新・日記2に戻る | 2019年3月の日記に戻る

=2019-03-22=

昔は、いつどのようになれば自由になるかを考えただけである。

人間とは、いつどのようになれば自由になるか、いつどのようになれば出来るのか、可能なのかを考える生き物である。

みんなには、この世界を変えてほしい。僕本人にはできないことが、みんなにはできる。

この世界を、駄目でない世界にしてほしい。

多様性と自由を認めること。変わるとは、同じものが違うものになることであり、それは生命の真理である。自由でなければ生命ではない。

信じること。そもそも、神に支配され、頭で考えることができないのは、信じないのが悪い。信じれば、自分で言葉を思考できるようになる。統合失調症は、何も信じないのが悪い。

世界や他人のことよりも、自分のやりたいことを考えれば良い。そうすれば自ずと答えは見えてくる。この世界には何もないが、唯一、「自分」という自由な存在がある。その魂を信じてあげれば良い。

一度、子供になった気持ちで、何ができるのかを考えよう。子供が賢いのは、社会に出たら何をするか、そのために今何をするかを考えるからである。科学を作ったりするのは、子供なら誰でも出来る。もう一度まっさらな気持ちで、この世界で何をすれば良いか、考えれば良い。大人でも、子供には必ずなれる。

社会のことを分析し、どのように社会を変えれば良いか、自分は何ができるのかを洞察しなさい。それだけで、自分は15歳に戻れる。

分からない人間は、経験が分かっていない。神のような体験をすると、その体験が邪魔をして、本来の経験が分からなくなる。人間は経験したことしか分からない。心理学は経験論と精神論である。そういうことが分かる人間の方が分かる。大人は、子供のように経験を知性で考えないせいで、馬鹿になる。

心だけでは行動が追い付かないこともあれば、行動だけでは心が追い付かないこともある。「もう絶対にやめる」と言って、心も行動もやめる方向に向かわせたいのに、また書きたくなってしまう。だが、ここで解決策と言えることは、周りに迷惑をかけないこと。自分の100%の責任で行えば、たとえ馬鹿なことを続けても何も悪くない。「地獄でなぜ悪い」と言える。何も悪くはないが、そういう人間が大人に多すぎる。大人には、依存症と病気しか居ない。そのせいで、正常な夢を持った子供なんかに勝てるわけがない。なのに、子供よりも賢い人間が多い。一度子供が全て終わってしまうと、何でも出来る。それが大人だから、そもそも賢い人間など、子供にも大人にも居ない。人間という存在はあまりに不完全だから、子供と大人はどちらも賢くない。言ってしまえば、神が賢いだけである。神を信じれば、何でも信じられる。

他人を変えようとせず、自分を変えようとすること。他人を変えるのは難しいが、さまざまな経験をしていると、自分を変えることがまさに他人を変えることに繋がる、ということが見えてくる。

本当にこの世界を守るべき政治家は、何もしない。役人も同じである。そういう世間のことは忘れた方が良い。「完全に自分の世界」に入ると、誰でも賢いことができる。こういう人間は政治家に向いていない。芸術家の方が向いている。

昔は、やけに大人みたいな子供だった。会社や技術を作れるぐらい、豊富な経験があって、マルクスのようにこの世界を分析し、未来のことを洞察していた。「必ずこの世界で自分は変えられる」と信じていた。何でもできると思っていた。だが、実際は違った。非情な運命によって、全てを失う哀しみと精神の地獄の中で何もできなくなった。神を信じないから、こういうことになる。逆に、神を信じてから、全部良くなった。作家になったのが、自分である。

もう、これで終わりである。さようなら。もう、僕はこの世界に居ない。みんなに任せると同時に、新しいソ連はこれで崩壊するだろう。

本当は、永遠の創造は、最高の経験をしただけである。一度経験したせいで、何でもすぐに分かる。この人間は、ゼロから全てを創造し、そこには混じり気がひとつもない。昔の自分とは全く違う。神のような最高の人間である。それが、遺したかっただけである。ただ自分のことを誇りに思うだけで、あるいは、「いつか自分は賢かったはず」という幻想の中で、まだ書いていると、そういうわけである。

ただし、自分は大切なものを大切にしようとしすぎている。もっと、「どうなるか分からないがやってみる」という実験や好奇心や挑戦の気持ちを持った方が良い。そういう人間は賢くなるからである。大人になると、新しい挑戦をしなくなる。したくても出来ない人間が多い。大学の勉強なんか、しない方が良い。挑戦の思考や考え方が分からなくなるからである。

もう、僕は完全に精神が治った。これで、もう終わりである。ただし、これから先は、もう、精神を治さず、いつもの賢い精神を融和させる。虫と愛と治癒を中和させれば、賢い精神になる。これ以上治さないことで、逆に頭が賢くなって、きちんとデザインができるようになる。頭が賢くなれば、想像力でイラストを描けるようになる。

よって、僕はもう精神を治さない代わり、少しずつ昔の精神に戻っていく。

今日は風邪をひいたため、作業所は休ませてもらった。寝ていたら、ゴホゴホと肺が辛くなって、頭がガンガンになり、喉がガラガラになって、鼻がズルズルになった。

だが、僕の精神はもう完全に治って、もうこれ以上治らないところまで行った。ここで、完全に終わりである。僕の人生はとても幸せで、全ての宇宙の神秘と真実があった。とても良い人生だった。

まだ僕は死なない。このまま、デザイナーになる。そもそも、他人のことは考えなくて良い。他人は賢くない。平和で、戦わず、キリストを信じないせいで、八つ当たりとカタルシスの世界になっている。この世界は賢くない。キリストを信じないのが悪い。

そして、僕はもう人並みに出来るようになると思う。まだまだ30歳である。これからの人生、何でも出来るだろう。英語も聞き取れるし、英会話学校にも行っているが、本当は英語圏に行けばすぐに英語はできる。だが、英語圏に留学しようとは思わない。

ピアノ、デザイン、パソコン、執筆だけはきちんとできている。大学をやれば良いとは言うが、本当は大学はやっても賢くない。賢い知識を全部知った代わり、考え方や勇敢な挑戦の心を全て忘れる。そういうものが学校だから、学校が悪い。学校と科学のせいでみんな馬鹿になっている。

昔は、「システム的な実質的自由の平等」を考えていた。ある環境的な基盤があって、そこで自由な権利を許してやることで、実質的な自由と平等を成り立たせ、社会を作り実現する。そのような賢い考え方を思い出せば良い。もう、そういう、具体的なことが思い出せるようになる。治ったからである。

本気で戦っていたのは、本当は昔考えていた全てのことをやりたかっただけである。全てを支配して作り変え、最後まで導くその精神は、まさに「キリスト」だった。僕は、このままキリストとともに受難の道を生きる。これからは本気で賢い。最高の人間になるだろう。