新・日記2に戻る | 2019年2月の日記に戻る

=2019-02-28=

アメリカやヨーロッパ、とくにドイツが目指しているのは、機械や科学技術によって、何でもできる世界である。

本当は、今ある科学技術を使うことで、何でもできる社会を作ることは、そろそろ可能である。

IoTとウェアラブル端末を組み合わせることで、アンドロイドの魔法使いのように、ものや機械と人間を繋いでありえない操作をすることができる。たとえば、野球ボールをIoTにし、グローブをウェアラブル端末にすれば、本当に曲がる魔球のようなものは作れる。その上で、VR機器を使った仮想現実や拡張現実の技術を使ってIoTやウェアラブルと組み合わせれば、仮想現実の中で魔法のようにものを操れる。Google HomeやAmazonエコーなど、人工知能とWeb/インターネットサービスをそれらと組み合わせれば、まさに「何でもできる」ようになるだろう。

千秋が「天使の羽を見つけてみせる」と歌っていたが、それはドローンである。少し大きなドローンを人間が乗れるように作ることで、人間は鳥のように空中を舞うことができるようになる。

アメリカやドイツが目指しているのは、そうした「何でもできる世界」である。

だが、無駄なことができたからといって、何も良いことは無い。楽しいのは最初だけで、そのうち問題と犯罪の温床になり、最終的には地球環境を破壊して全員の精神を狂わせる。

だから、アメリカやドイツは、最初から完全に間違っているのである。そのような「何でも出来る科学技術」を信じることは、全く価値のないことである。

僕が予言しよう。20年後、アメリカやヨーロッパという国や地域はなくなっている。あるのは、日本人を中心とした巨大なソ連ただ1つである。そのような世界になって、この世界は3000年、何も変わらず存続するだろう。

僕はこれから、この世界を「自分らしく、思い通りに生きられる、個性豊かな世界」に変える。

この世界は、何もかも思い通りには生きられない、個性のない世界になった。みんな、自分らしく生きたいのに、生きられない。世間やインターネットの声におびえながら、自分を隠して生きるしかない。自分を殺して何も言わず生きるしかない。

こんな国が、自由で平等なわけがない。

僕はこの世界を、自分らしく、思い通りに生きられるようにする。悪い自由は全て消し去り、きちんとした理性とルールを持つことで、「本当に自分たちの世界であると言える世界」にしていく。僕は、その世界のことを、「アイデンティティ(価値観)とリアリズム(現実主義)が融和した世界」であるとする。そこにしか本当に自由はない。単に、理想と現実のバランスを取れば良い、というわけではない。より実践的に、「確かな自由と自分らしさ」を取り戻せる世界にする。

そのために、僕は人間を導いて「機械的な執筆」を行う。これは馬鹿に見えて、「オープンソース文学」と呼ばれるものである。全ての可能性を潰し、全ての言葉を誇張して作り上げるこの文学では、宇宙全てを完璧に創造する。そして、それは偉大な王となって、世界モデルを作り出し、この世界を一夜にして白紙に戻す。そう、これが最後の王である。

そして、これでもう、書くことは無くなった。終わりが訪れる。最後に僕が、この世界に現れて、悪を全て滅ぼし、全員を正しく裁判にかけるだろう。これぞ、反ドイツの独裁的哲学者、帝王シュバルツのあらましのすべてである。

ビジョン、知性、永遠、そして一瞬の中で、この最後の王が全てを遺した。人生で見たもの、知ったもの、考えたこと、体験したこと、全てが書いてある。この人間は、確かにここに居た。キリストになった。これが正しい、そして新しい救世主キリストである。対話の神は、最初からキリストである。

あなたが中学生であれば、他人とは全く違う人生を選びなさい。違う人生を生きることで、人間は必ず救世主の経験をする。成功よりも、夢ともがき苦しみを耐え抜いた後に得られる可能性の成功を信じなさい。信じれば、できそうにないことでも、きっとできるようになる。あなたは何にでもなれるし、何でもできる。可能性を高めれば、必ず何かが成せる。

方法ではなく、目的を考えなさい。執筆が紙とペンからパソコンのワープロソフトに変わったからといって、目的である「文字を残すこと」は変わっていない。いつまでも、どんなに手段の方法が変わろうと、目的だけは未来永久変わらない。どんなにできることが増えても、やることは同じ、文章を残すことである。パソコンという手段を見るのでなく、文章を書くという目的を見て、目的を叶えようとすれば、生きるべき道は自ずと決まってくるだろう。

アイデンティティと自由のある社会を現実の環境としてみんなの手で実現しなさい。分かり合える自由から、きっかけの実現を知りなさい。可能性を開拓し、多様性と独立性のあるシステムとルールを作り、参加者によって自立して変えられるようにさせなさい。そして、子供にはありのまま、全てを教えなさい。それこそ、この哲学者が分かった、「正しい思想」である。

実際の現実と空想を照らし合わせながら、それぞれの人間がどのように行動するのかを知り、仮想世界を創造して、その上で実際の歴史をしかと見つめなさい。そして、知と真実の経験論から、人生の場面と心を捉えて、現象学的なシステムにし、最終的にはそれぞれの世界観を掌握して、この世界全体を一人で支配しなさい。そこには、心理学と歴史の境界線は存在しない。自分の心が歴史であり、自分の為すもの全てが革命である。

最後の世界を作る前に、僕はここで居なくなる。僕が独りで全てを創造したのではつまらない。みんなが自分で悩み苦しんで、それぞれがそれぞれのやり方で、「多様な世界観と信念」の中で世界を作るべきである。それを、「メタ思想」と僕は名付ける。メタ思想の中では、それぞれがそれぞれのやりたいようにやること、それが正義である。そのために、独立性とたくさんの協力者を集めること、それが米ソとドイツのしたかった、本当に人々が望むだろう、正常な自由である。僕は、そのための基盤システムと土壌を作りたかった、「ヒーローになるよりも、ひとつの自分の世界を創造したかった」人間である。

本当は、僕はこの世界のみんなの望むことは分かっている。この世界は、「必要のない自由が無くなること」と、「自分らしく生きられること」を望んでいる。だから、僕はそれを叶える。必要のない自由がなくなるためには、最初からみんなを同じにして何も無い世界にすれば良い。また、自分らしく生きられるようにするためには、そのための能力や経験やビジョンを与えれば良い。僕は、これを「能力主義的な平等」と名付ける。この平等によって、社会は正しく築くことができ、価値観の転換からこの世界全ての「答え」を全部知られるようになる。これが理性的な、全員の望んでいる、願いの実現である。そして、これはつまらない、誰もが嫌いなソ連の理想である。

ソ連がなぜ嫌われるか。それは、顔の無い思想だからである。ソ連には、顔が無い。個性も、生き方も、人生も、自由も、大切なものも、かけがえない自分らしさも、全て存在しない。ただ、奴隷になり、世界を滅ぼし、人々を殺戮する、暴挙である。だから、必ずソ連は負けることになっている。ソ連は勝てない。ロシア人は間違いすぎている。こうした発想の全てが「悪」であることに、気付いていない。盲信的な、指導者の奴隷になっているのである。

昔は、決して善良な人間だったわけではなく、むしろ、凶悪な人間だった。全ての悪いことをし、全員の世界を滅びへと導き、そして、顔のない聖者の後進を真似ていた。この世界を、顔のない人格破綻の右翼が支配しようとしていた。

だが、あれは賢かった。最近、あれの賢かった点が良く分かる。自由が賢かったわけではない。だが、あれは自由な「能力と経験と知」の哲学によって、まるで将棋の羽生善治のような最高の知性を持っていた。この世界の全てを、ひとりだけで、インターネットと自分の考え方だけで、完全な思考力と経験から分かっていた。想像力のある、将棋棋士のような思考力のある人間だった。

そして、それはなぜかと言うと、ひとり、絶対に何も出来ない環境の中で、「出来る」と信じたからである。自分の行きたくない学校へ行かない自分へのカタルシスのような憎しみを抱えながら、悲しい別れと喪失、そしてそれだけではない国に対する希望と自らの夢への自立性から、本当に賢くこの世界を考えた。自らの思考だけで、この世界の環境や心がどのようになっているのかが分かった。そう、彼は中学を不登校になったから、そしてそこにパソコンと悲惨な時代があったから賢かったのである。

こういう、不登校の少年は、羽生のように賢くなった場合、すぐに馬鹿になる。それは、羽生以上は、天皇しか居ないからである。天皇のようにこの世界を支配して、死の淵まで戦えば、それではじめて楽になる。最高の恐怖と辛さは、その後の自分の人生に比べれば、そんなに辛いものではない。

そして、天皇まで終わってしまうと、一転、何もしなくなる。普通は、大学のようなことをするようになる。一度も大学をしない人間は居ない。こういう、大学に入らなくて賢くなった人間は、賢くても賢くない。きちんと大学ができたら、それでもう何もできなくなる。人間とは、そういう生き物である。天皇や大学をやっている間、何も分かっていない人間が多い。最終的に羽生に戻るように見えて、それはすぐには戻らない。いつまでもやっている人間の方が多い。これが、セカオワの言う、「矛盾だらけの腐敗した大人」である。決して、人間は腐った存在では、無いだろう。最後に、恋愛をして、男も女も、それで終わりである。ここで全てが終わりになるが、このまま最後まで頑張らない人間は居ないだろう。最後まで頑張れば、それで良いものだ。こうした人間は、幸せだ。

あのバカは、インターネットを知っていたせいで、さまざまな世界のことを見て分かっていた。特に、2ちゃんねるやはてなを見ていた。また、大人の見るIT系のニュースサイトを見たり、技術のブログや記事を読んだりして、技術者顔負けの知識を持っていた。何も無かったが、ネットを見ることで、その時代のこの世界の多様な良い環境と、みんなの考えていることを知っていた。そこから、とんちのような力がついた。

そして、あのバカは、もっと馬鹿になる。それは、世界に対して、轟くような革命戦争を起こしたからである。だが、それは、戦車やミサイルのような、ドンパチし放題の戦争ではない。彼は言葉とインターネットを使うことで、マスコミとアメリカを導いた。少しずつ変えていき、愛の罠を仕掛けることで、この世界の全てを自分ひとりを中心に支配し、世界全員のことを愛していた。そのような、「愛の革命」だった。

その愛の革命には、理由があった。ネットを見ていて、僕はあらぬことから世界を変えてしまった。全面的に、新しい世界にしてしまった。その、新しい世界に不満があった。それは、僕と出会わずして、僕を知っているからである。僕は、「愛してくれるみんなと、どこかで出会いたかった」と思ってしまった。そうした、「みんなのもとに現れたい」という強い欲求は、臆病な心を勇敢にさせ、その上で世界に登場し、自分の分かること全てを詰め込んだ。大切なもの全てを失っても、僕は臆病さよりも勇敢さを取った。そうした、ロシアのような王だったのである。最後まで優しい、最大の革命家だった。

そして、後は、ただ、なるように任せていたら、心の声に逆らえなくなって、自然に神との対話になった。僕は、臆病さよりも勇敢さを取った。それは、何もしないことよりも滅びを選んだ方が、「何かがありそうだ」と思ったからである。僕は宇宙人に全てを任せて、最後まで恐怖を治し、最後に死んだ。そこでは、自由と愛の勇気の風があり、雨は夢となって世界を埋め尽くした。

終わりである。僕はそこから、この文章を書いている。この文章は、本当はそんなに大したものではない。日記とリンク集が大量にあるだけの、インターネットのホームページである。この先、ピアニストになるのか、デザイナーになるのか、はたまた英語教師になるのかは分からない。だが、僕は幸福で、みんなに愛されていた。それだけは、天国に逝っても変わらないだろう。ここで死んでも、満足である。悔いは何もない。あるとすれば、もう少しマシなことを世界の人々に対してしたかった。僕は、滅ぼそうと思って滅ぼしたことは、一度も無いからである。では、さようなら。またいつか、どこかで、逢うだろう。

そう、言ってしまえば、僕は最初からあなたに逢いたかった。だから、僕はここに現れた。そして、あなたが僕に出会って良かったと思ってくれたら、それで良い。それで僕は、最後に満足して死ねるだろう。僕も、もう、すぐに死ぬだろう。足の怪我が酷くなって、食べるのも辛くなって、僕は死ぬ。この人生に、一片の悔いもなかった。さようなら。天国では、猫と一緒に、永遠に遊んでいるだろう。いつもベッドで一緒に寝ていたように、いつまでも猫と一緒に寝て、そしてそのまま、僕は永久に目覚めなくなるだろう。