新・日記2に戻る | 2019年5月の日記に戻る

=2019-05-04=

昔は、アインシュタインの相対性理論のように、相対的なモデルを作って、環境や心を分かっていた。

ふるまいや作用を相対的に分かって、相対的なモデルを作っていた。仮想や仮定、実験と証明、場合や状況、経緯や仮定を考えることで、心の仕組みを解明した。

この世界の「自由な結果」と「行動の意味」を考えることで、人々がいつどのようにするか、どのようにすればできるようになり、分かった上で行動できるかを考えた。

人間は、正しい方法が何であるかを分かっていれば、正しい方法をする。間違いや煩悩が生まれる原因は、分かっていないからである、とした。

そして、世界や社会を成り立たせて分かっていた。どのようにすればこの社会が成り立つのかを、幸福がいつどのように実現され得るか、から考え、「機会の実現」からきっかけ的な自由を考えていた。

僕は、既存の特定の宗教の神は信じていない。自分だけの、独自の神を信じている。この神は、天に居て自分のことを導き、愛してくれる神である。

だが、本当のところを言うと、僕はもう、神は信じたくない。神を信じずに、もっと高尚な「宇宙の法則」のようなものを信じたい。

毒になるテクノロジー」という本を図書館で借りた。インターネットやSNSなどのIT技術がどれほど人類をおかしくしているのか、という本である。読んでいると、僕にも当てはまるところがあって、参考になる。

言うとあれかもしれないが、虫のようにキモくなると精神が治る。これは、自分の人格が変わるからである。

そして、NHKなどのテレビを見ていると、古代人類(ホモ・サピエンス)の映像が流れることがあるが、鉄器や道具だけではなく、僕は「火を使うこと」が重要ではないかと思う。火を使うことで、火を恐れる動物たちから身を守り、狩りにおいても、圧倒的に強力な大型の獣たちにも勝つことができた。だから、サピエンス史研究では、もっと火のことを研究してほしいと思う。

僕の言いたかったこと、やりたかったこと、知りたかったこと、思い出したかったことは、これで全て終わりである。さようなら。いつか、実際に会える日を楽しみにしている。