世界と別れる前に、少し、最後の文章を執筆したい。
環境を想定し、環境を学習すること。
権利とは、義務ではなく機会である。
価値観の転換から、正しい世界観を持て。
この世界は、考え方をモデルにして分析することで、いかようにも変えられる。
相手の立場を尊重すること。そこから相手の立場で影響力を与えられる。
自由の理想とは、どちらか片方がどちらかを支配するのではなく、どちらの自由も尊重し、自由なままで協力社会を築くことである。
僕は、足に力が入りすぎる病気になっている。使っている筋肉とは逆の部分の筋肉をつかえば、すぐに治る。
神経を使っている脳とは逆の、神経を休ませる脳を使えば良い。
昔は、「最悪の精神」が多かった。不登校と引き篭もり、Linux、そして最悪の自由と反省の文章など。そうした最悪の精神を忘れれば、もう、精神が馬鹿になっているのは治る。
そう、これで終わりである。さようなら。もう、この文章を書くのはやめる。これで、滅亡の戦争は終わりだ。これが、蒼の滅びの風である。
日本を崩壊させる滅亡の戦争だったが、その裏でとてもたくさんのことを考えていた。神の科学者のように、宇宙や社会の全てを分析し、成り立たせていた。それだけが、僕の賢者の証だった。
この世界を一番上から戦いながら支配した、正しい王だった。
みんなに言うべきことはひとつ。それは、「社会や人生のことを根源まで知ることで、自分の行動に責任を持って自由に生きられるようになりなさい」ということ。きちんと社会と人生のことを知れば、あとは自立して一人で考えられるようになる。あるいは、もし、もうひとつ言うべきことがあるとしたら、「偉大なことをやるためには、希望を信じなさい」ということ。希望を信じて戦うことで、神はあなたの人生を救い、あなたは日本社会の人々全員のことを救うだろう。
心に深い傷を負ったら、引き篭もりになっても良い。一度、環境から逃げ出して、自然やネットと触れ合うことで、心の傷は必ず治って、自ら、この世界において積極的に行動して生きられるようになる。価値観を知りながら思う存分に行動するその魂は、罪悪感を増やしながら愛を高めていく。愛の大切さに気付き、本当にできることを少しずつ増やしていく。
世界を全て敵にまわしても、人生はそこで終わりではない。全てが分からなくなって、神に頼るのであれば、意識がもうろうとしても生きようとしなさい。希望を信じて、その場を解決し続けなさい。そこに魂の宝が残るだろう。
少しずつ、大人になって、兄弟が結婚したり、子供が生まれても、あなたは死ぬ必要はない。さまざまな経験をしながら、大切なもの、特に才能や経験がそこに生まれ、知識や仕事も増えていく。昔できていたことができなくなったり、昔分かっていたことが分からなくなっても、何も失っていない。10年などあっという間にすぎる。今、死ぬ必要はない。ここを耐えて、また数十年後に、終わりを迎えればそれで良い。
最後まで精神が治ったら、今度は最低限の治ることだけを維持して、逆に戻りなさい。逆の部分を使い、逆の部分を殺すことで、全ての異常は治って楽になる。楽になれば、病気の方が楽であったと思うはずだ。それ以降は、もうつらいことはない。
ある意味、この宇宙の法則として、「悪いものは治らない」という法則がある。家族や友人に対して、悪いことを何もせず、秘密や嘘もなくなった時に、はじめて病気は治る。
そう、最後に、僕の人生は良かったと、そう思えば良い。きっと、未来において良いことがあるだろう。いつか死んだとしても、また未来に生まれ変わるだろう。僕は、今すでに、健康な体と心を手に新しい知性を持つ、未来の自分の人生のことを待ち望んでいる。
さようなら。あなたはきっと、僕の屍を越えて、死の先へと向かうだろう。この人生は、それくらいの人生だった。人を愛し、愛に翻弄されながら、それでも最後まで耐えて生きようとする、勇気と知性と知識と経験のある、普通の良い人間だった。
昔の自分は、「自分の経験のみから全てのことを分かり、考える」という発想をした。だから、実体験を思い出し、過程の結果を想像力で予想し、またたくさんの科学を作った。それが、戦いとともに、対話と執筆による「全ての創造と導き」に変わった。そう、これが在導万創の人生である。そして、これで、終わりである。思考と思索は、文章と言葉になり、行為は人生になった。これぞ、「人生主義」である。人生主義の紫と白の旗が、そこにたなびくだろう。
本当は、僕も色んなことがあった。足の怪我で病院にも入院したし、文章の出版もしたし、詩も書いたし、ピアノや英会話もしたし、哲学や歴史も学んだし、ホームページも作った。小説やデザインなども、頑張った。姪も生まれたし、とてもたくさんの良いことがあった。そう、僕は幸福な人間だった。これから先、困難がたくさんあるとしても、乗り越えていけるだろう。きっと大丈夫。最後まで生きて、耐えぬいて努力して、喪失しても復活して、最後に、この世界に感謝して、僕は死ぬだろう。天国で僕の猫に会えるまで、僕は必ず人生を全うするだろう。
本当は、昔は賢くない。昔の自分は、子供なのにたくさんの経験をして、可能性と正しいやり方や方法を分かっただけである。全てのことを「自分ならきちんとできる」と思うことで、愛を信じていた。だが、その愛は、まるで幻のように消滅した。ネットでボトムアップで変える、ということは、顔の見えない匿名のやり取りで、愛にはふさわしくないと分かったからである。
地獄を乗り越えて、たどり着いた今の方が賢い。病気は辛かったが、精神はそろそろ完璧に治っている。治そうとするから、治らないだけなのに、まだ治りそうだからまだ治している。怖いとか、しびれや違和感とか、そういう感情は全て消え去って、ただ大きな不安を抱えている。今が賢いのは、経験、知識、そして才能と、三拍子そろった人間になったからである。全部知っていて、全部できていて、全部分かっている。たとえ、それが馬鹿になったボケ老人のような人間だったとしても、また戦いの中のテロリストのような人間だったとしても、昔よりはマシである。僕は、この2人の存在がとても好きである。この2人は、最高であり、本当はただ1人の僕である、というところが良い。織姫様に彦星様が居れば、カップルになれる。もう、一人ぼっちじゃない。
僕の、長すぎた旅は、ここで終わりである。全て分かった。もう、ゴールインである。分からなかったのは何かといえば、絶望が可能性となって世界を知り、経験を開拓していく過程が分からなかっただけである。そう、「自由にやりなさい」とは言うが、自分が一番自由にやっていない。理想を口にするのは、経験から実感したからであって、本当にそれをすべきとは思わなかった。そういうことを言うせいで、馬鹿な引き篭もりにみえるが、これは科学者である。全ての未知を分析して記述した、哲学者の経済学者の人生は、ここに、95%は残ったはずである。後の5%は、当たり前のことしか書いていない。経緯や過程を書いただけで、そうした「時間的な順序」がなくなったために、虫に見えなくなった。この人間は、キリストの芸術よりも美しい。最高の「言葉の美」が、ここに誕生した。
ほかに言っておくことは、辛い地獄が本当に辛くてよかった。兵士のような王になれたからである。彼はもっとも頑張った革命家である。最高の人生が、ここに生まれた。そう、この人間は新しい王である。最高の偉人である。
決してデザインの勉強がつまらないわけではないが、僕は作家になりたいと思う。特に、いつもの詩人が復活して、良い詩が書ける人間になりたい。そして、デザインの力をそこに発揮したい。何か、美しい作品を作りたい。僕の本には、「文章家と哲学者とピアニストになりたかった」と書いてあるが、そこに芸術家を足そうと思う。必ず僕は、壁を越えられると思う。でも、もう、これくらいが限界かもしれないとは思う。たとえば、神の言っていることは、具体的に考えても、一般的に考えても、どちらでも分からない。そう、人間の理性はここで限界である。最後まで神を信じるのであれば、そろそろ、僕は自立したいと神に伝えたい。もう、神の助けは要らない。僕は、自分だけの力で歩める、大人になりたい。いつか、障害者福祉施設ではない、どこかで頑張りたい。でも、しばらくの間は、この施設で、仕事がきちんとできるぐらい、生きる力を取り戻したいと思う。
それから、パソコンでの作業は悪くない。今の時代、パソコンができると良いことがたくさんある。ただ、もう少し、紙のような媒体で絵や文章を描いても良いと思う。僕はピアノの才能もあると思う。ピアノや英会話も、頑張りたい。ただ、頑張りすぎて、過労で死なないようにしたい。あと20年ぐらいあれば、きっと何か大きなことができるかもしれない。まだ、分からない。