精神は、オフにすれば治る。使うのをやめて、オフにすれば良い。
僕は、Linuxの管理を行うのであっても、「システム指向」ではなく、「過去の行動指向」をベースにした管理を行うとどうかと思う。
たとえば、パッケージの依存情報を管理する際に、「何に必要か」を記録するのではなく、「過去にどのような目的でインストールしたか」を「ログ」のような形で記録しておく。
記録には「タイムベース」の記録を行う。たとえば、「2019.05.17にパッケージXの依存関係としてインストールした」という情報を記録しておき、削除したい時は、「このパッケージは2019.05.17にパッケージXの依存関係としてインストールしました。本当に削除しますか?」と聞く。そして、削除するとしたら、さくっと削除する。
このようにログ・タイムベースの管理を行うことで、管理がしやすくなる。システムベースからタイムベースに移行すれば、「どんな目的でインストールしたか」というのを忘れた時にも、システムがそれを覚えていてくれる。僕は画期的だと思う。
これは、法律にも適用できる。「この法律は2019.05.17に平和目的として裁定」とし、別の法律で「平和目的とは...」を記述して、その中で「平和目的の法律を軍事目的で利用してはならない」などとする。ある意味、タグのような形で、法律に「その時の目的やログ」を残すことができる。
治るためには、昔あったことを忘れて、今あることだけを考えること。昔あったことは、昔のことのうち、今残っていることしか、今あることは無い。今残っていることだけから考えれば、すぐに考えられる。今残っていることだけを考えれば、馬鹿の病気も治る。
自分が他人になったかのつもりで考えなさい。その人間の立場に立てば、誰もが同じ正しいことをする。
脳が動き回るのは、自由に動けるのに動かないからだ。
脳は、傾け、動きながら、抽出する。これを、自分の力で切り裂けば良い。
精神が疲れるのは、精神が緊張状態になっている。緊張状態を解放すれば、精神は楽になる。
簡単なことが辛いのは、そんなに辛いことが簡単にできる方がおかしいからだ。
精神の緊張状態を解けば、神との対話は終わる。