最近、デザインがきちんとできてきている。もう、昔の自分に逆戻りする必要はない。今の自分のままで分かる。
僕は、再度哲学をやりたいと思う。カントやヘーゲルも良いが、それらは十分過去に学んだため、むしろ、ウィトゲンシュタインのような現代哲学をやりたい。
ウィトゲンシュタインの解説書を読んでいて、自分なりに分かったことがあるので、それを書く。
1.考えるべきことは、現実にあるものや存在が何であるか、仕組みや原理が何であるかではなく、「事実」とは何であるかを考えることである。
2.考えるべきことは、知識や学問の構造や原則が何であるかではなく、「命題」とは何であるかを考えることである。
この2つは、ウィトゲンシュタインの「世界はものではなく事実である」とか、「命題は自然法則であり、他を語ることは無意味である」といったことから、分かったことである。
自分は、子供のように、学問や現実にあるものを観察し、知ることで分かろうとしているが、その多くは無意味で、根拠まで考えていない。
また、他にも言えることがある。これらは、ウィトゲンシュタインとは無関係だが、ウィトゲンシュタインを読んで自分が思ったことである。
3.事実や命題について、正しいとか、間違っているとかを評価しなければならない。そして、有意義だと思うことに注力し、無意味なことは無意味だと言って切り捨てなければならない。
4.事実のような起き得るべきことに対して、起きる前に事前に予測しなければならない。
5.評価と予測は、それ自体が言語的な命題と事実である。そのような「言語」を考えなければならない。
今日のところは、そんな感じである。
昔は、理論的な理屈で、政治モデルのようなことを考えていた。たとえば、自由ノルマ。これは、決められたノルマであっても、個人がどれを選択するか、選べるようにする、というものである。また、社会所有の都市景観の改善は、都市を社会所有とすることで、都市の景観を変えられる、とするものである。自分が本当に首相になった時は、そのような「賢い社会政策」をやっても良いかもしれないと思う。