新・日記2に戻る | 2019年3月の日記に戻る

=2019-03-23=

昔は、さまざまな新しい発想を、「構造から発想を成り立たせる」ように書いていた。

英語を学ぶために。まず、日本の中に、英語しか話さない地域である「イングリッシュ・スピーキング・エリア」を作る。英語の勉強は、そのエリアに行って、英語だけの生活をさせる。そして、そこのイングリッシュ・スクールを4年で卒業したら、今度はニュージーランドのような英語圏の国に2年間留学させる。また、そこで終わりではない。英語をマスターしたら、今度はフランスやドイツに留学させて、フランス語やドイツ語を身につけさせる。フランスやドイツでも英語が通じるため、英語で生活できる。

国会の下部組織として、下部の評議会や委員会を作る。これは、国民全員が参加する「国民議会」である。そして、この国民議会の議長や委員長だけを集めて、国会を作る。こうすることで、選挙をしなくても、委員会への参加の権利だけで、もっと正しい民主主義を実現できる。左翼政治の理想である。

本当は、左翼経済が成功していたら、こんな資本主義の国にはならなかった。左翼のようなことを言うと、資本主義は資本家が生産手段を独占して搾取で儲けることで、何もせずに国家の大半の富を独占している。一方で、生活に困窮する貧乏人は、生活を切り詰めて、死に物狂いで働いて生きている。これは、左翼の悪平等よりも意味がない。

僕は自由主義や資本主義の経済学を否定するわけではないが、資本主義の現実とはそういうものである。社会主義経済が成功していたら、こうはならなかっただろう。

精神が治ってしまったせいで、この世界は自由になって馬鹿になる。むしろ、馬鹿の方が賢かった。このまま、知性のない人間になると、それがいつもの自分である。何も分からない人間が分かるのが人間である。日本は国民全員がそのようになるだろう。

役人の問題は、日本の役人は「正しいか間違っているかはどうでも良いから、支障が無く、当たり障りが無くやっている」だけである。だから、問題ができるだけ起きないように、どんなに間違っていることでも正しいことのようにやっていく。本当は、役所というのは公的権力である。きちんと法律に基づいてやらなければいけないのに、法律にすら基づいていない。役人は反省すべきである。

本当は、自分はオープンソースを良いものだと信じたのが間違っている。オープンソースの言っていることは、プロプライエタリな商用製品を「ソースコードがオープンでない」と言って否定する。これによって、会社の作る製品全てが間違っていることになる。僕は、自由で自発的な共有が好きだった代わり、会社の製品全てを信頼しなくなった。これによって、「会社」というきちんとした組織を全て信じなくなったのである。この世界全てを否定して、劣悪なオープンソース製品がいつか高品質になると信じている。だが、なるわけがない。

資本主義社会において、唯一良いのは、「日本の会社が信頼できる」ということである。日本の会社には良い会社が多い。信頼できる日本の製品を使えばそれで良い。だから、Windowsを否定するだけではなく、会社としての日本製品を肯定し、信頼してほしい。それで、きっと「僕よりも高い到達点」にたどり着ける。自由な共有は子供のゲームである。会社や資本主義社会を信じれば、僕よりも賢くて良い人間になれることだろう。僕の人生、本人の旅はここで終わりである。あなたには、もっと自由で素晴らしい人間になってほしい。

言ってしまえば、オープンソースはニートである。何もしなくて生きられる人間なら、オープンソースは成り立つ。オープンソースとインターネットのせいで、ニートがどんどん増えている。これを解決するためには、会社の方がオープンソースよりも優れていることを実証しなければならない。IT社会はニートの増殖で滅ぶ。そうなるだろう。

本当は、オープンソースは悪ではない。僕は、昔から自発的な共有が好きだが、それは共有というよりも、「自発的に与えること」が好きだっただけである。オープンソースは、自らの自由を主張せず、自発的に共有し、自分の手間と時間を捧げて、みんなのために貢献する。そのため、オープンソースはきちんと賢くなる。

僕はこの世界全てを支配して、王国を築く。この世界は、もう、分裂しない。必ず実現するその国では、核兵器も、温暖化の原因となる石油エネルギーも無い。全て、新しいものに置き換わる。必ず最高の国になる。絶対に楽園になる。この王国では、間違ったものや汚れたものがひとつもない。抑圧も狂いも生まれない。正常な精神と、平等なものを全ての人間に与える。生活は豊かになる。それは、資本家という富を独占するものを無くし、平等にすれば、世界全体の富の多くが再分配されるからである。そして、核兵器は世界政府によって無くなるだろう。

この国で行うことは、経済力の強化でも戦争でもない。この王国では、地球温暖化と核兵器のこと以外、何も考えない。それだけを解決して、この王国は世界政府となるだろう。

IT長者は必要ない。僕はそれらの富を弱者たちに再分配する。それによって、この世界は豊かな世界になる。また、要らないサービスや産業を減らして、食べ物を効率的に作り、必要な家電や車のようなものは全て無料で与える。必ず楽園になるだろう。

今までの人生を生きてきて、賢かったのは何であろうか。それは、仏の慈悲とキリストの信仰心である。それだけが賢かった。人々を愛して、救世主となり、神の対話を最後まで聞いたせいで、たくさんの良いことがあった。この世界は賢くない。池上彰の本などを読んでいると、政治や経済の話はつまらないだけである。やれ政治家だの、憲法だの、役職だの、制度だの、そういう話ばかりする。逆に、心理学はおかしい。心理学は、おかしいだけである。この世界は賢くない。なぜなら、そういう人間が賢いだけだからである。賢いのは、少年の純粋な心とキリスト教だけである。

僕のことは信じなくて良い。代わりに、僕と同じようにイエス・キリストを信じて欲しい。それが出来る人間だけが、賢い人間になる。そして、その上で、やるべきことを全てやってほしい。必ずあなたは、僕を超えて成功者になるだろう。最高の人間になりたいのであれば、キリストを信じることである。神は雨しか降らさないが、それは平等である。

ある意味、平等が一番良い。昔の日本が賢かったのは、まだ、平等で、みんな似通った人間たちだったからである。日本には何も無く、漫画やテレビはどれも同じだった。みんな、そんなにこの世界のことを知らなかった。今の世界は、多様性や個性と言うかっこいい名前の分裂が、人々の環境をそれぞれ違うものにし、全く違った人間たちにしている。これで、他人のことがどうでも良いのは当たり前である。自分の子供すら、分からない。それは、自分が自分の親に「分かられていなかった」からである。テレビゲームやパソコンは、親は全く分からなかった。結局、親に愛されていないから、自分も子供を愛することができずに、児童虐待をする。子供も愛を知らないから、いじめをする。全て、分裂と多様性が悪い。ただし、それこそ、本当は平等や同じも悪い。それは、平等の思想は、自分とは違う他者を受け入れないからである。みんなが本当に同じになった後に、自分とは違う人間を受け入れるようになった時、トランプや北朝鮮のような人間ははじめて自分のことを愛せるようになる。多様性が生まれることで、賢い人生を歩めるようになる。今の日本では、それは難しいだろう。悪いのはアメリカだが、アメリカも望んでそうなったわけではない。

北朝鮮は、馬鹿なフリをして賢いことをしている。キムジョンウンは、核兵器を実際に作って、「これくらいで作れるのが分かった」という成果を得た。いつでも作れることが分かったから、工場は閉鎖して構わない。それよりも、アメリカを手玉に取りたい。本当は、最初から二回目の会談で合意などしたくなかった。アメリカのトランプ支持者を動揺させて、トランプを完全に手玉に取り、できることならば配下に置きたい。トランプは馬鹿だが、馬鹿なりに賢いことをやるから、何も出来なくして簡単な答えを与えれば、手玉にできる。だから、これは上手く使えば、北朝鮮がアメリカを支配することすらできる。そのために、落とすわけがない核ミサイルなんか、持っていても何の得にもならない。友好ムードのままで、アメリカを動揺させれば、何でも出来る、と考えているのが北朝鮮である。

終わりに、僕は反省している。何もかも僕が悪かった。僕が指導者になんかならない方が良い。僕は政治のことは全く分からない。だから、僕は顧問のような立場で意見するだけにして、他の人に首相をやってほしい。僕は開かれたことを言うものの、たまにわがままで頭の固いことを言う。そんな僕と上手く付き合える人間が、僕が間違っている時はその人に自由に行動してほしい、そんな人が現れるのを僕は待っている。僕はあくまで作家であり、学生である。僕は王にはならない。王はこれくらいの革命家の皇帝の経験で十分である。

インターネットの若い世代への悪影響は、まだある。成長出来ない世界になった。それは、この世界がおかしくなったからである。おかしく、何も無く、成長することも人ときちんと関わり合って愛したり笑ったり泣いたりして成長するようなこと、全て無くなった。楽になって、便利になった代わり、人生における進歩や価値のようなもの全てがインターネットによって無くなった。こんな世界では、最初に生まれて死ぬまで、一度も成長しないし、一切成熟を知らないまま、ティーンエイジャーの年齢の10年が過ぎてしまう。言ってしまえば、「若い世代が赤ちゃん化している」のである。赤ん坊に子供が育てられるわけがない。そして、その理由は、「親が愛していないから」である。そもそも、親も愛を知らない。親の世代も、テレビや戦後の平和主義のせいで、何も成熟を知らない。積もり積もって、一番悲惨な今の平成生まれの子供世代は馬鹿親になっている。

ただし、本当は、若い世代は一切成熟していないわけではない。インターネットでさまざまな人と会話し、つき合うことで、昔の親以上に成長している。だが、その成長がさらに悪い。それは、「おかしなインターネットと呼ばれる特異な成長」をしたせいで、「普通の人間の愛とは何なのか」が分からない。おかしなネットの愛を愛だと勘違いしている。そのせいで、正常だった子供時代の全てを失い、「狂人」になっている。そんな狂人が子供を育てているから、児童虐待やいじめが起きる。そもそも、全ては狂っているのである。

本当に、フロイトがつまらないのは、そうした狂人を治す学問をすることで、狂人と同じになるからである。そういう狂人には、特異な経験だけが豊かな、哲学者しか居ない。そんな人間が大統領になった馬鹿がアメリカである。そう、もうこの世界は終わりである。全ての人間が馬鹿になって、崩壊し、滅亡するだろう。そこで勝つのは、ただ一人僕だけである。本当にそうした「愛の全て」が分かるのは、このような経験を全て最後までした僕だけである。なぜかと言えば、キリストが好きだったからである。キリストの言う、終末が訪れる。この世界で裁かれるものは、神を信じないものたちである。

そもそも、昔と変わりすぎた、というのもある。最近は老人も馬鹿である。老人が、今の世界がどんな世界なのかを知らないから、オレオレ詐欺が電話にかかってきても、唯一の信頼できる「息子」を信頼してしまう。今の若い親の世代のさらに親の世代なんか、一番成熟を知らない。宇多田ヒカルや浜崎あゆみの時代だと思えば良い。社会のことを全く信じずに、反抗だけをしてきて、最悪の世界の中をひとり孤独に愛されず生きてきた、辛かったのに馬鹿だった世代である。その世代にとって、今の若者は「絶対に理解できない」のである。今の若者全てが、赤ん坊のように馬鹿なわけではなく、本当は将棋やフィギュアスケートなどで活躍する若い世代を見れば分かるように、「純粋なままの天才」になっている。それは、インターネットとテレビを見ていれば、必要なものが何もしなくても何でも揃う時代だからである。金儲けをしなくても、ネットとパソコンだけで何でも必要なものは揃う。そうすると、何が必要で何が不要なのかが分かる。よって、悪いのは子供ではなく、「馬鹿親」であり、結果、本当は未来の世代はパソコンを否定してまともになる。世界はまだ終わっていない。平成世代が最悪だっただけで、未来においては正常になるだろう。

インターネットが悪いと良く批判されるインターネットだが、僕が昔のインターネットを知っているから言えることとして、「昔のインターネットは良かった」ということがある。世界が変動し、ダイナミックに移り変わる中で、友情と新しい世界観の進歩を知ることで、この世界と宇宙の全てを実感として知ることができる、それが昔のインターネットだった。最近の若者が悲惨なのは、最近の若者は昔のインターネットとは逆の、何も成長のない、子供のお遊びのようなインターネットしか知らないことである。そのせいで、本当に親が見て子供が理解できない。みな、親のことを馬鹿とか、悪いとか言う。それが辛いから児童虐待をする。そういうわけで、世界の終わりというよりは、馬鹿親の終わりである。そして、ちょうど僕がそれくらいの「馬鹿親の世代」ではないかと思う。この馬鹿親の世代は、たくさんのことがあった昔の世界と、何もない今の世界を比べて、悪い方を取る。良い方を子供がとると叱る。それで子供が反発する。もう、こんな平成の時代は終わりにすべきである。

昔は、そういう風に、この世界の環境的な移り変わり、家族と時代の変転のようなことを子供なりに良く考えていた。

正しい社会が何なのかを言うと、それは、子供を愛する気持ちをどこかで学ぶことである。そして、そのために必要なのは、ただ、不幸になることである。この世界で、不幸を経験し、スラムや不自由の中で罵倒や怒りを繰り返していれば、そのうち、きちんと自分を愛し、子供を愛する「本当の愛」に気付くことができる。そのようになった時、初めてこの世界を平和に出来る。

ただし、そこには落とし穴というか、罠がある。それは、「たくさんの抑圧を経験すると、逆に他人に抑圧を与えるようになる」からである。

愛情の罠はそういうものである。結果、この世界は解決しない。そもそも、神はこの世界を滅ぼしたいだけである。自分が悪いと思わなければ治らない。僕のように、「全部自分が悪い」と思えば、良い人間になる。それを「罪」と呼ぶ。そして、「裁き」は必ず訪れる。終末での裁きの主宰者は、もっとも最悪の人間であると同時に、それは誰が見ても、悪いところがひとつもない完璧な善人である。それが、僕なのである。

昔は、歴史的な過程や文明のことを良く考えていた。

本当の愛を信じなさい。本当にこの世界のことを愛すれば分かるからである。

あなたが反抗や悪いことをしても、あなたが全部悪いわけではない。あなたに抑圧を与えた、この世界が悪い。そして、この世界の悪い人間たちも、考えてやったわけではない。あなたに影響が来るとは考えず、正しい立場と人生の中でこの社会を作ってきたのが大人である。よって、加害者に見えて、そうした社会を作ってきた人間も悪くない。

だが、この世界を変える誰かが現れなければならない。その誰かが、全ての罪を背負って、この世界を救わなければならない。僕がそうした「メシア」であるなら、僕は光栄である。僕が全ての地獄を解決して、この世界を裁くだろう。

誰かがしていることは、何も考えるしていることが多い。社会についても、何も考えられていなくて、ただ環境と関係からそのような社会になっていることが多い。だが、その行動や社会は、決して意味がないわけではなく、「何らかのその社会のそうなっている理由」があることが多く、それが分かった段階で、さらに、「別の社会や環境へと変えても良い」ということが分かる。そこから、自然な社会の目的と可能性が見えてくる。そして、人々が考えている思考や記憶についても、社会や環境との因果性を考えて、「支配」することができる。その支配のことを、「影響力」と呼ぶ。

本当に、みんなのことをかけがえのない人間たちだと考えて、愛しなさい。本当の無償の愛はここにある。全員を守り、維持し、導き、そして最後の世界を築いていくこの星の力を、「神の導き」と言う。神は、決してその人間が出来る以上のことをさせない。その人間に相応しいものであれば、必ず「神の成功」を手に出来る。それを人々は、才能と呼ぶだろう。

子供を助けるならば、「その人間が自分の力で出来るように能力とビジョンを与える」ように助けなさい。それが正しい人間の助け方である。また、自分が出来る可能性があるなら、誰も味方が居なくても、独りで突き進みなさい。自立と世界を見る心から、この世界の裏側が全て、見えてくる。哲学・思想の全ては、実体験と自分のことを分析し、自分が何をどう思っているかを知る、心理学から生まれる。人々の全てを解決できる、「英雄」になる。人はそれを、青春と呼ぶだろう。

心理学の基本とは、「自分がそうだと思っているから、そうだと思っている」ということである。これが基本である。ここから、人々がなぜそうするのか、「人間の理由」を知ることができる。

また、昔から、自分は神や宗教のようにこの世界のことを考える。そもそも、この世界では、人間たちが信じている通りに、物理現象が起きる。だから、何かの拍子にみんなの信じていることが変われば、物理現象も変わるのである。3次元すら4次元や5次元になるだろう。それが真実か間違いかはさておき、昔の自分はそういうこと全てが分かっていた、ありえない精神的な「マスター」だったのである。

あの人間は、たとえ社会がこの世界であったとしても、別の世界ではどうなるのかが分かる人間だった。心がいつどうなるのか、考えてそういうものを全て分かっていた。だからこそ、このような「革命的な支配者」になれたのである。だから、もう一度、何かをまっさらに変えて作れば良い。それだけでこの世界は良くなるのに、そういうことの全てを忘れ、大学や言葉に汚染されて、何もしなくなっている。何もしないのは意味がない。だが、ゲームよりは善人の土壌ができたはずである。

ネットで、資本主義の抑圧や裏を全て知っていた。そこから、自分なりに「この世界とは何なのか」考えた。歴史や洞察から、マルクスのような「歴史の必然」が分かった。全ての人間に、罪は無く、反抗は悪くなく、社会が悪いのだが、社会はその作っている人間は何も考えていなくて、誰も悪くないとした。そこから、「完全な愛」を知った。そして、その愛は、「たとえ世界が自由であったとしても、関係なくインターネットなどで変えられる」と考える、左翼的な王だった。だが、その革命はとても巨大なもので、この世界の理性と経験を全て書き、文明を書き、心理を書き、そしてこの世界全てを救った。最高の人間は、地獄になって死んだ。そう、彼はそうした「サタンの子」だった。人々は、そのサタンの子のことを、「神」であるとか「メシア」であると言っているのである。まさにこちらは、天使の道である。天使になって人々を救う、愛と勇気の風の舞う、最大限の知性である。我らはワルキューレ、この世界の本当の支配者だ。

科学者になりたいのであれば、基礎と応用から決まりを考える論理的な理性をまず持っておきなさい。そして、次に、それがすればどうなるかを、世界を知ることで、「自分の実体験」としてこの世界における実証として知りなさい。あとは、経験し、何がいつどのようにすれば自由になるかを考えるだけで、「環境基盤システム的な科学」を作ることができる。昔の僕はそれを、「作用」とか「プラットフォーム」と呼んだ。その上で、影響力を与えられるようになれば、科学者を超えて「天才」になる。そう、この世界を支配したら、最後まで、天使の道を生きなさい。そこにいくら悲しいことがあっても、それは本当の悲しみではない。忘れて消え去ったように見えて、ほうっておけば何年かで思い出す。その思い出す時のために、十分な記憶の仮想世界を作っておけば、あとあと、楽にできる。全て分かった人間は、記憶の中に分かっている世界があれば、何も考えなくても、高すぎる知性をさらに高めれば、すぐさま一瞬で分かるからである。これを、永遠の創造の旅と呼ぼう。

もし、社会について知りたいのであれば、この世界で真実の体験をしたら、さまざまな経験と行動をし、主観と客観を経験的な脳の知性の過程として捉えながら、この世界が何を意味しているか、何を見做すことができるか、そしてありのままのこの世界とは何であるのかを考えなさい。人間の発展と進歩の末に、「必ず自分の今に行き着く」ということが分かったら、運命を待ちなさい。運命は世界を変えると同時に、「この世界で唯一のオリジナリティのある自分」を作り出す。その道を生きるためには、そこまでで得られた全ての知性を失わなければならない。そして、それ以上何も進歩しない暗闇を、自らもがいて永遠にもがき続ける必要がある。それを人は地獄と呼ぶ。だが、それは本当は地獄と呼ばれるべきものではない。「才能」と呼ばれるべきものなのである。