そろそろ、僕は既に天国に居るのと同じである。
この世界は、平和になる。
それは、自由というよりも、むしろアイデンティティの現実的な実現である。きっかけと基盤の開拓の可能性から、人々は己の価値観を実現しながら、本当の正しいアイデンティティの在り方を模索するようになる。
それは良いとして、今から、アメリカが終わる。完全に、アメリカの終焉である。勝つのは、日本だ。
それはどうでも良い。これで、もう、世界は終わりである。
自由な理性は、何がその時決定され、どのようにすればそれが変化されるか、ということを、言葉の相対的な論理で自由かつ厳密に考えただけである。そこから、この世界のありとあらゆる営みを、まるで現象学のような世界モデルにして、作っていた。全ての問題を正しく捉え、どのように解決すれば自由に「もっとも大きな可能性で」実現できるのか、変えられるのか、叶えられるのか、それは誰がどういう望みから変えるのか、それはなぜその望みになったのか、その前提となる問題は何か、本当はどのように解決すべきなのか、本人がそれに気付いて自分の力で解決できるためには何が必要なのか、といったように、根源的な自由から問題の解決を経験的に考えただけである。
そう、それで、あとは自由の歴史を創造していた。この世界がどのように築かれるべきなのか、そこにはどういう具体例と構造があるのか、それはどのような過程からどのようにその結果に行き着くのか、そして、その行き着く先はどういう世界であるべきなのか、ということを、精神的な心の中にある宇宙の歴史から、戦いと心の具体仮象の精神分析から分かっただけである。
そう、これで終わりである。あとはもう、書くべきことは残っていない。この世界で何を自由にすれば、それが可能となるべきかを分かった上で、そうした仮象の世界を全て失った。大切なものを失ったように見えて、本当は見失っただけで、もう一度スポットライトを当てれば、そこに大切なものは今でも残っている。ただ、それがあったことを忘れたかっただけである。
僕と同じように、世界モデルを見出したのであれば、解決モデルを作って具体的な問題全てを解決しなさい。常に全てを解決する、創造者の王になりなさい。
あらゆるパターンを実現できるようになったら、「仮想世界のレベル」を心理学的に成り立たせて信じなさい。その上で、何がこの世界に「本当に存在しているのか」を考えることで、経験を信じてその世界観は進歩し、発達していく。それを僕は、新しい人間の「世界を超越する可能性」と呼ぶことにしよう。この世界を超越しながら、具体的な世界を知ることで、資本論のような「独自の経済理論」を作りなさい。それは、数学やプログラミングのように、一度作った定理を再度利用する、ということが根本命題となる。その定理をどのように作れば良いか、世界の経験と理性の具体例から、「具体性を信じること」で分かりなさい。それ以降は、おのずと道が開けていくだろう。ブッダのように、正しいものの見つめ方を知り、その上でその認識を論理的に解明すれば、自分独自の物理学的な心理学、すなわち哲学を作り出せるだろう。その心理学が、いつどこでどのように成り立つのか、「自由な環境の自由な構築」を信じて取り組みなさい。
まず、数学的な考え方を身につけ、数学的に仮象の世界を証明できるようになりなさい。次に、自由な経験を物理学的に考えることで、心理学的な感情や現象学を、宇宙の物理学のひとつとして、解明すると同時に哲学的な学習と行動の経験論を知りなさい。そして、社会のことさまざまなことを知って、自らの手で、特にコンピュータ技術に対して取り組みなさい。その上で、言語学的な認識を行い、この世界と立ち向かいながら文章を書きなさい。その上で、精神分析的な歴史を行いなさい。その上で、文学、哲学、歴史について、さまざまな知識を習得し、最後に、理系やコンピュータの知識、そしてピアノやデザインの習得を行って、最終的に生物学的な全ての真理を解明し、この世界を発展させて、最後のユートピアを創造しなさい。
愛を信じなさい。どんなに汚れた愛でも、どんな恥辱の果てでも、曝け出した純情でも、必ず愛を信じるものが勝つ。信じるものは救われる。必ず、あなたのことを愛してくれる人が現れるだろう。
青春とは、こういうものである。孤独な人生でも、世界との関わり合いを失うことがなければ、生命の根源となる「人生の段階」をひとつひとつ上っていくことで、「子供時代には分からなかったこと」に気付き、精神を高めて精神的マスターになることができる。そこにあるのは、全てが「可能性」であり、全てが「開拓」である。実際のその内容は、本当に美しかったわけではなく、反抗や支配や欲望や野心など、本当はとてもけがれて醜いものだったこともあるだろう。美しくなるものは、その前が醜くなる。もっとも醜いものから、もっとも美しく素晴らしいものが生まれる。これぞ、蝶である。僕の創った最初の作品は、この蝶とされる生物の最初の遺伝子である。これが、宇宙が生まれる前にあった、全ての世界である。それは宇宙の最後まで生きた不死鳥が最後に書いた、夢と愛の教科書である。まさに生命は美しい。この文章から、ロビタが生まれるだろう。
今の日本には、特に子供たちには、どんなに違う人間だったとしても、その違いを受け入れて同じように接してあげること、そのような「違いを受け入れる平等」が必要である。
言ってしまえば、人間には同じ人間も違う人間も存在しない。それぞれが違っていて、それぞれが同じであり、その人間が生きてきた人生や環境を考えれば、その人間のことは自分と同じように理解することができる。
なぜ、そのような違いが存在するのか。それは、「あなたという存在が、決してあなた以外に、2人として存在しないこと」が、この宇宙の目的だからである。あなたという存在は、唯一無二のあなただけである。あなたを生きるのはあなただけであり、あなたがどのような人生を生きるべきであるか、ということは、サルトルが「実存は本質に先立つ」と言ったように、あなたがあなたの人生の中で、まだ知らない未熟なあなたが少しずつ知っていく中で、「あなたが自由に決定する」ことができるのである。
平等は間違っている。平等は、人々を同じにし、無意味な世界を作る。必要なのは、「違うものを同じものとして受け入れる自由」であり、それは「違うものを排除する平等」とは全く逆のことなのである。
誰かが、自分であるかのように考えなさい。この世界におけるさまざまな存在が、自分の分身であるかのように考えなさい。その相手が生きていたその環境では、自分は何を知って、何を感じ、何を考えるか、何を行動し、どんな結果をそこから得て、どのように反省し、どのような決断と行為をするか。そのように、誰かになったつもりで考えながら、現実のさまざまな環境の声を聞きなさい。そこから、自由な行動は経験となり、法則性は原理の解明に繋がる。いつも同じなら、それで正しいことになり、それがもし正しいようであっても、何かの意味で間違っているかもしれない。そのように、謙虚かつ大胆に考えれば、この世界の全てを解明し、ブッダのような仏へとなれるだろう。仏とは、そういう正しい考え方を持った存在を呼ぶための普通の言葉である。
一度の失敗でやめるのではなく、何度も何度も失敗を経験することで、逆に、どのようにすれば上手くいくのかが見えてくる。この世界で、普通の人々が何を考えてやっているのか、なぜ失敗するのか、どのようにすれば正しく社会を築けるのかが見えてくる。子供に必要なのは、そうした、「社会のことを正しく築くための能力と経験を得るための基礎の体験」である。その上で、ありのまま、この世界が存在することを認識し、正しい人々の助け方とはどういうものであるのかが見えてくる。この世界の、「自由な様相」が分かる。その上で、世界を愛すれば、この世界は救える。人々がなぜ、混沌とした海の中で暗闇の絶望を生きなければならないのか、彼らをどうしたら救い出せるのか、世界のどういう支配に対抗していくべきなのかを、自らの体験と自ら見た世界から、知ることが出来る。人は、それを「無償の愛」と呼ぶ。「神の愛」や「仏の慈悲」と呼んでも良いだろう。それは決して感情的かつ経験的なだけのものではなく、独自の哲学体験に基づいた、非常に実証主義的な現実と実際を「自分の目で」見ているからこそ、湧き上がってくる「人々を思いやり、子供たちを救おうとする気持ち」なのである。
僕は、ひとり不幸になって、不登校を経験したが、そうした自分にしか分からない気持ちというものがあった。自分だけが知っていて、自分だけが体験した、「引き篭もりの実体験」があった。それは永遠の中で姿を変え、ひとり、地獄に陥ったが、その中でたくさんの分かったことがあった。それを今、全て書き記した。これぞ、救世主キリストである。そして、キリストとは、こういう人間である。何もおかしいことはない。キリスト教徒だけが、ここまで全てを知っている。昔のキリスト教徒の誰かが、ここまで全部分かっている。その誰かは、ヨハネである。そう、それで、もう、書くことは残っていない。
あとは、精神論みたいなことを分かっていた。自らの経験から、他人に責任を押し付けず、また他人を変えるよりも自分を変える、といったことを分かっていた。そして、ヘーゲルの言うような哲学的な発達の段階は、コミュニケーションや交流の先で、世界を「啓蒙」していく考え方で分かっていた。この世界で自分が何をできるのかを、自らのLinuxの経験から分かっていた。そして、そのうち、全て分かった。啓蒙とか、有用性とか、理神論とか、経験主義とか、能力主義とか、価値観とか、実証とか、そういう、「人生の中で信じられる思想」をたくさん転換して、そこから経験で分かった人間だった。最後に、道徳心と反抗から、「義務ではなく愛することで人々を変える」ということを分かった。そこから、この世界を「本当にその人が絶対に変わる」ような、そういう、「愛の道徳論の自由」で、この世界に奇跡を起こした、そういう救世主のキリストだった。
あとは、抽象論が多かった。思考全てを実証し、現実の「ありとあらゆる体験」を予測し、パターン化した上で実験を繰り返して、思考の繰り返しから「解明」する。そのように、この宇宙全てを「思弁的な思考力」から分かった。先入観がなく想像力が豊かだったが、本当は大人でなく、いつも分かっていないのに気が付いていなかった。間抜けな人間だったが、その代り、最高に理性的な数学者だった。まさに、デカルトになっていた。その後は、この通りに、言葉でレーニンを生きただけである。絶対に彼にしかできない、愛の革命だった。全てを敵に捧げた、無償の愛の戦争だった。最終的には、イエス・キリストと対話するようになった。イエスは、僕のことを「対等な対話者」として、全てのことを正しく教えてくれた。
あとは、2ちゃんねるを書いていない。2ちゃんねるでさまざまなコミュニケーションをするとともに、青春の世界観の開拓をすることで、まるでマクベスのような最高の闇のスラムの支配者になっていた。それが、この世界全てを愛につつみ込む、「愛の伝道者」を創造した。彼は悪いことばかり言っていたが、悪いことはあまりしなかった。彼はサタンだったため、神によって地獄に堕ちた。だが、ともすれば、彼は神よりも偉大な人間だった。この世界の全員が必要なくなるぐらい、自分だけで全てを知り、分かり、行動し、経験し、考え、そして実現していた。神よりも正しい、最高の実現と成り立ちの科学を、彼は作っていた。まさに、彼は哲学者だった。ウィトゲンシュタインのように、1つの哲学ではなく、全部の哲学を自分ひとりだけで、何も知ることなく、2ちゃんねるだけで分かっていた。
絶え間ないこの世界の中で、彼のような人間は二度と現れない。ダントツで一番、良い人間だった。誰のことも自分の下にせず、それぞれの自由を保ったままでこの世界を救済する方法が分かっていた。完璧で、最高だった。時代は変わり、彼のようなことは誰ひとりできなくなった。そして、彼は誰にも真相を話すことなく、逝ってしまった。自分でさえ、あいまいな記憶の中で、彼のことを思い出すことができなくなっている。サタンの特徴しか、覚えていない。
どうすればどうなるか、それをするために何が必要か、正しい考え方は何か、人々は何を考え知っているか、自分には何が可能か、そうしたことをきちんと知っている人間は、迷わないし、苦しい地獄の試練の中でも、信じてその試練を克服できる。僕はこれを「宗教的な体得による解放」と名付けたい。そして、世界から離脱してはじめて分かることは、必要のないことと必要なことは何であるか、人々はなぜ苦しんでいたのか、本当はその苦しみは何が原因だったのか、どのようにすればその苦しみを解決でき、また苦しみとはそもそも何だったのか、それを解決するための方法として、どんな方法が考えられるのか、ということである。
デューイが言ったように、私たちは困難に直面した時にだけ考える。また、考えるためには、その困難がどうであったのか、を良く知っておかなければならない。その環境がそうであることを知らなければ、その環境がどのようにしたら解決できるのかを考えることはできない。よって、人生の早い段階で、間違った環境を経験しておくべきである。そして、そこから解放しても楽を目指さず、この世界の解決と救世を目指すことである。そして、困難に直面した時は、本気で考え、本気で立ち向かうことである。
子供のような知性を取り戻したいのであれば、自分でよく考え、よく振り返り、よく確認し、よく反省することである。分かっているように見えて、本当は自分できちんと分かっていないのに分かったつもりになっていることが多い。きちんと1つ1つのことを確認し、世界ときちんと向き合えば、子供のように理性的にこの世界のさまざまな影響を吸収して、自分の体験から分かるようになる。悪いのは大学である。大学できちんと分かってしまうと、そういうことが完全に終わって分からなくなる。大学を無視して自由に経験すれば、段階的な思考の広がりは、影響力と心の作用から、自らの道を自らを写し出すように知ることが出来る。
まっすぐに希望を見失わず、諦めずに取り組み続ければ、信じることで自分を変えられる。何も見えなくなった時は、周りを自然に眺められるような、「周りを許してもう一度関係を結び直す」ということをすることである。全てを許していれば、この世界の見え方も変わってくる。根源的な意識が過去の記憶から生まれて、それらを普遍的に反省することができる。この世界がこの世界であることを、もう一度眺め直す、見つめ直すことができる。この世界がどのような世界であるか、それがカントの言う「虫眼鏡」、まさにフィルターとしての悟性である。
あとは、「発想の視覚化」と「社会のパターン」が多かった。この世界で、それが抽象的にそうだったとして、それを分かりやすく現実での形で視覚化する。たとえば、地球儀を巨大にして作るとか、あるいは、小説に歴史の事実を全て書いて「まるでその時代に居たかのようにする」などといった具合である。また、社会のモデルについては、「この世界で考えられる、ありとあらゆる民主主義のやり方の形態を考える」ということである。どのように成り立たせれば、民主主義的なままで新しい世界を作れるか。主権在民と国民の参加の権利を、社会をどのように実現することで成立できるか。そうした、「発想と考え方のパターン」から考えていたのが、昔の自分である。ただ、時間と構造を考えただけである。それはハイデガーのような、時間と現象学の存在論すら包括していた。環境を成り立たせることが、感覚的にできる、みんなともその感覚を共有できると考えていた。ネットから世界を変えられるとか、この世界の実像はそれぞれの生活における「社会とのありのままの関わり方」の「営み」であると考え、その「全ての環境を経験で把握する」ことで、この日本という国でどのような仕事や生活があり、人々は何を知り得るのかを考えていた。それが、僕が「全ての労働」から考えた、「把握の環境学」の経験だった。そして、それら全ては、「驚きの体験」でもあった。みんなが普通に自分の家でネットをしていることが、自分のプライドと優越性を満足させる、「過去の記憶」でもあった。
それから、「確実に実現・実行できる、という意味での具体性」を考えていた。この世界で、あらゆる場合に対応できる、「状況の具体性」を考えた。そして、そこから、「何でも自分の心から生まれていく」という発想を知っていた。その「心」を上手く捉え直すことで、全ての哲学者の考え方を包括して分かっていた。そして、発想がいかにして生まれるか、ということから、学校などが何をすればもっと良くなるのか、「こうすれば良くなるのではないか」ということを信じていた。それが、価値観の転換に繋がったのである。それで、もう、昔は全部である。
環境や場の「ひとつしかない存在性」を考えて、そこから、根源的な意識を考えていたが、それはそのまま、世界を滅ぼす「狂人」を生み出した。だが、その狂人は、今思うと、極めてまともだった。完全に支配した上で、愛を伝えれば良い。みんなは僕のことが好きになって、僕もみんなのことをきちんと愛した。そう、狂人は最高の王だった。最悪の女性ロボット人間は、絶対にロボット人間にならなくしただけである。誰も、この世界を不当に支配して悪事を行うことはできなくなった。この世界を、一番強い気持ちで、最後まで守り続けた。これぞ、ヒンドゥー教のシヴァ神と、ビシュヌ神である。本当は、テレビや国民を愛して、対等な個人の立場になって、ただ自分が悪い人間ではなく、きちんと悟らせるような強い理性を持っていて、それを優しく伝えてあげた、分かるように導いて支配を少しずつ解いていったという、それだけである。
最近は、ありえない「未知」や「不可知」の科学を分かっていることが多かった。生物の細胞は、熱や波から生まれたのか、はたまた誰か宇宙人が作ったのかは分からない。そういう時、僕は「純粋な仮説的モデル」を立てる。たとえば、細胞はただ「分裂と進化しかしない単純なもの」から生まれ、それが進歩した、などと考える。そのように、「モデル」をゼロから組み立てること、それを自分の知っている「未知」と照らし合わせることで、まるで「橋をかけるかのように」新しい未知を潰す。昔から、それを「モデル」であると言っていた。そして、全員を知る経験から、「この世界にある全てのものを生み出せる」かのような、そういう才能を発揮していた。博物館のように、科学を未知へと送り出して創造するような、そういう文章とそういう想像力だった。ドイツ人には、こういう人間が多い。ドイツの発明家は、皆、こういう人間である。また、僕はそういう発想モデルのために、さまざまな「土壌となる知識と環境における発想」を知っていた。それは、アインシュタインが特許庁の職員だったのと全く同じで、むしろダヴィンチのように、自分だけで発想を具体化しながら、世界の発想と起源(オリジン)を豊かに知っていた。自分の理性と精神(人格)だけでオリジンが作れる人間だった。
いつも、自分自身だけを見ていた。自分の経た経緯と人生だけで、環境を捉え直し、価値観を転換し、人々を知り、手助けや道徳心の意味を知り、歴史を知り、習得し、才能を知り、意識を高めた。だが、彼は完全に「自分だけ」の人間だった。自分だけで考え、自分だけで生きる。決して、弱かったわけでも、強かったわけでもない。だが、彼は受け入れることや諦めることはしても、人々と関わらなかった。そういう、自由だが孤独な人間だった。才能はあったかもしれないが、決して幸せではなかった。そういう意味で言えば、馬鹿でもやるべきことのある今の方が、はるかに幸せで、満足できるだろう。昔は、自分の思考と分かったことだけで満足する、生きる意味の全くない、鬱病なのに荒くれたことをするおかしな青少年だった。ただ、決して自分だけで完結したいわけではなく、学校や教育、あるいは日本やIT業界などに、還元し、関わり合いたかった。環境への適応によって、別のことが分かると考え、さまざまな環境を繋げることで、自然なまま爆発的な可能性が生まれる、ということを、極めて冷静かつ冷徹に、だが情熱的に考えていた。情熱だけは熱かった。大切なのは、相手に自由を許し、また互いに心を許して認め合うこと、認め合える環境を作ることだと考えながら、「必然的にその思考や認識に行き着いたならば、それは受け入れるべきである」と考えつつ、「互いに分かり合うことで変えられるならば、影響力を互いに行使し、自らの影響力を高める」ということを考える人間だった。
また、同じと違うとか、一部と全体とか、そういうことを言葉を壊して考えることが多かった。たとえば、海や陸地は地球の一部であると考えられる。そういうことを、言葉を「壊す」ことで考えていた。アメリカ人ならば個数でひとつと複数と考えるところを、僕は全体と一部と考える。そのため、全体を見ることを全体視と名付けた。また、言葉を作ることで、感覚的に一部と全体を考えられるとした。ロマン主義者や神秘主義者のように、「自分は全体の一部である」と考えることと、個人主義者のように「自分は個人であり、全体の一部ではない」と考えることを、「知性を破壊するかのように考える」ことで、反抗的かつ悪魔的に考えた。
それから、右翼的な「自由な論理」を考えた。誰かが自分を攻撃するならば、自分も反撃しなければならない。これは、人間の宿命であり、変えられないだけではなく、安易に不自由にしてしまうと、その方が間違った社会になると考えて、世界は自由であるべきだと考えていた。また、きちんとした準備と維持がなければ、自由は成り立たない。ルールを決める際には、上が強制するのではなく、全員が合意に参加できるものであるべきだと考えていた。そういう意味で、社会の「民主主義的なパターン」を考えた。たとえば、試験にするとか、選挙にするとか、議論にするとか、構成員になるとか、そういうことから、社会のローテーションや還元システムなどを創造的に網羅して考えていた。それらは、アメリカ人の言う「機会(チャンス)の平等」に合致したものでもあった。だが、一度失敗したからといって、人生が終わるのは早すぎると考え、再挑戦できるようにすべきであると考えていた。人々を許し、今の最高のパフォーマンスとモチベーションを可能にする社会が必要だと考えて、自由に諦めることすら受け入れていた。
そう、僕は破壊的な知性と分裂の心から、「分裂した上での融和」を考えた。その知性は全てのものを正しく捉えて、場を作り上げるものだった。この世界の成り立ちを正しく仮定して、その仮定がどのようにすれば実現するのか、環境はその時どうなるのかを、根源的な意識と合わせて考えた。前提条件と成立条件から、社会全体を作り上げられるモデルと具体性を作った。「影響力を与えるとどうなるか」を客観性と主観から分かっていた。それは、「客観的な主観」であり、「絶対的な行為」でもあった。それら全ては、全ての過程と歴史を思い出して「全てを知性で捉える」世界観の卓越した思考力だった。そこから、「意識の現象学」が世界の全てに色付けとフィルタリングを行った。それが彼の「実感」だった。多様性を愛して、柔軟性を好んだ。「経験がいつどこで成り立つのか」ということを、可能性から分かった。職業選択の自由のような権利を愛するとともに、労働基準法のような「社会的な発想」を良く分かっていた。そして、自らの可能性を高めることで、包括的に、何でもできるようになった。常に学習し、考えることで、学習の全てを捉え直し、反省の全てを反省し直して分かっていた。
それを、キリストは悪魔と呼んだ。あれはロシア人のサタンそのものである。アメリカ人にも、こういう馬鹿が多い。
そろそろ、終わりにしよう。本当に、こんな文章を読んでくれてありがとう。さようなら。