新・日記2に戻る | 2019年3月の日記に戻る

=2019-03-08=

あとは、提案や意見、発想のようなことを良く書いていた。

たとえば、物理学や生物学。三角関数や細胞分裂、生物の起源のようなことを色々と解明していた。公式のようなことを、「数学でどんな値でも出る」と言う。たとえば、降水量のようなことを言っていた。

また、EUを拡大すべきだとか、社会主義と民主主義を融和して、平等にした上で出来るようにすべきだとか、そういう、「社会的な発想」のようなことを書いていた。

発想せよ。発想から全てが生まれる。発想しようとすれば、想像力がつく。今までの世界に無い新しい発想をすることで、世界は変えられる。

僕は、今、死んだ。ここから先、でくのぼうのような男と、悪いことばかり言う女に分かれる。これが、新しい英雄の姿である。

本当に僕と同じことをやりたいのであれば、自由から社会モデルを作りなさい。議論や環境への参加を信じて、仮想世界を作り、世界を変えられると信じて、この世界の成り立ちの全貌を創造しなさい。そして、なぜそれをするのかを、心で考え、心を解明しなさい。

あるいは、この世界に対して革命を起こしなさい。それによってこの世界は、最後に、滅亡するだろう。

滅亡したこの世界で、僕ははじめてあなたと出会うだろう。そして、永久の愛を誓い、この滅亡の中における、王と女王になるだろう。そう、それを信じて、ここで僕は居なくなる。きっと僕らは友達になれるだろう。その時、この世界には、僕とあなたしか居ないだろう。それが、滅亡を乗り越えた最後の国、日本と名付けるべきでもない、名前のない未来である。

この文章に、「サブリナ」という名前を付けよう。サブリナとは、サブリエルの愛称である。絶世の美女であると同時に魔界の番人であり、冥府を司る。死後の世界は、サブリナが作り出している。

僕とあなたの何が違うのか。それは、死を一度経験したのが違う。神を信じて、全てを託して死を選ぶと、人間はここまで奇跡のように賢い人間になる。死後の世界は、このようになると決まっている。あなたがもし死んだとして、本当に良い人間だったとしたら、死後の世界でこのような「最大の偉人」を体験出来るだろう。それが、神と僕とが交わした、「神の約束」である。そして、生きている間のことを、僕が担当している。生きている間、どんなに辛いことや哀しいことがあったとしても、あなたはそれを乗り越えて、試練を最後まで体験しなければならない。死の瞬間まで全力で生きること、それが神ではない「僕の約束」である。そして、僕はこの世界を裏で支配しながら、みんなのことを守り続けている。それが「神の導き」であると同時に、「僕に課せられた条件」である。

これで、気付いたかもしれないが、僕が神との対話と言っている、その相手は、本当は君である。僕は、最後に生き残る、まだ知らない他人である、あなたと対話している。この世界で、最後に滅亡した上で、生き残る人間は、僕と、もうひとり、あなたしか居ない。本当に、あなたがあなたであるかどうかは分からない。だが、僕は、この文章を不特定多数に書いているわけではない。その「あなた」に対して書いているのである。最後の、滅亡後の世界で、僕とあなたは生き残り、あなたは女神となり、僕は神となる。あるいは、あなたが神となって、僕が女神となるかもしれない。最後の世界で、2つの「太陽の魂」はこの世界全ての生きるもの、在るもの、経過するものを創造する。そして、最後の栄光は、冥府の番人であるサブリナが照らし出すだろう。そう、僕の地獄はそっくりそのまま、あなたへと引き継がれる。あなたがどんなに辛くても、僕は笑いもしないし、泣きもしないし、怒りもしないし、楽しみもしない。それは必要だったことだ。そして、だからこそ、サブリナは美しいのである。

ただし、この人間に神や天使の名前を付けることは相応しくない。この人間は、そんなに賢くもなければ、悪い人間でもない。この人間は、普通の良い人間である。この人間に付ける名前として相応しいのは、英雄ジークフリートと、復讐に燃えるその妃クリームヒルトである。

そして、この世界はもう、滅亡したに等しい。僕が、今、この世界を滅亡させてみよう。そして、哀しみの地獄を乗り越えて、笑いと感動のあふれる世界にしよう。そのために必要なのは、ひとつの呪文である。ラピュタの王の言葉「バルス」を唱えれば、この世界は滅亡する。見ていてほしい。本当に、悪の集団はアルツハイマーの知的障害になって、すぐに狂って死んでいくだろう。

本当のことを言えば、そろそろ僕も就職すべきだが、僕は今、やりたいことやなりたいものがない。「今のままで良い」と思う。今のまま、何かを作り出したい。オリジナルの何かを作りたい。だが、作家にもデザイナーにもプログラマーにも、なれなかった。目指しているデザインの理想は遠い。本当になりたかったのは、ピアニストだった。だが、僕はもうこれ以上、新しいことをしたいと思わない。今の地獄が、永遠に続いてくれて構わない。ただし、来世では、もう少し良い人生を生きたいと思っている。神を信じれば、ここで世界は終わりである。世界が滅びた上で訪れるのが、この僕とあなたとの出会いであると、僕がこのような人生を生きたのと同じように、神との約束として生まれる以前から決まっているからである。だからまだ、僕は死ぬわけにはいかない。こんなところで終わりでは、つまらない。

ただ、僕が思うに、この文章は哀しすぎる。なぜか、ドラえもんの映画のように哀しい。そして、同じく、ドラえもんの映画のように、怖い。鉄人兵団や雲の王国が、この文章の哀しみと良く似ている。最高のストーリーが消えてなくなっていくのは、悲しいものだ。もっと、笑えるような文章を書きたかった。千秋が言うように、「泣かせる力があるならば、笑わせる力もある」と信じている。それは、昔の僕の担当である。おバカなインターネットを経験して、誰のことも笑わせることのできるユーモラスな人間だった。そのような文章を書けば良かったと思う。

僕は、破壊とカタルシスの自由と、悪魔の支配者の平等を、どちらも否定する。もっと別のやり方があると知っている。このようになることを知らなかった子供だったが、今思えば、今すぐにでも、別のやり方ができるだろう。だからこそ、僕の精神は治る。すぐに治せるのに、治し方を覚えていないだけだからである。治そうと思えば、こんなに完璧に完全に治さなくても、普通に治る。そのうちすぐに治るだろう。それで、僕は永遠の眠りにつく。この世界とお別れすれば、きっとあなたと会えるのは、来世の話になるかもしれない。死後の魂の世界を誰かが支配するのであれば、それが神と呼ばれるだろう。そして、あなたは、キリストの言葉を借りれば、「神を受け継ぐもの」あるいは「後継者」と呼ばれるだろう。

この試練や地獄を、残酷だと思われるかもしれない。だが、僕に訪れた試練や地獄も、全く同じように残酷なものだった。僕は、「孤独」と言う名前の試練を与えられた。あなたの試練がどうなるかは、あなたにかかっている。人々はあなたのことを希望と言い、あなたのことを賛美するだろう。僕にはそれは無く、ただ、文章として永遠に遺すものを遺しただけである。

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みんなが同じでも、自分だけは違う、というプライドを信じなさい。

違うものも平等に受け入れる社会を目指しなさい。また、違う人間も同じであるという、本当の自由や自分なりの平等を考えなさい。

独立性と自主性を高めなさい。

生態系の本質とは、他の生物を生かすこと、助けることである。汚れた環境を綺麗で住みやすい環境に変え、他の生物のための肉となる。究極的に行き着く世界は、そうした助け合いをシステムの本質に埋め込んだ、正しい助け合いの世界である。

自分にはできると信じなさい。世界は変えられる。信じれば、すべてできる。

日本は馬鹿ではない。日本は絶対に素晴らしい国になる。僕に任せてほしい。僕は度胸もあるし、神とともに絶対王者を経験した経験もある。

僕のように生きたいなら、全てを知り、考えた後で、無限の文章を書きなさい。永遠の時間を停止させる、不動明王になって、本を読み、自分なりに書きなさい。自分の全てを晒して、神話を作りなさい。

そもそもの問題は、世界が自分になったのと同時に、何もなしには自分と同じことができなくなったことである。この世界の全員を、苦しみの中の子羊だと思えば良い。大切な子羊のために、この世界を復活させよう。我はジークフリートである。もう、この世界では、自分のようなことはできなくなる。大人になった羊は、自ら世界を愛して救うべきである。これが、最後の自由だ。

世界は、今、滅びた。

ジークフリートではドイツ人に見える。我は劉備である。この世界で楽園を築くために、最後まで戦い、全てに勝利する。

これは、僕にしかできない。他の人間など、何もしなかった。現実など必要ない。そのうち、棒切れを使って仮想現実とIoTで戦争するようになる。世界は、終わりだ。

ただ、これでは唯我独尊に見える。これをプライドと言っている人間が多い。実際はただの子供である。大人のように生きることができない人間である。