとあと偉大なことができる。まだいろんなことがたくさん起きるから、心配してもしょうがない。楽しい遊びのような世界だ。