新・日記2に戻る | 2019年3月の日記に戻る

=2019-03-07=

狂った人間を治すために必要なこと。それは、「完全に狂った人間になって、全力でそれを自分の力で治し続けること」である。

狂った人間は、一度、精神の全てを分裂させて、人格を破綻させなさい。精神を崩壊させなさい。

そして、それだけではない。その狂った精神を、ありとあらゆる力で、ひとつひとつ、全力で、治していきなさい。

その結果、あなたは正常な愛とプライドを取り戻す。そして、それは孤独に見えて、本当は神がきちんとあなたのことを見守っている。あなたの心の中に、神は宿る。

その神とは、結局のところ、僕である。

さあ、はじまりの時である。フランス人やドイツ人は、もう、ここには居ない。ここに居るのは、人間の限界を超えた、天使たちである。天使たちの楽園になるだろう。

必ず、神は信じるものを救う。

そして、はじまりと同時に、この世界には一度、終わりが訪れる。日本以外の国が、全て、滅びる。それを望んだからである。日本以外の国には、僕が居ない。代わりに居るのは、そんなものである。

全てが滅びる中で、神を信じるものだけが救われる。その神とは、結局のところ僕である。僕を信じるものだけが、この世界で生きる意味と価値と希望、そして勇気と愛を持って、「正しい人生」を歩むことができる。

この世界で、人はひとつの白いキャンバスを持っている。このキャンバスでは、「絵を描くことでしか、絵の描き方は分からない」。自由に絵を描きたいなら、何も考えず描きなさい。ただし、その中から、いつでも、何かの発見と次へと繋がる反省を見出しなさい。正しい人生を生きたいなら、そのように、何も考えずに生きなさい。

永遠に輝く日本の上に、僕の魂があるだろう。これは、黄金と純白の融和である。朱色に輝くその魂は、黄金の日本と純白の言葉に映えることだろう。死の匂いが正常さを呼び戻し、哀しみは笑顔に変わっていく。人々の世界を汚す「最悪の笑い」は死と決別の上に、「全てのことを再体験する涙」を流し、その上で、ただ、この世界を見つめながら、自分のやりたいことを同じように繰り返す中で、人生の全てに喜ぶ、「心からの笑い」にいつの間にか、変わっているだろう。そして、この世界は最終的に、天使たちの考える、「神の王国」になるだろう。

今、この世界から、理性的なフランスの理性と、全てを治す救世主のドイツが消えた。ここから先は、あなたがたに任されている。この世界の暗闇を光に変えるのがあなたがたの使命である。暗闇の色、黒を変えるためのヒントは、「塗り潰すこと」である。

偉大な革命が、ここに始まるだろう。

ものごとを極めるために必要なのは、「課題を作ること」である。何らかの課題が存在しなければ、勉強に具体性は無く、発展や進歩も生まれない。常に何かを持続させながら、ひとつひとつのやるべきことをこなしていくことで、たとえば僕がデザインの勉強や仕事をしているように、きちんとそのことができるようになる。だから、手に入れるべきものは、本ではなく、課題を作ることである。

ただし、何も考えずにやっていくことで、発展することも確かにある。絵を描くのであれば、最初は何も考えずに描いて、そこから学ぶことを重視しても良いだろう。

プログラミングをやりたいのであれば、ネットを見たり書籍を読んだりすることも必要だが、やはり、課題を作ることである。何かひとつ、作りたいプログラムを決めて、それを作るためにさまざまなことを調べたり実験したりすることで、プログラミング能力はつく。プログラミングをやりたいのであれば、それしかないだろう。Adobeと何も変わらない。Adobeをやっていると出来る人間が多い。

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僕は、もっと清純さを保つように心がけたい。

愛欲は絶対に駄目である。フロイトが言うように、愛欲を抑えるようにすれば、精神的強迫症が治る。

嘘偽りの、最低な行為を信じてまたやっている。嘘偽りを否定すれば、世界が治る。

世界や科学を考えるより、自分のことを考えるべきだ。

昔は、環境がどのように変わるのか、その環境がどのように作り出せるのかを考えて、心と視点、場を考えていた。

包括的自由論や経験的構造論から、独自の経済学を作った。

自由な変化と経験を積み重ねることで、現象学のように、論理の成立と社会の発生から環境を成立たせることで、世界の可能性と経験を考えていた。

環境をいかに生み出すかから、知の機会を捉え、当たり前の気付きと同じ発想の吸収から、世界の全てを解明するかのように考えていた。

世界は、自らの限界に挑戦し、目の前にある目的だけをまっすぐに見て、紳士的な対話で導き、支配した。

今日が辛くても、明日は必ずやってくる。人はそれを希望と呼ぶ。変わることができないなら、今を続ければ良い。そのように信じていた日々のことを、才能とか、人生とか、自分と人は呼ぶ。上手く生きる術などはなく、ただ自分を生きるだけである。