新・日記2に戻る | 2019年2月の日記に戻る

=2019-02-14=

僕は、2015年ごろに立ち戻って、もう一度、哲学の勉強をしたい。

大学の学習をしていて思うのは、どの学問も、僕にしっくりこないということ。なぜか、分かれば分かるほど、馬鹿になる。どの学問も、好きになれない。

最初に学んだ哲学が、一番面白かった。

それに、デザイン、プログラミング、ピアノ、英会話、全部もうきちんとできている。外国人の言っていることも分かるし、ピアノもきちんと弾ける。デザインも、少しずつ上達して、できるようになってきた。

だから、そういう、できることを増やしたり、大学の勉強をしたりするのは、つまらない。

いつもの哲学が一番面白かった。そのごろは頭も賢くて、哲学だけではなく、心理学の偉人やヨーロッパ史なども分かっていた。あのごろが一番賢かった。だが、何も分からなかった。

好きだったLinuxのことも、ひと段落終わった。英語や外国語の勉強はしたかったが、もう、聞き取れるようになったから、あとはインターネットラジオでも聞いていれば、分かるようになると思う。そして、本当は、そこまで、やりたくない。終わりになるだけで、つまらないからである。

哲学者について、僕は詳しい。ソクラテス、プラトン、アリストテレスから、デカルト、カント、ヘーゲル、それからロックやヒューム、そしてキルケゴール、サルトル、ハイデガーなど、名前と簡単な思想は今でも覚えている。僕は本当は、哲学がやりたかった。昔の自分を見ても、Linuxと2ちゃんねるをしながら哲学的に人生を考えただけである。そして、今の僕は、そうしたパソコンが嫌いである。

ある意味、三次元の空間に慣れたところぐらいから、賢くなった。それは無くすことは出来ない。だが、賢くなって、分かれば分かるほど、馬鹿な人間になるのが分かっている。そんなに馬鹿になっても、ひとつも良いことがない。一般的普通の人間になるだけで、何も分からず、何もできないからである。

もう一度、全てを、2015年に戻そう。哲学や思想を分かるあの時代が、一番良かった。