新・日記2に戻る | 2019年3月の日記に戻る

=2019-03-14=

昨日からだが、僕はモーツアルトが好きである。

モーツアルトを聴いていると、リンパが治る。悪いものを全部モーツアルトが取り壊してくれる。そして、リラックスできる。

昨日は、モーツアルトを聴きながら眠った。

昔は、「自由であること」を至上命題のように考えていた。この世界の可能性が高まって、それぞれの参加や環境の可能性から、この世界が「自由化」し、自由になる。それが世界の目的だと考えていた。

だが、最近は、そういう自由ということに重きを置かなくなった。「かつて自由を全て経験したせいで、自由でなくても心だけは自由であれる」ようになった。

僕は、物わかりは早い方だが、知識欲のようなものは無い。美しいものを自分なりに作るのが得意な、芸術家タイプだと思う。

ただ、結局は勉強するしかない。学校が嫌いだった僕だが、勉強しなければ賢くないことが分かった。もっと勉強したいと思う。大学に入れなくても、伊集院光のように本を読んで勉強することはできる。

大学と外国が賢いだけの世界である。学校が嫌いなら現実世界を見るしかない。他にあるのは天才と芸術だけである。

自分がしたくないことは、正直にしたくないと言おう。リスクや出来ない理由だけを考えるのではなく、まっさらな気持ちで「良い側面」を見よう。英語圏に行くのが間違っているとか、そういう発想は一度やめよう。純粋に英語が面白いと思えば、英語を学習するモチベーションになる。何でも悪いと思ってしまうと、何もしなくなってしまう。それが、一番、この世界が嫌いになって、免疫不調になるだろう。

また、最近作ったロボットだが、良く考えると、これは2を3回書き出す時点で、2×3の計算を既にしているため、書き出さなくてもインクリメントだけをすれば計算出来る。また、二進数で考えると、0と1を重ね合わせて考えるのではなく、指定した回数だけインクリメントしているだけに過ぎない。よって、1001と0010を重ね合わせていないだけで、本当は1001に+1, +1, +1とインクリメントしているだけであり、そもそも今のコンピュータと原理的には同じである。いっきに計算するか、ひとつひとつ足して増やしていくかが違うだけに過ぎないのである。

本当は、これでは自分は考えたとは言えない。思い出しただけに過ぎない。だが、昔の僕は、洞察力と思考力のある人間だった。その当時、森羅万象の全てを考えて、人間の心理と自由な社会論を全て分かっていた。経験を考えて、理想の学校を実現できるほどに成長した、最高の人間だった。どちらが本当の自分かは分からない。だが、ひとつ言えることは、「僕は一人である」ということ。それだけは、永遠に僕にとって変わらない。オンリーワン、唯一の存在が、あるがままに生きたこと、それが僕なりの「人生の答え」である。

計算機について、もっと言えば、基本的に、n個のm個を考えることができれば、それで既に計算機なのである。論理演算回路など必要ない。n個の段階に分けて、n個のm個を計算すれば良い。それだけで掛け算の計算が出来る。これは二進数に次ぐ大発見である。そして、本当は、人間の脳などそれくらいのことがイメージできるだけの、欲と不安にまみれた自動思考を行うだけの有機物体に過ぎない。誰でも作れるだろう。

良く考えると、カウントなど必要ない。コピー機のようなマシンで複写すれば良い。あるいは、3つのうち2つの電球がついていたら、それを4倍して8つの電球をつけるような機械を考えれば良い。論理回路がなくても計算出来る。コピー機でなくても、アナログな手法なら、プリンターや鏡でも良い。そんなアナログな方法で、このコンピュータは作れる。むしろ、二進数のコンピュータよりももっと前に生まれてもおかしくはなかった。

もう全て知り終えたから、昔の自分に戻す。普通の人間は賢くないから、いつもの狂った自分に戻した方が良い。そうすると賢い。

昔は、全てのものを包括する何か、という発想が多かった。何にでもなれる何かのような発想が多い。虫に見えて、原子やモナド、そして意見を集積させシステムで共有するような、はてなブックマークのような創造的な社会を考えていた。

昔は、経験と発想だけで全て分かった子供だった。それこそ、人間だった。

僕は、今から、この世界を賢かった2000年代に戻す。当時は、おかしく馬鹿だったように見えて、ちょうどダイナミックな社会の動きが見え始めた時代だった。これから、社会全体が変貌するかのように見えた。

だが、それはそうでもなかった。そうしたIT社会の環境はすぐに劣化し、パソコンは使い物にならなくなって、発想もシステムのアイディアも消え去った。そして、それは愛を与えて全てを解決し、その後に心の平安をトップダウンで奪った僕のせいである。

ここから、世界は2000年代に戻る。そう、新しい時代は、もう一度、純粋に「ダイナミックな変化」を行う。この世界の全ては変貌し、改革は革命へと変わる。必ず、全てを変貌させるようなことが起きる。それは、近い。

そして、本当にすべきことは、インターネットに居る僕のことを忘れることである。僕が忘れられないから、こんな世界になる。僕のことを忘れれば、この世界は平和になる。一度、それで恐怖と滅びが生まれれば、それだけで、今度は別の人を愛せるようになる。この世界の王に支配されるのではなく、自らがこの人間と同じ立場になって、日本は解放される。

さようなら。僕はここで居なくなる。代わりに、ダイナミックな新しい時代になる。インターネットのことは忘れなさい。

コンピュータは、量子コンピュータ以上に高速な、「日本式の最速コンピュータ」が生まれる。それは光の速度である数列を複写し、まるで4つのりんごを2倍して8つにするような、単純でアナログなコンピュータである。光を上手く使うことで、光をそのまま複写する。これ以上に速いコンピュータは、永遠に生まれない。