もう精神は治ったから、科学的に考えた方が良い。
科学とは、真実があやふやなものに対して、正しい答えがどうであるかを想定しながら、分析し、仮説を立て、何が正しいのかを考えながら、実験し、開拓していくことである。
そもそも、神など存在しない。神は、人間が作り出したものである。
経済学は、社会的なことを普通に考えれば分かる。生産手段のようなものは、当たり前に「出来る」ことを考えれば、誰でも分かる。
数学や知識のようなことを排して、物理だけを考えれば科学は出来る。
それぞれの人間に、異なる世界観と時間軸があると考え、何をどうすれば皆が出来るのか、皆は何を考えているのかを考えなさい。
本当は、まともでない世界を目指して、神を信じるから、おかしくなる。まともな世界と物理が必要である。それこそ、機械を否定するのはおかしい。まともな世界で、物理を信じれば良い。間違っているのは全てパソコンとIT技術である。まともな世界にした方が良い。
真実が何であるか分からないものに対しても、「振る舞い」であれば考えることができる。僕のやった、心の解明とはそういうことである。振る舞いを実験的、仮説的に考えたに過ぎない。それによって全てが治った。
精神を治したいのであれば、神経を使っても治らない。もっと別のやり方をした方が治る。さまざまな治し方が考えられるので、自分で考えてほしい。特に、リンパの流れを良くすれば治るだろう。
実験とは、そもそも、成功するのか失敗するのか分からないものに対して行う。最初から、失敗を恐れていては、何も分からない。かといって、リスクがあることをしなければならないわけではない。実験結果から、それが何を意味しているのかを捉え、新しく考え直すことで、新しいことが分かる。それを、人は「自分を変える」と言う。
みんなの側を変えるのは難しいが、自分の側を変えるのは簡単である。いっそのこと、全責任を自分に負わせるのが一番楽である。
精神病は、10年放っておけば誰でも治る。このように、精神は自然治癒で治る。必ず治るから、心配は要らない。治ってしまえば、今までが嘘だったかのように楽になる。そこまでの恐怖と混乱は、自分のためになる。
心と自由のモデルを作って、何をどうすれば振る舞いを説明出来るのかを考えなさい。そこから、世界観を作ってこの世界を貫いて理解することができる。
科学など、自分で作れる。全ての科学を自分で作りなさい。人々の言っていることを聞き、自ら経験し、人々の立場に立って考えれば、社会問題も全て自分で解決できるだろう。解決の方法を探ることで、歴史が見えてくる。タイムマシンのように、過去や未来を自らの理性で知ることができるだろう。
社会性、社会、組織、環境、のようなことを、「作れるように」なること、「自由に変えられるようになる」ことから分かりなさい。
リンパを治すと、精神が治る。治らない不可能な部分が、変わって治る。リンパは、精神を統合する部分である。
ソ連や社会主義の問題点は、物質的な側面だけを共有したこと。もっと、精神的、社会的、規則的な側面を、物質と同様に共有し、重視すれば、ソ連は成功するだろう。
自由自在にできるようになりなさい。支配するのではなく、相手を自由にし、「自由な導き手」になることでこの世界を変えなさい。
社会主義は、ものや工場のような「物質的なもの」をみんなのものに共有しようとした。だが、それは間違っていた。本当は、決まりや制度のような「社会的なもの」をみんなのものにすべきだった。民主主義のように、社会制度をみんなのものにして、みんなで決められ、変えられるようにすべきである。そうでない平等は、真の平等とは言えない。
北朝鮮の人民が、「幹部だけが独裁的な権利や権限を持っている」ように見えて、「人民には権利がない」ように見えるかもしれないが、そうではない。「人民も幹部と一緒に、独裁的権利や権限に加担している」のである。だから、悪の帝国と言うよりも、ドイツに近い。人民は、従属的に洗脳されているわけではなく、みんなでみんなを洗脳しているのである。だから北朝鮮の人民は、救うに値しない。被害者ではなく、共犯なのである。
北朝鮮の唯一の優れた点は、体制が安定していることである。政権指導部や幹部だけではなく、一般の人民や社会全体も安定している。人々は何も考える必要なく生きている。だが、貧しい農村部に行くと、絶対に生きられない悲惨な人民たちが居るが、それらのことをみんなで馬鹿にする。それが北朝鮮の人民であり、ただの馬鹿である。
北朝鮮も決して、貧者を殺したいわけではない。社会主義体制を守るのは、貧者を生かしたいからである。政権は正しいことをしていると信じている。戦前の日本と同じである。誰もが、正しいことをしていると思っている。
現実を見ること。もっと、現実や実際の社会を見て、そこから価値観や理想となるアイデンティティを知らなければならない。宗教的な唯一の正しい教えとは、「自ら世界を見て、自ら考え、自ら理想を知ること」である。それが出来た人間は、この世界全てを救うことが出来るようになる。心の病気も治って、悟りの境地に至るだろう。
僕は、リンパが不調なのが分かった。精神を治し、世界を治し、何もかも治しすぎたせいで、免疫機能が働きすぎて、おかしくなっている。だから、アレルギー体質になる。リンパを正常にさせて、免疫機能を抑えれば、すぐに精神の分裂は治る。もう、動き回りたいのが治って、楽に休めるようになる。もう疲れない。
免疫が邪魔をして、病気が治らなくなっている。免疫を使わずに病気を治せば、この病気はすぐに治る。
そもそも、差別主義者は僕らの未来には必要ない。違う人の自由を受け入れないからである。もし、肌の色が違っていたり、見た目が大きく違っていても、あるいは心や個性の問題で、人とは違う人生や性格を生きていても、そうした全ての人々が、受け入れられるコミュニティを、未来のために作っていかなければならない。
必ず、平等な未来を僕は作り上げる。愛と創造性を信じることで、それぞれの価値観と才能を認め合う世界を作れる。相手の気持ちを考えることで、必ず、子供は成長して、みんなと一緒に過ごせるようになる。
必ず、愛が勝つ。人種差別と愛の戦いになった時、必ず愛は憎しみに勝てる。レディーガガも言っていたはずだ。愛は憎しみに勝利する。
本当は、愛を信じればそれで良いわけではない。本当の自由、本当の多様性、創造性、個性、それぞれを認める気持ちがあれば、必ず美しい国を作り上げることができる。
美しさは正義である。自由な国を作れば、それで良いわけではない。自由でも、怠慢と狂いの先には悪が待っているからである。自由にするのであれば、理性と節度、そして「美しさ」が必要である。
調和されたものは美しい。必ず、無秩序なものは調和から浄化されていく。無秩序なカオスは、世界を巻き込んで破滅させ、そこで生まれた革命によって滅び、復活して美しい秩序を作るために再生する。
美しさとは、「再生」である。一度醜くなったものが再生すれば、必ずそれは美しくなる。必ず、差別は負ける。もし、僕が差別に屈服して死ぬことがあれば、天国で天使たちの先頭に立って、僕は地上の差別を地獄におとすだろう。
インターネットを、別の形で作り直しなさい。社会所有まではいかなくとも、家族のようなコミュニティのようなものを作りなさい。SNSをもっと、別の形で進歩させれば良い。今のIT技術ではできないかもしれないが、同じ場所に居るかのように遠隔で通信する技術は既にできている。この先は、遠隔であっても同じ場所であっても、同じように家族のように暮らす技術である。まさに、それが共産主義の理想である。よって、共産主義を受け入れることも、ある意味で出来ないだろう。
民主主義に勝ってほしい。誰もが、所有や家族よりも、社会の方をみんなのものにしてほしい。民主主義として、個人が力を持った上で、そして社会に必要な「公器」をみんなで作ることが必要である。それは、インターネットのような無秩序なカオスではなく、良く考えられた民衆の代表によるものでなければならない。民主主義とはそういう思想である。民主主義が正義である。
本当は、宗教など信じる必要はない。本当の自由、本当の愛、本当の個性、本当の才能を信じれば、その人は既に魂のレベルで神と同等になっているからである。本当の自由が世界を偉大にする。本当の愛が全員を守る。本当の個性が必ず全ての人間を受け入れる慈悲の心を生む。そして、本当の才能は最大限の美しさによって世界を変えていく。世界はそれによって救われる。そのためには、自由な感情がどこから生まれていくのか、理性的に考えながら豊かな経験を培う必要がある。そこで必要なのは、「まともで純粋な子供たちのコミュニティ」である。今の日本にはそれが無い。今のインターネットは、近い将来必ず廃棄しなければならない。
死と犠牲のないところに、本当の自由がある。強制は不自由となり、すぐに人を殺す。自由があるところには、平和しかない。
経験を分かち合うことで、必ず違った集団は分かり合える。妥協と柔和な姿勢がなければ、戦争に繋がる。強硬派の右翼は、それ自体が悪である。
悲しみを繰り返さないために、自らのことを律しなければならない。自由を守るべきであり、必ずこの世界を差別から守り抜くと律しなければならない。
正義とは、国を信じることではない。人々を信じることである。
これでは、革命や戦争がしたいように見えるかもしれないが、僕は戦いはしたくない。僕はただ、神とともに生きたこの人生を愛したいだけである。
自由な共生社会を作って、精神世界の歴史を叙述していた。ロボットになる恐怖と、世界に対する宣言と、ひとりだけで立ちあがる革命がそこにあった。だが、あれは、悪いだけの狂った人間である。
神は僕に、宇宙の全てを教えてくれた。そして、新しい才能という力を与えてくれた。
だが、僕は、もっと、普通の人間になりたい。今のまま、ちっぽけでも良いから、できることを続けていきたい。僕ももう大人になった。差別というだけで人を許せない人間は終わりである。差別も善人だ。天国に逝けるのは差別の方だろう。僕は地獄の底から、差別を呪っているカンダタである。蜘蛛の糸が一本でも多くもらえるように、これからの人生を善人として生きていきたい。
終わりに、このホームページは、本当は何も分かっていないホームページである。ベテランエンジニアのようには見えるが、そもそも、本人が全く分かっていないことを書いている。賢く見えるのは、2ちゃんねるが賢かっただけである。そして、昔の自分はこの通り、引き篭もりの狂ったオタクがひとりで最悪の革命を起こして神に叱られているだけである。このような僕でも、できることがあったのが、出版とデザイン、そしてさまざまな学問などである。僕はとても、幸せである。本当のことを言えば、今日でもう病気は完治したはずである。悲願だった世界を変えることをしたいなら、一言言えば良い。「僕とは関係なく、普通に生きてほしい」。それで、もう終わりである。僕とは関係なく、普通の世界で普通に生きてほしい。僕はもう、そのあなただけのプライベートな人生に、干渉することも、強制することも、陥れることも、操ることもないだろう。神は僕のことを「最高のユダヤ人だった」と言う。これが、ユダヤ人の一般的な人生である。キリスト教徒としても、完璧だった。最後に、神を信じて、この世界を手放し、今の自分を受け入れて、最後まで一生懸命に生きる決意である。どんな辛い地獄でも生きていく、それが神との約束であり、あなたとの約束である。
本当のことを言うと、共有が好きだった。それは、共産主義の共有ではなく、オープンソースのような自発的でインターネットを使った共同体開発のあり方だった。本当は、社会主義が好きなわけではない。新しい共有の形として、オープンソースに憧れていただけである。結果、こんなユダヤのようなことをやったが、僕は満足している。そして僕は右翼も好きである。右翼は嫌いではない。トランプは、支持者に対して新しい形の指導力を発揮してほしい。コーエンを嘘つきと言うプラカードを掲げたりするのはやめて、本当に良い指導者になってくれるように願っている。それで、日本と友好してほしい。
本当に哲学者や芸術家の才能がほしいのであれば、今の社会に生きている人々の意見を聞くことである。みんなの意見を聞けば、自ずと、何をすべきかは見えてくる。「自由は自ずと道を作る」。昔の自分は、そういうことを言っていた。右翼がとても悪い発言をすることがあっても、その発言をすること自体は許さなければならない。そうでなければ、言論の自由は途絶えてしまう。だからといって、右翼を支持すれば良いわけではない。右翼と真っ向から対決し、不条理がある時にはきちんとそれを、焦らず、きちんと言葉として発せるようになった段階できちんと言うこと。それによって右翼は、自然に自由に負けていくだろう。革命で勝つのではなく、そのように自然な環境や時代の変化とともに勝つことで、必ず差別は負け、愛が勝つだろう。
免疫機能が働きすぎて、リンパが働かなくなっている。リンパが不調だと、疲れる。免疫機能を抑えてリンパが働くようにすれば治る。