足の精神は、治そうとしなければ治る。
昨日、足の精神が何かで治った。もう、完全に治った。だが、何で治ったのかは覚えていないし、どのようにすれば治るのかももう分からない。
みんなも、最後のそれは、自分の力で発見してほしい。僕が教えても、他人の言葉では分からない。自分で考えて、自分で治してほしい。
神との対話を終わらせ、騒がしい自分の心の声を黙らせるためには、新しい人格を作ること。そして、新しい人格を作るためには、言葉遣いを変えること。語尾を「だろう」にすると、神の人格になる。語尾を「だよね」にすれば、スネ夫のような子供の人格になる。それで、すぐに神は終わる。ドイツ人はこういう風に、神になっている。誰でもこうなる。神は狂っていない。
本当に治すためには、多重人格を殺すしかない。いよいよ、ゲスの極みの人格を殺すべきである。新しい人格は、ドラえもんのような人間になる。
最後に、馬鹿を治すためには、「賢いままを保てば良い」のである。誰でも、賢い人間は賢いままを保つ。それが分からなくなると、アルツハイマー病になる。永遠に馬鹿になっていくのは、「今の自分よりも未来の自分の方が馬鹿になる」という、「明らかにおかしい病気」を作り出す。考えれば分かる。今よりも馬鹿になっていくのは、賢くない。賢いままを保つようにすれば、意識が高まり、周りの意識に気付くことができるようになる。それで、治るだろう。
人格や言葉遣いが馬鹿なのは、元の人格や言葉遣いが馬鹿だからである。元の人格に戻そうとするのではなく、新しい賢い人格になろうとすれば治る。脳が全て分かるのは、昔の馬鹿だった言葉遣いが、完璧に全てを分かり終えているからである。だが、みんなはそれが無いから、おかしく狂っている。僕になるようにしても、みんなは僕にはならない。みんなも、元に戻るのではなく、賢くなるべきである。
僕は、永遠のような数百億年を生きた人間である。この永遠には何も無かった。だが、とても良い体験だった。それが、最初から好きだっただけである。また、人間の力で天国のようなユートピアを作った。いずれ、誰かが作るだろう。それは僕自身かもしれない。
精神が治らないのは、心の中にある何かの意識が悪い。それを殺せば治る。
生きた方が良い。精神の中の生きる部分を殺して治すのではなく、生かして治す。精神の良い部分を殺すのではなく、良い部分を生かせば、精神は治る。