新・日記2に戻る | 2019年4月の日記に戻る

=2019-04-01=

自分は、「途中で止まっている」ところから、変わっていない。言ってしまえば、「文章を書きかけのまま、そのままを生きている」ということをしている。文章執筆中を継続している。今から、きちんと最初からやれば、できる。

狂った人間は、大人になっている。子供に戻れば、狂った人間は治る。みんなに八つ当たりして、嫌いな人間のことをすぐに嫌いになれば良い。それだけで子供になれる。だが、それはただの餓鬼である。大人は狂っているように見えて、本当は包容力がある。みんなを愛しているから、間違ったことができない。それが大人であり、そもそもが大人は最初から狂っているのである。

新しい元号が「令和」になったが、これにはいくつかの思うところがある。まず、ネガティブな意見を3つ。

1.「令」という漢字は「冷たさ」を連想させる。社会の人々みんなが冷たく接するようになるような、そんな時代を印象付ける。

2.「令」という漢字は「命令」を連想させる。社会全体が「命令されて平和になる」かのような、そんな印象が時代に適用されてしまう。

3.「令」という漢字は簡素すぎて、かっこよくない。辺や作りのようなものを何か加えた方が良い。「麗」の方が良かったのではないか。

また、ポジティブな意見を1つ。

4.あまりおかしくない二つの漢字で良かった。「青春元年」とかになったらどうしようかと思ってしまう。「令和まんじゅう」のようなものを作ると、なんだか江戸時代の饅頭のようで格調高い。

そういうわけで、良い時代になってほしい。とにかく、実際の時代が良い時代になれば、それで良い。