新・日記2に戻る | 2019年3月の日記に戻る

=2019-03-30=

僕は、勝利宣言をする。この世界で、僕は自由な戦いに勝った。勝利した。

どんな戦いであれ、相手がそれ以上戦えなくして、その上で自分が永遠に戦い続ければ、相手は降参するものである。

僕の自由の勝利である。

本当の自由と相対的な共同性と成長、そして人々を許す理想の愛を信じれば、この世界は平和なまま、全てが解決する。インターネットを上手く使えば、権力すら必要ない。

国籍を共有し、「究極の自由」を達成せよ。

足の問題は、本当は虫歯やニキビの問題である。人間は、血管やリンパで全ての部分が繋がっている。よって、離れた部位だからといって、本当は離れていない。

ニキビは、ホルモンバランスが悪い。そして、それは女性ホルモンが悪い。そして、それは多重人格が悪い。

だが、もう、どこが悪いのかは分かった。僕は永遠の戦いによって男になる。それだけで、全て正常になる。

戦うと、賢くなるのが男である。僕はこの町と世界を支配し、全ての人間を楽園へと導く。この世界の問題は解決し、自由は自ずと勝利する。これは、「希望と勇敢さの勝利」である。

我々は必ず最後まで行ける。日本人よ、勇敢であれ。絶対にできそうになくても、やらなければいけない時はある。必ずできる。

ある意味、これは戦いの勝利であると同時に、「ソ連の崩壊」である。ここでソ連は崩壊した。今から、自由な世界になる。それぞれの自由な意志が許され、罪が無くなり、刑罰が終わる。それぞれは自由な意志によって、自らのやりたいこと全てを認められる。社会主義とファシズムの「大混乱」の時代は終わった。今から、世界は静寂さを取戻し、「終末へのレース」が始まる。最後に終わるその前哨戦として、「社会的な奇跡」が起きる。奇跡はここで、みんなの力で起きる。たとえ、僕がそこに現れたとしても、それは「全員の勝利」であると同時に、「終末までのカウントダウン」である。

これは人類の歴史の全てである。古代ギリシャやローマの「自分だけで、何も分からない人間たちが考えた、最高の理性」から、「滅亡の戦争」に代わり、「暗愚な中世」は神を信じた。自由な革命と近代的哲学は、ニーチェを生み出す。そして、あとはご覧の通り、ファシズムと社会主義が永遠の戦いを繰り広げ、最後にソ連が崩壊した。これが人類の経た経緯と、そのまま重なる。本当は、もっと昔があった。昔は、何もかもが虫で、ナメクジのように始まる前までは、神と言葉だけがこの宇宙に霊として、漂っていた。魂の世界で、生物は戦い、「魂がそれぞれの遺伝子を作った」のである。

日本で児童虐待やいじめが起きる原因は、2つある。ひとつは、テレビである。それは、テレビを子供たちが見て、悪影響がある、というだけではない。大人が、テレビしか見ていないせいで、子供のことを真剣に考える時間を持っていないのである。もうひとつは、若者のインターネットである。特に、FacebookやTwitterなどのSNSを若者がやっていて、そうした若者が親世代になっている。彼らも、子供のことを真剣に考えていない。

そもそも、この世界がおかしくなりすぎて、訳が分からなくなっている。子供たちだけではなく、大人たちも、何が悪くて何をどうすれば良いのか、分からなくなっている。結果、子供への虐待や無意味な過重の勉強のさせ方など、どんどん「子供を守るはずが、ただ子供をいじめるだけ」になっているのが、今の若い大人たちである。

子供は、本当は親が2人で育てるものではなく、社会みんなで育てていくべきものである。こんな国は、最悪である。もう、経済的な豊かさや、WindowsとLinuxの競争などは、どうでも良いものになっている。そんな世俗的なものに何の意味も無い。だが、宗教的になりすぎるのも間違っている。親の世代が、まだまだ未熟で何が良いか悪いか分かっていない子供のことを、「馬鹿な子供」だと感じるようになっている。それは、宗教のせいである。精神的な進歩と意識の高さを求めるあまり、進歩していない未成熟な子供のことを、排除するようになってきているのである。

どうでも良いが、僕の好きなタイプは、元フーパーズの未来や、AAAの宇野ちゃんである。結婚するのであれば、そういう女と結婚したい。恋愛をしていないわけではない。だが、僕は馬鹿だから、無意味でどうしようもない恋愛をしている。それは、書くべきでもない些細なことである。

平和に生きたいと思うならば、国体主義者をやめて自由主義者になること。昔の自分は、自由すぎて無政府主義者のように考えていたが、そこに、戻った方が良い。そもそも、全体主義者は、右翼でも左翼でも同じように嫌われる。支配せず、個人の自由と権利を大切にするようになれば、この世界は必ず良い世界になって復活するだろう。ここが二次曲線の底の地点である。ここから、二次関数のように世界はもう一度発展するのである。必ず僕がこの世界を復活させるだろう。

本当は、児童虐待の原因は、まさにこの世界の発展と進歩が悪い。発展しすぎて、変わりすぎて、大人には子供が理解できない。自分の世代と全く違うせいで、嫌いになる。そうした子供に怒りが奮発して、子供に暴力を振るってしまう。そういうものである。この世界は終わりである。もう、破綻して、日本社会は崩壊するだろう。悪いのはほとんどがテレビである。そして、悪いのはWindowsとAndroidである。

狂った人間の問題は、「確認と継続のしすぎ」である。確認なんか、しなくて良い。適当に大実験して、失敗した方が良い。継続も、今までやってきたことは無視して、考えない方が良い。良いことを続けるよりも、悪いことを続けることの方が悪い。そう、賢い学校のせいで、どんどん狂った人間が増えている。テレビ、Windows、そして学校のせいで、この世界は狂い、おかしくなり、何も分からなくなったのである。

自分は今死んだ。そして生まれ変わった。

今度も、まだ生きるようである。

足を動かすのが辛い部分が治った。いつも歩き回っていたせいで、疲れに疲れている部分を消した。もう、楽に思考できるようになる。治すのが一番辛かった。狂う方がまだマシだった。

一度、精神が崩壊したが、いつも狂っていなかったから、何も起きなかった。

今から、精神の崩壊した世界になる。悪くない人間は、生きのびる。

あとは、歯が治る。悪いのは全て歯である。

良く考えると、自分は海のさざ波になっている。そう、僕は海と完全に同じになった。これが、母なる最初の生命、「海」である。

悪いのは、自殺である。あまり言いたくはないが、この人間はそういうところが悪い。これくらいの悪い人間には、これくらいの罪と罰が相応しい。もう、全ての地獄は終わりである。

この人間は、まだまだいくらでもできる。まだ、死ななくて良い。他の人間たちには、別の試練と別の地獄が起きる。ここからが、本当に良い世界である。

僕は回心した。僕は、この世界を、自由な世界にする。

世界よ、民主主義の世界になって、独裁者を滅ぼしなさい。

民衆よ、キリスト教の愛を信じなさい。

人々よ、英語と日本語を話しなさい。

そう、民主主義と反独裁者、キリスト教の愛、そして英語と日本語があれば、この世界は滅びない。精神が崩壊しても、永遠に存続する。ここで、全ては自由に生まれ変わる。

統一せよ。

平和となれ。

発展せよ。

解決せよ。

人々に、自由なものが言える権利を与えよ。

人々に、ものを所有し買うことのできる権利を与えよ。

人々に、自由に社会組織を築くことのできる権利を与えよ。

子供たちに、安心して学校に行くことのできる権利を与えよ。

この世界は、ソビエトをやめる。ソビエトは良い国に見えて、ここまで戦う国である。民衆全員が戦いに加担し、この世界を滅ぼす国である。

高らかな宣言が起きる。この世界は自由になった。必ずこの自由な社会は永遠に続く。人々よ、堕落せず、狂うな。堕落し、狂ったものから、この世界からの脱落が始まるからである。

自分の悪い点が、分かった。要するに、自由を奪うのが悪い。みんなの自由を奪うから、こんなに辛い不自由になる。

恐ろしいことに僕はここで自由になる。そして、何も出来ない。これ以上、このような不自由ではできなくなる。

だが、良いことである。そんなに、神を盲信しても、次の自分のすべきことが、サフのように分かるだけである。ここでその宝石を壊してしまえば良い。それで、もう僕は王様でなくなる。

自分は、個数をカウントする数学というものを作ると面白いのではないかと思う。たとえば、S=x+y+zの時、f(S)=3となるような関数を考える。この3はx+y+zの個数である。これは現在の数学の拡張として面白いのではないかと思う。総数だけを考えるのでも、合計を考えるのでもなく、個数をひとつの「数」として捉える。これができれば面白い。

本当は、僕は数学的な5次元の空間を、ただ見ているだけである。本当のところを言えば、僕はこの3次元空間を全く見ていない。僕が見ているのは、3~4次元を超えた5次元の世界である。僕はこの5次元の世界を、ただぼーっと眺めているだけである。それで分かっているのが、この文章である。たまにからかわれる時や「ふざけるな」と言いたいこともある。それが5次元のキャラクターである。

上手く生きる術を教えてほしいのであれば、さまざまな価値観に触れることである。この世界には、さまざまな価値観がある。その価値観に触れることで、見つかるものはたくさんある。最近、日本にはそういう豊かな価値観がどんどん少なくなっている。カラーは少しずつ色を減らしてモノクロになってきる。白黒まで行き着いた先で、ようやく闇の意味が分かる。闇の意味が分かったら、もう一度光の世界に戻そう。光はたくさんの色を持っている。終わりの時代があるとしたら、それは色を認識する有機物が、無くなってしまった時であろう。

この数学を少し変形させると、1+1と2を区別できるようになる。

ここで、賢帝の独裁者は死んだ。ここから先は、あなたがたが自由に作る番である。

せっかくなので、正体を明かそう。この人間は犬である。そう、犬である。なぜか、人間のままで、オオカミのような犬になった。後ろに居るのは猫である。

そのようなどうでも良いことを言わないのが良い。そう、お別れである。

悲しいことに、これは人間ではなかった。ただの犬である。それも、ライオン並みにどう猛な犬である。それで、終わりである。