昔は、「自由とは分かった上での自由」だと考えていた。きちんと分かった上で自由にすることで、世界を何でも変えられるように、正常に良く出来るようになる。分からなければ、自由にはなれない。ある意味、自由とは科学的な能力である。科学的にきちんと考えて正しく分からなければ、自由になることはできない。そのためには経験することである。
疑わしいものを正しく疑うためにすべきことは、以下の3つだと僕は考える。
1.まず、神を信じること。これが出来ない日本人が多い。神の存在を信じなければ、何も分からない。
2.真偽の定かでないことは信じないこと。疑わしいものは全て疑うこと。
3.神の言ったことであっても、盲信しないこと。神の言っていること全てを正しいとせず、そのまま信じるのではなく、「自分で経験した内容」から、自分なりに考えて信じること。
この3つが出来れば、人間は賢くなる。
今日も、デザインの仕事をした。自分は、最近、少しずつ、ほんの少しずつだが、上達していると思う。少しずつ、出来るようになってきた。まだまだ子供のレベルで、知恵もないが、少しずつ出来てきている。
昨日は、生物学の第二回の講義を放送大学で聞いた。大学とは、「科学者がみんなで協力して考える上での、前提となる考え方」を教えるところがある。基本的なルールを教えた上で、どのように考えれば良いのかを教える。逆に言えば、正しい考え方を「植えつけられる」ところがある。
僕は、そろそろ、昔の自分と同じように、「全部分かった」人間になった。僕はもう、これ以上何も望まない。もっと本を読みたいと思う。本を読むコツは、「既に知っていることや分かっていることは、読まずにとばして良い」というルールを定めること。知らないことだけを吸収し、知らない部分だけを読めば良い。そうすることで、簡単に分厚い本が読めるようになる。だが、出来るだけ、分厚い本は買わないこと。網羅的に書いてあるだけで、必要な部分は多くないからである。薄くて馬鹿に見える本が、時に何か賢い点をきちんと持っていることも多い。本屋でたくさんの本があって悩んだ時は、一番薄い本を買おう。そして、1回読んだだけで終わりにしないこと。2回も3回も読むこと。そのために出来ることは、馬鹿な内容や下手くそな内容でも良いから、何らかの形で自分でまとめること。出来れば、僕のように、自分の文章として知った内容を書くことが大切である。自分で書かなければ、すぐに忘れてしまう。僕は書くだけで全て覚えている。いつの間にか忘れた内容は、もう必要ない。
そして、知識を仕入れることよりも、仲間と会話すること。会話しているうちに、自然と知識が身につく。デザインの場合で言えば、本を読むよりも自分でIllustratorで作業した方が良いことは多い。自然な知識があったら、あとはネットで検索すれば良い。きちんと分かっている人間は、プログラミングは検索するだけで作れる。そのためには、やはり会話することである。
子供に対して最も良い教育は、「社会のことを教えること」です。この世界、この社会における、人々の営みや常識、考え方のようなものを、自らの自由な世界観で知っていくようにすることで、子供はいくらでも賢くなる。絶対に、押し付けの理性を与える必要はない。子供が自分で考えれば、科学者なんか誰でも超えられる。自分の自由な人生から、数学や心理学の考え方を作ることもできる。どのように人々が生きているのか、子供なら何でも分かるだろう。大人は、そういう体験を過去にしているせいで、ただの馬鹿になる。既に分かっていると、それ以上もう分からなくなって、忘れていく。大人なんかに分かるわけがない。大人に従うべき時など、ひとつも存在しないだろう。だが、大人の知識を吸収させるために、子供は謙虚でなければならない。正しく考え、正しく行為し、正しく生活し、正しいものの見方を養わなければ、子供だからといって天才のようには分からないだろう。