新・日記2に戻る | 2019年5月の日記に戻る

=2019-05-27=

機会の平等を信じなさい。「自分には潜在的にどんなことができるのか」を、学習と経験から考えなさい。

全てのことは、今できる。

世界の裏側にいる、悪魔の独裁者を倒しなさい。

平和を信じて、一歩ずつ歩んでいけば、必ず良い世界になる。一歩一歩の努力が必要である。そのためには、情報収集をすることと、世界を良く観察し、さまざまな経験をすること。

自分のような人間にはならなくて良い。あなたのなりたい誰かになれば、それで良い。決して、僕を目標にしないこと。もっと賢い人はたくさん居る。

実質的な自由を重視しなさい。裏で誰かが支配していても、実質的に自由ならばそれで良い。この考え方を突き詰めていくと、ロシア的な新しいコンピュータ社会の在り方が見えてくる。実質的な自由がどんどん増えていって、楽になる代わり、裏ではMicrosoftが支配している。そう、今のこの世界は、そのような「自由のない自由」になっている。

だが、この自由は悪いものではない。誰かが自由を自ら行使しないのと、その誰かが強制的に自由を行使できないのは、別の誰かから見れば同じだからである。

本当に自由になりたいのであれば、全てのことを全部自分で作るほかない。あるいは、Linuxはオープンソースだが、Linuxを選ぶこともできる。この場合、逆に自由でなく私有物を独占することができなくなる。それもまた、自由ではないだろう。

そう、この世界は、パソコンとロシアの融和によって、「本当の自由はないが、実質的な自由はどんどん増えていく」ようになるだろう。

だが、それを黙って見ていない集団がいる。それは、日本や中国、あるいはインドなどの「中間先進国」である。後進国と先進国の間のようなアジアの国は、MicrosoftとLinuxが無意味な「不自由戦争」をしているのを、黙って見ていない。必ず、「本当に自由な技術と社会」を作り出すだろう。そう、旗を振る役目をするのは日本である。WindowsでもLinuxでもない、またファーウェイのようにAndroidの一部機能・サービスを提供されなくても、新しいOSとコンピュータを僕らが作るだろう。見ていてほしい。僕らは必ずそれをやり遂げるだろう。本当に自由なOSと、本当に自由なコンピュータになる。人々は自分のプログラムのソースコードを改変し、改良することができる。だが、同時に、きちんと開発者にお金が入るようにする。広告のような劣悪な媒体は使わない。きちんと金を払う。コピーや再配布は、ライセンスを持っている人間たちの間でできるようになる。だが、ライセンスに金を払う。きっと実現できる。OSのコードベースは*BSDを使えば良い。

本当は、悪魔になっているから悪いことが起きる。ゾロアスター教の言葉を使えば分かる。アーリマンになっているから、悪や悲惨なことばかり起きる。アフラ・マズダを信じれば、すぐに良いことが起きる。この世界の歴史は、全て、神を信じるものと悪魔を信じるものの戦いである。ユダヤ人も、ソ連も全て悪魔である。正しいのは、アメリカでも日本でもない。正しいのはアフラ・マズダである。

アフラ・マズダを信じると、何もない空っぽの心が治った。意識の中に何も無くなっている。なんにもない。

アーリマンを信じない方が良い。アーリマンはこういう悪い人間に憑りついて悪いことをする。神とはいうが、神と言っているのは多くがアーリマンだ。きちんとアフラ・マズダを信じれば、アーリマンはすぐに死ぬ。ユダヤ人もソ連も似たようなものだ。

自分は、何もなくなっているだけではなく、言葉の知性がおかしくなっている。オットセイの言葉ぐらいの馬鹿を喋っている。辛いように見えて、最近あまり辛くなくなった。こういう風にすれば精神は治る。ただ、そんな体験はしない方が良い。この精神を治す地獄は、治るために全てを失うだけだ。

ただ、ゾロアスター教の信仰を押し付けるものではない。宗教なんか、信じない方が良い、ということが分かった。

そして、この世界を指導者として良い世界にしなければならない。そのためには、オープンソースも間違っている

一度、自由すぎるこの世界を正す必要がある。自由は間違っている。

ただ、Microsoftは自由ではない。LinuxもAndroidも、逆に自由ではない。本当の自由とは何なのか、それを再考する必要がある。Windowsの自由も、オープンソースの自由も、どちらも不自由である。FacebookやGoogleも、全部不自由である。

自由とは、人間性と自尊心が伴うものでなければならない。そのためには、相対的に数学で把握してはならない。感情で考えなければ、良くならない。感情で相手のことを愛せるのであれば、その愛が正しい。そして、愛には代償が伴う。その代償が不自由だとすれば、それは間違った愛である。何が愛かという話は、どのように愛するかという話である。

そもそも、自分は良くわかっていない。自由なんか、そんなに望んでも良いことは何もない。

そもそも、オープンソースは自由が嫌いである。みんなにソースコードを公開してほしいだけである。

そして、MicrosoftやGoogleは、まさに自由が嫌いである。

そんなに自分だけ自由を望むから、何もできなくなって、誰にも助けてもらえない、それが今の僕である。

あまり意味がないが、自由はやめた方が良い。明らかに、自由にするせいで、みんなが自由になっている。

不自由な絶対平和主義を掲げた方が良い。絶対平和主義で、誰も力を持たなくなれば、平等になる。当たり前に、それがいつもの良かった日本である。昔は左翼の方が多かった。自由なんか、間違っている。

アフラ・マズダを信じることにする。

神は、誇張するなと言っている。誇張すると馬鹿になる。

平和になってほしい。それだけを願う。