新・日記2に戻る | 2019年2月の日記に戻る

=2019-02-04=

僕は、この世界の秩序と平和を司る、愛の使者である。私は神の言葉を代弁する大天使である。私は、この世界に自由を与え、本当の意味で成熟した平和な秩序を与える。

僕は、パソコンの問題は、速くなっても遅くなることだと思う。それは、OSやアプリケーションが限界までメモリを使うせいである。たとえば、80%ぐらいを記憶領域に使って、残りの20%は通信ややり取りのための一時的な領域として割り当てるようにしても良いと思う。どれくらいの数値をシステムに与えるかは、ユーザーが指定できるようにする。

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一度、力を全て抜きなさい。

疑問を残しなさい。

全てのことを再学習しなさい。

頭の中にあるものを、全て書き出しなさい。

自分は、下腹の部分がゲゲゲの鬼太郎に出てくるねずみ男になっている。

それを言うと、楽になった。こういう人間は、全員、ねずみ男になっている。

なぜか、一度ねずみ男になると、ここまで賢い人間になる。全知全能の神になる。

そういうわけで、神の正体は、ただのねずみ男である。

思えば、色んなことがあった。自分が神と思っていたが、本当はゲゲゲの複製のコピーだったに過ぎない。

ねずみ男とは言うが、本当に、昔の人間はねずみ男そのものだ。そして、今の自分が怖いのは、全てねずみ男だ。

今日、父親と話していたのは、そういう、「辛い部分がねずみ男になっている」という話だが、もうひとつ、話したことがある。それは、「人間が今、本当に何が必要なのか、考えた方が良い」ということである。

ある意味、ゲゲゲの鬼太郎のような、面白いものが、最近、どんどんなくなっている。昔の、個性のある漫画家や作家が居なくなっている。

それは、人間は自然との調和や共存を見失って、必要でないものを必要だと勘違いしているからである。

ある意味、日蓮が言いたかったことも、そういうことである。末法の世はそういうことを言っている。

だが、僕は、神を悪魔と言って全否定するよりも、ゲゲゲのような妖怪を作って遊んだ方が良いと思う。神は、悪くない。神の正体はねずみ男だ。

それこそ、おそらく、末法の世だと言っているのは、般若面や能面を作っていたごろではないかと思う。そういうものを見て、末法の世になるのではないかと言った。だが、今では、神楽としてそうした面を楽しみ、面白がるようになった。それが、正常な神との付き合い方である。イエス・キリストも、そこが分かっていない。悪魔は悪くない。悪魔は、ゲゲゲの妖怪である。みんなで、漫画にして楽しめば良いのである。