新・日記2に戻る | 2019年1月の日記に戻る

=2019-01-30=

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最近、できないことを無理してしようとしなくなった。

生物学と地理をしたい、と思うことはあったのだが、本当は、そんなことはしたくない。

今の自分のやっていること、それを認め、許すことで、自分の今までの人生を肯定できるし、今の自分の楽しいことややりたいことをそのまま受け入れることができる。

なんだかんだ言って、自分がやりたいのは、文章を書くことである。そして楽しいのは、デザインとホームページの制作である。

むしろ、「賢く生きる」とか、「正しく生きる」とかではなく、「楽しく生きる」ということを、もっと考えたい。そんなに賢くなっても、正しく正常な人生に治しても、そんなのはつまらないだけである。

僕は、最近、この世界が嫌いである。だが、バンプが言っているように、「この世界と一緒に自分まで嫌いになる必要はない」と思う。

僕は音楽を聴くのが好きだ。そして、いつも、書いている時が一番楽しい。疲れて、へとへとになるまで書いてしまうのは、書きたいからである。

だが、今日作業所で面談をしてもらったスタッフの方が言っていたように、分量が問題である。そんなに大量に書く必要はない。たくさんありすぎても、意味がない。少しずつ、分量を減らしながら、それでも自分のやりがいや生きがいは残せるように考えていきたい。

こんなことを言っているのは、デザインという仕事が少しずつ、できるようになって、もう、考えるべきこと、絶対にやらなくちゃいけないのにできないことが、無くなってきたからである。自分はきちんとデザインができる。それなら、他のことはあまり考える必要はない。

それから、生物や地理に関して言えば、僕はもう、知りたいものは全て知ってしまった。これ以上、勉強のようなことをしたくないのである。

だから、あとの人生、どれだけ健康に生きられるかは分からないが、自分のやりたいこと、ピアノやデザインやHP制作や執筆などを通して、やりたいことを楽しんで生きたい。僕は音楽は聴くが、テレビやネットは見ないし、映画や小説も読まない。自分の個性は抜群ではあっても、中途半端な点が多い。そういう点を全て受け入れて、文章を書き続ける、それが一番良いことであるかのように、僕は思う。まだまだ、人生は長い。80歳になるまでにどれだけ文章が書けるか、試してみたい。