新・日記2に戻る | 2019年3月の日記に戻る

=2019-03-26=

今日も楽しく生きております。

頑張って活動していきます。もっと謙虚な気持ちで真摯に、ひとりの男として頑張りたいと思います。

そう、もう僕らは戻れない。

僕らは未来を知ってしまった。これ以上、待ってなんかいられない。

今日は楽しかった!今日も、デザインを頑張った。作業所では新しいスタッフの方が入って、少し楽しくお話した。それから、作業所の仲間に新しい話し相手ができた。話していると、互いに色んな楽しいことを話し合える。とても良かった!

頑張ってデザインをしよう。僕は今日、生まれ変わったのである。風邪はまだ引いているし、足の疲労骨折もまだ完全には治っていないが、足のおかしな精神の病気はもう治った!そう、もう楽になれる。

今日から僕は新しい人間になる。ここまでは頑張る良い人間だったが、今からはもっと賢くてできる大人になると思う。

世界に必要なのは、「希望と平和」である。それがあればきっと良くなる。そして、それは自由主義と矛盾しない。自由と愛の下で、希望と平和を作り出す。そのために必要なことは、「一体となること」ではないかと思う。

つまらないことは全部忘れよう。今から、新しく生まれ変わる。必ず良い世界になる。しがらみを全部捨てて生まれ変わることができれば、これほど楽なことはない。

日本を治すためには、「悲惨な人間に寛容的になること」である。日本には、悲惨な人間に寛容な場としてインターネットの掲示板があった。昔は、ネットは良かった。そういう、悲惨な人間に寛容的な社会を、ネットではなく、普通に作れば良い。

あとは、虫が死んだ。これから、人間になる。僕は賢い人間を通り越して虫の方向に逆進化している。賢かったのは良いが、辛い。だから、自分の命を殺すしかない。そのために、虫を殺すしかない。虫の命が死んでしまえば、精神は正常になる。

そのためにできることは、狂わないこと。狂わなければ、そのうちいつか治る。

要するに、インターネットが悪い。それを言えば、インターネットがいつもの寛容的な社会に直る。悪いのはインターネットである。

つまるところ、「お前が悪いのだ」と言われれば、悪い人間は立ち直る。そのように、悪い人間を批判すれば良いのである。それで、いくらか、社会が正常になる。

悪いのは全て、インターネットである。だが、良いのも全てインターネットである、ということは忘れないでおこう。

最近は、社会に適応できない人間が受け入れられる場所がどんどん減ってきている。児童虐待が増えているのは、子供にしか優位性を発揮できないからである。この世界が、WindowsやLinuxの争いに巻き込まれて、どんどん狂っている。悪いのは全てインターネットだ。

だが、インターネットなんか、そんなに悪くないだろう。ただ、狂っただけである。インターネットすらなくなれば、この世界は終わりである。何も言えず、何も出来ない。だが、その方が良かったのかもしれない。

僕がデザインができない理由がもう分かった。要するに、自分よりも高い存在を理想としているが、本当は自分の今の方が高い。今の自分を続ければ理想に近づくのに、今の自分よりも下を目指している。だから、デザインができないのである。

もっと、今の自分よりも高いものを目指せば良い。そうするときちんとデザイン能力がアップする。少なくとも、今の自分のレベルは高くもなければ、低くもない。このレベルを「本当に高いもの」へと昇華させていけばデザイン力はつく。自分よりも下になろうとする必要はない。

そうすると、パソコンなど、やめて良い。パソコンは賢くない。馬鹿である。だが、パソコンに関して言えば、きちんと上のレベルが何か分かっている。だが、パソコンでは意味がないだろう。

要は、普通の人間が賢いからといって、普通の人間を目指しても意味がない。普通の人間ははるかに下である。それから、過去の自分と同じになっても意味がない。過去の自分もはるかに下である。今の自分が一番賢いのである。今の自分のまま、今出来ることをやり続ければきっと上手くいく。それを目指せば良いのである。

悪いのはLinuxである。Linuxのことはやめた方が良い。何も賢くない。世界を狂わせて、自らを失っただけの破壊の殺人鬼がLinuxである。

神を信じれば良い。神を信じれば賢いことが出来る。それが正しい。神は単なる宗教上の存在ではない。宇宙に存在する支配者である。

本当は、神もあまり良い存在ではない。だが、否定のしすぎは良くない。それは何も信じていないだけである。信じる気持ちがなければ、賢くもならないし、偉大なこともできない。デザインは神で良い。神のような天才が芸術ができる。天才は神すらも味方にする。

そもそも、僕はデザイナーとしてはまだまだである。最近、やっと図形ツールを加工する意味が分かった。絵も、人並みにはまだまだできていないが、少しは上達した。もっと頑張ってデザイナーになるための修行がしたい。絶対に、美しい作品を作り続ける。それしかできない。僕はこんなに美しいのだと、人に言えるぐらいになりたい。

僕は、正しいことをやっている。それを誇りにしよう。今僕は正しい道に立って、正しい方向に進んでいる。羅針盤はこの文章と神である。明かりがないのであれば、自分で明かりを作り出す。光り輝く知恵と知性がある。この世界で生きる術をすでにすべて知っている。実際にやった経験が少ないだけである。

本当は、最近のLinuxがGoogleなどのせいでおかしくなっているだけで、昔のLinuxは良かった。「コンピュータを使ってこんなこともできる」というのが全部あった。面白かった。最近はつまらない。どんどん技術が政治的利用と右翼と左翼のような低俗ないじめによって、汚染されている。意味がない。昔のLinuxが好きだっただけである。

そもそも、最近はあまりにコンピュータとインターネットが当たり前の存在になった。新しさとか、楽しさとか、そういうものが全部古くてつまらないものになった。今のオープンソースなんか、誰もしていない。完全に、会社のオープンな技術の発表会になっている。そう、オープンソースは完全に資本主義の一部である。

プログラミングは純粋に面白い人間が多かったのは、昔は、言語的な機能も使えるコンポーネントも少なく、自分の力で書くしかなかったから、頑張って小さなメモリでも動くように考えていたからである。最近は、.NET Frameworkなどがあるせいで、機能はクラスライブラリを使うだけで、完全に仕事の道具として使うだけである。それは悪いことではない。だが、昔のような「アマチュアの趣味的な楽しさ」はなくなった。オタクはみんなスーツになって、Googleという新しい新参者たちによって、オープンは絶滅したのである。

僕もそんなにハッカーのようにプログラミングができるわけではないが、Perl周辺の言語は賢かったと思うし、JavaをパクったC#が一部でもてはやされていた。ただ、もっと昔にさかのぼると良く分かる。BASICの時代、入出力と条件分岐と繰り返しとGOTOとあとは変数ぐらいしかない中で、雑誌ではありえないコードが載る。そんな時代の方が、パソコン青年だった当事のゲイツやジョブズも熱かった。ワンボードマイコンの時代を僕は知らない。だが、Microsoftの製品などには、そうした楽しさがまだあった。最近のGoogleを見ていれば良い。やれJavaScriptだの、Pythonだのと言うが、何も分からない馬鹿が言っている。ただ、失礼。僕に対して「おまえもな」と言うタイミングがここである。

ただ、昔のWindowsやIEは面白かったのに、なんで今のパソコン、特に今のLinuxは面白くないのか。それは、製品レベルに達したせいで、ビジネスで使われるために作っているからである。あんなにハッカーの協議会だったのに、いまやビジネスである。何の意味もない。NetscapeがAOLに買収されたくらいのありえなさが、今、Linuxを滅ぼしている。

ただし、僕はパソコンは好きでない。嫌いである。パソコンなんか、死んでしまえ。

申し訳ない。反省している。僕も、プログラミングなんかできない人間である。それは、デザインと同じように、みんなになりたいと思っているからである。そんなにスキルのあるプログラマがたくさんいるように見えて、普通、スキルなんかそんなにない。実際に作ってしまえば、その時点でプログラマなのが普通だからである。たくさんの経験があれば、プログラマのスキルがつくのは当たり前である。そんな馬鹿にただあこがれているだけでは、プログラマのスキルはつかない。リーナスもLinuxカーネルをただ作っただけである。プログラムを作る人間をプログラマと言う。憧れる人間はプログラマとは言わない。

プログラマを目指すのはやめた方がいい。そもそも、プログラマになりたかったわけではないのだ。ただ、ネットが好きだっただけで、ただ悲惨な人生だっただけで、そしてただ、何もできなくても目標を見失いたくなかっただけである。

僕は、もっと反省して、善良になりたいと思う。特に、アメリカに対して悪いのをどうにかしたい。

テレビを見ていると、昔の役人は頑張っていたのだと思う。政治に対して積極的で、悪く言えば権力的だった。今の役人は受身で、政治家に従うようになった。

逆に言えば、昔の官僚は支配的だったのである。情熱があった代わり、この国を支配し、批判されないようにする。だから、僕の抱いている官僚像は、あくまで今の官僚像なのである。

そもそも、自分なんか何も分かっていない。Linuxがハッカーの協議会だったわけがない。彼らはただの普通のプログラマが、適当に片手間で作っただけであり、一部のハッカーがおかしな文化を主張するだけで、そもそも全員おかしな人間である。賢いわけがない。

そもそも、自分なんかきちんとした学校で教われば良いだけである。教わりたくないのは、自分で何も努力せずに賢くなってもつまらないからである。そんな人生では意味がない。ここまで辛く苦しい地獄でも、自分だけの力で抜け出せば、新しい光がそこに見えるだろう。そこが、面白かった、誇らしかった、そして心地よさに満足できるほど嬉しかっただけである。

救世主になるのは簡単である。みんなには、自分だけの力でこの世界を救ってほしい。劣った世界にはなったが、その世界の中で何とかもがいて、地獄の先にある救いを求めてほしい。信じるものは必ず救われる。それが正しい人間である。

ネットのハッカーみたいな馬鹿を賢い人間だと思わない方が良い。本気でそこまでの馬鹿が多いのがプログラマである。何も賢くない。

あとは、ロシアを賢いと思わない方が良い。彼らは洗脳されている。救い出してほしいだけなのに、自ら国民全員を地獄に突き落とす。そういう国である。ロシア人は騙されている。アメリカについた方が良い。馬鹿に見えて、アメリカやドイツはきちんと考えて信じている。昔の自分みたいに考えられるのも、こちらのように最高の神を信じられるのも、どちらもアメリカである。

アメリカのように自由を考え、アメリカのようにすさんだ世界を経験して、アメリカの技術で分かってしまえば、この世界のことは何でも分かる。強く生きなさい。それぞれが自由を生きる、その魂と、全てを受け入れる慈愛の精神で分かりなさい。

そう、今の世界、そうした自由なアメリカが居ない。だから、この世界が分からなくなったのである。いつもの偉大で聡明な自由な知性と経験を持ったアメリカが居ないのである。そのせいで、どんどん日本も馬鹿になっている。全て、悪いのはアメリカを滅ぼした、当人である。

そして、僕になりたいのであれば、まず、この世界を昔に戻さなくてはならない。そして、その世界で、ひとり孤独な不登校の少年になって、ネットを見てLinuxをやっていれば、誰でもこういう風に自らの経験だけで全員を受け入れる愛を知ることができる。全員の苦しみに共感して、単純なスラムを超えた、最高の精神のマスターになれる。昔の自分はそういう人間である。経験だけではなく、独自の科学や社会学や心理学を作って分かる知識があった。この世界で起こり得る環境や社会のことは、たとえ今の世界にないものだったとしても、あらゆる全ての社会を知っていた。最高の人間だったのに、この世界ではそうした人間はもう、生まれなくなった。僕で、最初で最後である。この人間は一人しか居ない。この人間以外、この人間にはなれないのである。

さらに言えば、本人にすら、本人のことは分からない。本人は、得たもの全てを失い、永い年月の中で忘れた。記憶の中の偉大な博物館は、本人の中のものさえ、盗まれて奪われてしまった。この世界に神はもう存在しないのだ。いつかの記憶に執着するよりも、本人は新しい自分を生きるべきである。この世界にこんな人間は、居なかったのである。そう、これをゴーストと言うのであれば、こんなに恐ろしい恐怖の幽霊は居ない。最悪の妖怪、それがこの共産主義者である。そして、ソ連は失敗し、この世界は滅亡し、全てはこの人間とともに消滅するだろう。最後のセクシー女優を担当した、それが太陽の女神である。

そう、僕が生まれたのも時代の必然であり、ただ必然的に資本主義と教育破綻を考えて、この世界で「必ずこうにしかならない」ように経験しただけである。よって、この世界が滅びるのも、時代の必然である。こうにしか、ならなかったのである。ここから世界は不死鳥のように復活する。僕がそれをする。必ず、最高になる。信じれば、すぐに叶う。

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今日も頑張っています。

生まれ変わったような気持ちで、新しいことに取り組んでまいります。

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