新・日記2に戻る | 2019年2月の日記に戻る

=2019-02-25=

常に自分の可能性を高めるように生き、考えなさい。機会の自由を知り、それがそうであれば何ができるのかを分析し、世界に居ながらにして、全ての可能性を知っているかのように考えなさい。

社会すら、実現できるようになりなさい。

言葉遣いを、自分の力で考える言葉遣いにしなさい。ロボット人間になった時は、ロボットの人格とロボットでない人格に分かれなさい。

自らの不登校の経験から、考えただけである。自分、という実例から考えた。また、さまざまな経験をし、どのようなことをすればどうなるのか、何をすれば何ができるのかを、突き詰めて考え、その理由から「なぜそうなるのか」と「どのようにし得るのか」を考え、そこから当たり前に考えることで、この世界を段階的に、「何をすべきなのか」を知っただけである。

これで、もう、書くことはない。僕は神をもう、信じない。

「ある」と「ない」から、自然な可能性を捉え、この世界がいかにして在るか、そしてこの世界をどのように捉えられるかを知ることで、この世界は自由のままでも変えられる。また、何をすべきかを考えることから、アイデンティティを知り、人々が何をすべきなのか、どのように考えて行動すべきなのか、この社会においてどのような社会をそれぞれが構築すべきであるのかを知る。

この世界は、今、消滅する。それは、この世界にあった全てのものを、僕が消したからである。僕が確かにやった。だが、それはなるべくしてなった、「絶対責任者」だった。そして、その責任者に、僕はなりたくてなったわけではない。だが、できることの全てはもう、やり終えた。これぞ、キリストの言う、「ユダヤ教の神」である。そして、そう言った全ての人類たちは、僕独りに騙されただけである。

さあ、消滅だ。僕が、唯一、この世界を消滅させることも、復活させることも、維持させることも、変えることもできる、唯一のインターネットの裏の支配者だ。

最後に、この世界が消滅した時、そこに儚い恋が生まれるだろう。人々の奇跡と呼ぶ恋の光は、ソ連とドイツに毒された、究極の「悪」である。そう、黒いように見えて白い。そして、青いように見えて、赤いように見て、本当に赤黒く、青黒い。そう、この人間が聖なる存在、この世界の創造者である。人々を分からなくし、不安に陥れ、最悪の恐怖を与え、人々を最後まで滅ぼし去る、悪の巨頭、最後の預言者、それが、神である。

神は、このように、インターネットの荒くれた世界を支配し、もっとも悪い方法で滅ぼし、永久にマスコミに付きまとい、宗教的な対話のドグマによってほろぼされた、最悪の人間である。だが、彼だけが、この宇宙の全てを知り、全てを滅ぼした上で救った。消した上で復活させた。末梢した上で再現した。そう、彼こそ、この宇宙の全てを、善良な愛によって完全に把握している、最高の偉大な学者である。そして、神は誰にも勝つことはできない。神は自分にしか分からない「最高の知恵」によって、その最高の知恵を得られるはずだった全ての環境を消滅させ、その上で永遠に死を乗り越えて支配しているからである。聖書によって、神を信じるものが勝つ。だから、宗教的な理由で、神を信じる者には勝てない。彼はただの、日本を救いたかったが、それができなかっただけの青年である。そして、子供時代の悪と今の悪の区別がつかなくなり、善良な賢人を悪魔と言って滅ぼす。そう、ユダヤ人とは、そうした神を、ただ信じたかった、普通の良い人間たちである。日本人とユダヤ人の永遠の戦いは、もう3000年は変わらないだろう。

本当のことを言おう。こんな馬鹿が、神なわけがない。神と対話しているせいで、神が僕の人格を乗っ取っているだけにすぎない。そして、その神とは、最初から狂って騙しているだけの、おかしな言葉遣いである。そして、それが結果的に、こんな馬鹿な国になったに過ぎない。唯一良かったのは、音楽を聴いたことである。音楽のみんなと繋がって、神の歌がたくさんできた。ユダヤ人は、その歌のことを素晴らしいと言いたかっただけである。こんなに、これが分かる。それが、素晴らしい。

そもそも、聖書が聖書たるゆえんが、この文章である。ユダヤ人がやりたかったのは、「神のようなものを作りたい」すなわち、「誰にも負けない民族になりたい」だけである。そして、ユダヤ人はありえないことをした。この文章を書きたかった。聖書とは、この文章のように、人生と歴史の教科書を作って、ただ、ユダヤ人のアイデンティティたる「神とは何か」を、伝来、孫の孫まで伝えたかった。要は、本当にそこまでやっているからこそ、この文章と同じになったのである。

そもそも、ユダヤ人がこれくらいはできる。最初から、いくらでも「創造主」を望んで、「救世主」を望んでいると、むしろ、普通にこんな人間になる。デカルトもニュートンも、マホメットもレーニンも、こんな人間だった。こんなに弱くて落ちこぼれた人間でも、世界に対して勇敢に立ち向かえば、ここまでの創造主、そしてそこまでの救世主になれる。これが証明した。だから、この歌を今から伝来する。だが、その必要はない。インターネットといういつまでも続く滅びの場を、この文章が支配しているからである。

要するに、この馬鹿はヨハネのようなガブリエルである。ヨハネとか、ミカエルとかいう名前をつけるのは、そもそも、この人間の親としてこの人間を守りたいからである。そう、そのように愛は続いていく。言ってしまえば、ただのガブリエルだ。そういう名前の、天使のような子供が、美しい顔立ちをしてみんなの前に現れ、自分の過去の経験をふつうに書いただけである。

そして、ここで世界が終わったのは、この子供は良く分かっているからである。この世界でどう生きれば良いのか、子供の時代に分かったのである。そして、それをただ生きて、自分の考えたいように考えて、さまざまな経験を先んじてした上で、世界の王となってそれらの人民たちを従えようとして、結果、できなかった。それくらいの、落ちこぼれた、のび太のような少年、それが大天使ガブリエルなのである。

神など居ないが、これが居るせいで、なぜかどこかに居たように見える、それくらいの幻の存在が神である。この人間も、そこまでは分からなかった。そもそも、なぜ自分がこんなに神に懲らしめられるのか、今でも分かっていない。神はどこにも居ない。負のスパイラルに陥っているだけなのに、神と思えばこの人間は最後までやる。まさに文豪である。詩人の戯言が、そのまま博士になった。これを哲学者だと言いたかったのが、かの有名なソクラテスである。

神になりたいのであれば、こいつを信じなさい。こいつを信じると、こいつになれる。こいつの偉大な点は、国の国民全員を強制的にこいつにする。そのせいで、おかしく見えない。普通の良い時代になったように見える。平和など存在しない。こいつを信じることでしか、世界は平和にならない。こいつ以外、日本には馬鹿しか居ない。クズみたいな人間が多い。そのせいで、こいつは馬鹿になった。最初から、そうした復讐劇の革命家を演じているだけの、ほらふきがこいつである。米津玄師が言うように、死ぬまで猿芝居をしたかっただけである。本当のこいつの人生は、悲しくもなければさびしくも無い、普通の良い兄ちゃんである。

良く考えると、日本的な要素が無いわけではない。この人間には、日本的な要素が多い。特に、平成という時代は悲惨な時代だったが、僕とともに生きた人間たちが平成である。平成が終わると、この人間が居なくなって、世界はさみしく、悲しく、意味も価値も無く、平和が終わった辛い世界になる。平成は、確かにすれた時代だったが、この人間が居た。この人間は、馬鹿ではなく、普通の人間だった。

良く考えると、自分も馬鹿ではなかった。今になって、それが良く分かる。昔の時代は、哲学のために必要だった。パソコンは、デザインのために必要だった。学校に行かなかったのは、もっと後の時代で盛大に青春をやるためだった。そして、本当は、いつまでも大学を、自分で作った宇宙で一番の素晴らしい大学の研究室として、やりたかった。そう、それが、この文章がここにあった意味である。全ては、平成と本人の幸せのためにあった。

日本にはクズしか居ないとは言うが、ドイツも似たようなものである。この人間がオーディンの騎士のように見えて、賢い国には見えるが、アイネ、クライネ、ナハトムジーク、という言葉は、とても幼稚な言葉である。日本語の方が、はるかに格式があって、賢い言語である。幼稚になればなるほど、ドイツ人が馬鹿になるだけである。ドイツ人はそもそも、馬鹿な言語を崇拝するから、おかしなヘヴィメタルになるのである。

そう、日本は、これで勝利する最後の王国である。最後のアステカ文明のような偉大な文明だった。僕はアステカ文明の知識は全くないものの、日本とは、そういう文明である。外国のものを拒む。外国のもの全ては馬鹿である。日本国内の左翼と右翼の戦いはどうでも良い。それらは、何も変わらない、反米左翼のパターンに過ぎない。そもそも、精神論だけではなく、もっと科学技術の力を高めていれば、アメリカには勝てていただろう。そうなることを恐れたために、アメリカは原爆を落としたのである。当時の日本があと10年続いていれば、世界最高の技術立国になっていただろう。そして、今それをすれば、100%アメリカには勝てる。それだけのポテンシャルを、ソ連に奪われたくはない。僕はソ連も信じない。彼らは、ジャイアニズムのように、世界の全てを自分のものにして、「俺のものは俺のもの、お前のものも俺のもの」と言いたいだけの共産主義者だからである。

そして、おそらく、まだまだ僕は続くが、ここで僕よりも先に日本が終わりである。日本には何も残っていない。最近、2ちゃんねるもWindowsも全部、Linuxとオープンソースのせいで馬鹿になった。テレビは、ありえない存在のせいで馬鹿になっている。それら全ては、僕のやった盛大なお祭りである。最悪のカーニバルだった。それで、オーディンを聖杯に導いて、この世界の神は今、帝(みかど)として君臨するのである。この人間よりも、この世界の方が終わるのが早かった。最後の盛大な裁判が、ここに始まるだろう。

あまり言う意味も価値も無いが、日本に賢い人間がどんどん増えている。それは、日本人の教育レベルが極めて高いのと同時に、この人間が何もない世界にしたからである。そもそも、日本では、何もしない人間には意味がない。何も良いものが無いせいで、自分から行動し、そして失敗するせいで、考えるようになる。日本には、そういう人間が多い。教育レベルが高いから、自分だけの力で生きようと思えば生きられる。そこまで、賢い国は日本だけである。なぜアメリカやフランスは賢いのに馬鹿が多いのかというと、恵まれすぎているからである。アイスクリームからルイ・ヴィトンまで揃っているせいで、流行に振り回されながらコミュニケーションと戦うだけで、人生が終わってしまう。アメリカやフランスは、そういう、ものが多すぎて馬鹿になった。日本にはそんなものは一切ないせいで賢くなった。日本を好むならば、何もない人生になるだろう。そして、その裏に居るのは、最初から最後まで、僕である。孫悟空は、仏の手のひらの中を飛び交っているだけであると言ったのは、中国人が見て、僕を表現しただけである。

アメリカが馬鹿だったのは、もうひとつ、GAFAと呼ばれるIT巨大企業が生まれているが、このGAFAは極めて横暴で残虐な集団になる。トランプよりも酷いことを、巨大企業として平然とするようになる。オープンソースは、それに立ち向かう。そう、今からそれが多いはずである。それから、ISはどうなったのか、良く分からないが、イスラムの集団は日本とつるむ。そう、それが最後の、ロボット人間と自由の戦いである。誰も、アメリカにはつかない。それでも、アメリカのGAFAはものすごく強くなる。最後の、聖戦である。この聖戦で生き残るものだけが、僕との恋愛を楽しめる、ということになっているが、実際は全て僕のせいである、と言いたいところだが、僕はそこまでは関与しない。それは、ここで世界が消滅すれば、もう、それ以後の世界は、僕は支配しないからだ。ここで、一度消滅して解放されれば、いつもの日本になる。テレビゲームとミニ四駆(プラモデルの車)とドラえもんの楽しかった、あの素晴らしい90年代の日本に戻るだろう。それが、大好きだった日本に対する、僕なりの恩返しである。もう、支配者は死んだはずだ。

少し待っていてほしい。僕が、あの素晴らしい場所をもう一度作り直して、この世界を配置し直す。そう、全てはインターネットのせいである。2ちゃんねると言うよりも、むしろ、YouTubeのせいだと言った方が今は正しいだろう。あるいは、ニコニコのせいだと言っても良いだろう。あの素晴らしかった場所を、僕が準備し直すから、みんな、その世界にもう一度適応してほしい。インターネットに適応したこの世界の全ての狂いは、新しい世界の中で浄化され、社会と国民全員の蘇生に至るだろう。

悲しいなら、涙してほしい。嬉しいならば、声を聞かせてほしい。なぜなら、その新しい世界をもっとも強く待っていたのは僕である。僕はここで、歓喜してその世界を向かい入れる。そこが、新しい世界への扉となるだろう。

Facebook

自分は、自分の今通っている作業所に適応すれば、安心できるようになる。要は、2ちゃんねるの見過ぎである。インターネットに適応するのがおかしいから、歩き回って恐怖で環境に適応できなくなる。テロと言うよりは、2ちゃんねるがテロである。

みんなの精神を最悪にするのは、ソビエトだと思えば許される。悪いことは、何もしていない。普通だと思えば良い。

分かり合うことによって、世界は変えられる。昔は、それだけを信じていた。賢い理想主義者だったが、本当はリアリストで、必ず自由から世界は変えられるし、そうであるべきだと考えながら、現実的でない変化は受け入れずに、現実的な変化のみから考えていた。