新・日記2に戻る | 2019年1月の日記に戻る

=2019-01-26=

なんだかんだ言って、まだ書いている。まだ、世界の終わりは起きない。

昨日インターネットを全否定するようなことを書いたが、本当は自分にあったのはインターネットだけである。インターネットの世界をくまなく見ることで、世界を知り、社会を知り、ものごとの本質的な考え方を、実体験から知っていた。ダイナミックな世界の動きを肌で感じながら、人々がなぜ苦しんでいるのか、どのようにすれば救い出せるのかを考えていた。

自分は、支配者として、自分だけが裏側でこの世界のこと全てを分かっているせいで、普通に分かるような色んなことが分からなくなっている。みんなが分かっているように見えて、一番今の日本のことが分かっていない。

自分の足は、遺伝子を融和すれば、血が治る。それこそ、遺伝子を別々にする意味がない。男と女に分かれたせいで、あまりに辛く疲れるようになった。遺伝子を全て、同じにしよう。

それから、この世界について言えば、多様性が悪い。多様性のせいで、ギャングのアメリカのような退廃した世界になった。きちんと全員を統一すれば、昔の日本がそうだったように、良い世界になる。みんな、同じ方が良い。自由よりも平等を取るべきである。

資本主義を、料理が美味しくてものも多い国だと言うが、それは少し勘違いがある。それは、「金を払わなければ食べられない(入手できない)」という暗黙の前提を受け入れているからである。社会主義は、確かにものもなければ料理も不味い。だが、理想の範疇で言えば、「金が無いものに対しても同じように与えよう」という理想があった。

だが、今日は久しぶりにガストでチーズインハンバーグを食べたのだが、美味しかった。本当に、資本主義は最高に料理が美味い。それを分かっていればそれで良い。そういうものである。

僕は、もっと今の日本のことについて知りたい。経済学のような理論的なものよりも、実際のこの世界と関わり合いたい。そういう人間の方が、哲学者であろうと、小説家であろうと、芸術家であろうと、賢くなるからである。僕もそろそろ大人である。

足について言えば、むしろ、精神は「進化」させれば良い。精神だけ進化すれば、すぐに楽になる。なぜなら、神はそれを目指しているからである。

それで、とりあえず終わりである。ひと段落である。世界はまだ滅びない。僕の旅は、まだまだ続く。それこそ、まだ何にも出逢っていない。自分にすら出会えていない。未来の自分にすら、出会えていないからである。

本当は、天国とは、ただ精神のたまり場があるだけである。そこが永遠の楽園だと言うのは、楽だからである。そこには、時間というものがそもそも存在しない。過去も未来も全部同じであり、神は全員の融和した精神のたまり場の状態に過ぎない。その神が、全てを支配しているように見えて、本当はただ、全員の力を使って、人生と場を創造しただけである。それが、神である。ただの光の遊び場だから、全て創造者の自由である。