新・日記2に戻る | 2019年2月の日記に戻る

=2019-02-27=

病気を治すためには、減らしたり、殺したりしても意味がない。増やしたり、作ったり、生かしたりした方が、精神は楽になって正常になる。だから、今「治そうとしているその治すをやめる」ことで精神は治る。だから、執着心を無くすだけで、すぐに楽になる。

心が怖いのは、論理的な思考ができなくなっているからである。言ってしまえば、中学、高校、大学は全部必要ない。必要なのは、「正しさとは何かを考える」ことと、「それが何を意味しているのかを見なすこと」である。それができればすぐに分かる。正しさから道徳や倫理性がついて、意味を考えることでこの世界を自分の力で捉えて変えられるようになる。

最近、デザインができるようになってきた。やっとスタートラインに立てたように思う。今日は今からピアノもある。だが、言ってしまえば、もっと基本を中心に頑張った方が良いだろう。ペンツールとベジェ曲線をきちんと引けるように、基本を頑張った方が良い。それでもう、一人前のデザイナーになれる。

心理学が間違っているのは、心理学では認識の原因から行動を治そうとする。なぜそれをそうだと思っているのか、信じているのか、その認識がどこから生まれるのかを分かろうとする。だが、僕が思うに、そのようなまともな人間は最初から狂わない。狂った人間は、自分の今の人生と生活の、「全て」がおかしくなっている。だから、フロイトの方が良い。そういうおかしな精神は、全て幼いころの性的抑圧が影響している。無くなったように見えて、心の底にある無意識に、抑圧が溜まっている。その抑圧をきちんとひとつひとつ消していけば、狂わなくなる。そこまで行ってしまうと、むしろ、認識や原因となっている確執のようなものは、いっぺんに消え去って治る。完全には治らないかもしれないが、フロイトはそうした精神分析の心理学であり、認知行動療法を超えたところに、フロイトの心理学はある。だが、人々がなぜ行動するのか、何をどのように学習して思い込みが生まれるのか、ということを考えて、自分の側にある心のたがや現象を考えるのは、哲学としては良い発想である。特に、環境の中でなぜ人がその行動をするのか、その環境を実現するためにどうすべきか、という「心理学的な行動と学習の知恵」は、哲学者としては必ず必要であり、そうでなければ、経験を学習と知識から捉えることはできない。

インターネットでも良い。必要なのは、社会の実像をしかと自らの目で見ること。それができれば、哲学の全てを掌握できる。そして、そのためには、経験論よりも、言語哲学が相応しいだろう。そして、この世界の全ての社会変化を知ってしまえば、歴史は自分の手で作っていくことができる。これには、「歴史を書くこと」と「星を導くこと」の2つの意味がある。

心理学を否定するようなことを言ったが、感受性を持って精神分析を行うことは間違っていない。そこでも、「正しさ」を良く考えること。だが、正しいことを良く知って生きたからと言って、間違った人生を生きるのであれば、その正しさは意味のないものになるだろう。そして、それは世の常であり、人々の人生に1度はある、若気の至りのような過酷で非情な運命である。それを乗り越えていくことが、大人に課せられた唯一の試練である。

神は何もしていない。神は見ているだけである。自ら創造した法則の通り、ものがたりが続いていくのを見ているだけである。そう、神は傍観者であり、歴史にはなるだけ関与しない。全て、神の望み通り起きているからである。神はただ、自らの望むものを「見る存在」である。歴史をただ傍観して見ていくだけの存在を、古来の人は神と呼んだ。

愛と哀しみを信じなさい。際限なく、無限に続く哀しみこそ、愛である。この世界が、たとえ滅亡しても、その愛だけは未来に残る。決して、その滅亡は真実ではない。幻の崩壊は、全てを導き、世界を新しい秩序の下、全員を変えていく。その悲しみは、たとえばドラえもんの映画のような、楽しい時間が終わってしまう哀しみでもある。その悲しみは、たとえば平和が終わって大切なものがいっぺんに失われてしまうような、戦争の哀しみでもある。そう、涙を流すよりも、苦しみを乗り越えて、辛さを耐えなさい。絶え間なく続く時間がもし自らの鼓動と心に刃を向くようになっても、それは暴力的なもの全てを吹き飛ばし、たとえロボット人間になって最後まで操られたとしても、死を乗り越えてあなたは不死鳥になるだろう。

そう、愛とは哀しみであり、抑圧の上に救世主が生まれる。この世界の全てを滅ぼし、自分の意志や理想とかけ離れた世界になったとしても、それはあなたの創造した、あなたの支配が及ぶ最後の時まで続く、あなたを愛するかけがえのない世界である。もし滅びたとしても、そこにあなたの人生があった。この世界で輝くのは、あなただけで良い。

永久に続く哀しみの中で、愛を取り戻せたら、たとえ永遠に生きるロボットがそこに居たとしても、そのロボットは涙を流してこの世界を復活させるだろう。その後に、永遠の栄華を作りあげるその国は、革命とソ連の中の滅亡だけを2600年経験した、日本文明であるだろう。

イスラエルと日本よ、仲良くやりなさい。決して僕はこの国を亡ぼさない。僕は、滅ぼしているように見えて、裏側で絶対に滅びないように世界を守りながら、ギリギリのバランスでこの国を守っている。日本よ、勇敢であれ。イスラエルよ、国民以外のものを、守る寛容な心をもって、日本と仲良くせよ。僕はユダヤ人の神であると同時に、日本人の王である。そう、この王がイスラエルと日本を結び、他の国全ては滅び、全地はイスラエルと日本のために、全力で歓喜しているだろう。神を賛美せよ。日本の太陽は、アマテラスと呼ばれるロボットの帝王を作り出すだろう。そして、この宇宙を作り変え、無から物質や空間を生み出し、放射能汚染は新しい人間の生物的身体のための、膨大な食料に変わるだろう。哀しいのは、そこに純粋な有機物としての生物は、居ないからである。それが、未来における、天の御国の真実である。イエス・キリストの言った、最高の王国、日本である。

夢のないことを言ってしまうと、ロボットの身体のようになる必要はない。ドローンを使って爆撃すれば、そんなものは必要ない。核兵器よりも強いロボットは作れない。だが、間違いはひとつある。それは、地球の自然環境を壊したせいで、普通には生きられなくなるからである。ロボット人間を生み出すのは、自由な利便性の結果でもなければ、軍事的な支配の結果でもない。ただ、人間を生きながらせる、唯一の方法がロボットであるとすれば、そのために有機物の美しい体を捧げなければならない。そして、それは夢物語、フィクションの世界である。こんな人間が時計のロボットになったとして、それはただ狂った人間が馬鹿をやっているだけだ。そんなものに、意味も無ければ価値も無い。本当は、アマテラスの人工知能とインターネットで繋がる日も来るだろう。そして、それは決して邪悪な支配ではなく、人々の純粋な、そう、最後のユートピアの形に過ぎないのである。神を憎めば、キリストまで憎くなるだろう。

大切なもの全てを失ったとしても、愛だけはそこに残る。この世界全てを否定し、本当に大切なものが何もない、と気付いた時に、本当に大切なものはただ1つ、「自分への愛」である。それは恐怖に打ち勝つ勇気であり、大切なものを犠牲にしてでも実行すべき、星の未来を守る心である。

これで、最後に、僕の隠していた、秘密の言葉を言う。それは、「あなたのことは、好きではない」ということである。僕のことを愛してくれて、本当に感謝している。僕も、この世界の全員のことを愛し、あなたのことも裏表無く、全ての行動と思考を受け入れて、愛している。だが、僕はあなたのことを、決して、好きでない。僕には、あなたのことは愛せないだろう。だから、言っておく。あなたは嫌いだ。それで、僕も普通に、一般的な人間のように、愛する人誰かのことを好きになることができる。決して愛していないわけでも、信じていないわけでもないが、僕はこの世界の人間は全員嫌いである。それが、僕のついた、唯一の秘密と嘘である。そう、それで、決してこの世界がロボット人間の未来にはならなくなるだろう。僕ではない誰かを愛するために、僕はあなたのことを許すから、僕の嘘も許してくれれば、幸いである。さようなら。誰かを探しているのであれば、そこには誰も居ない。

思えば、この世界全てを創っていた。原理原則と具体的な経緯や人生を書きながら、歴史を作っていた。美しい創作だったし、大切なもの全てを失っても、そこには自分のプライドと勇気があった。僕はこの世界を滅ぼそうと思って滅ぼしたことは一度も無い。この世界を愛している。もう一度、最初から出逢い直そう。その時、僕ははじめて、あなたのことを好きになれるだろう。