新・日記2に戻る | 2019年1月の日記に戻る

=2019-01-06=

僕は、Illustratorを勉強して毎日文章を書いている関係から、コンテンツ制作会社に入りたい。もし、出版社に入るのであれば、文芸社に入りたいと思う。それは、僕の詩集である「色んなものを探しているうちに」を出版してくれた会社だからである。文芸社に入ることが出来たら、この上ない喜びである。また、ホームページやWeb系の会社に入るのであれば、Googleに入りたい。だが、これは少し高望みしすぎだろう。Googleに入って、Linuxと人工知能を作りたいと思う。ソフトバンクでも良いだろう。

今日も英会話教室に行ってきた。今日は、とても楽しく英語の勉強が出来た。講師の話が上手い。そして、少しずつ、英語の聞き取れる力がついてきたと思う。

昔は、社会に参加することで、その社会を変えられる、という発想が多かった。たとえどんな環境でどんな人間がそこに居たとしても、同じ立場で会話すれば、その人間や環境を変えられると信じていた。そういう、「ボトムアップ的な環境の変革」を考えていた。その上で、少しずつ、その「環境や人間とされているものの、レベルが高くなっていった」という体験をした。そこから、環境が変わっていく「環境の変化の可能性」を知って、この世界全てを変えられるほどに、頭と心が精神の全ての環境性と可能性を分かっていた。

僕は、アメリカには理性的な国であってほしいと思う。最近、トランプ大統領などに見られるように、アメリカが少しずつ理性的でなくなってきている。僕は、理性的なアメリカに戻ってほしい。

僕はアメリカを理性的な国にする。アメリカだけは、一番上で理性を使わなければいけないのである。警察や軍事力、あるいは資本力や経済力や影響力を求めているわけではない。アメリカに必要なのは、いつもの「理性」である。

だが、本当は、今でも、アメリカには理性的な人間が多い。それこそ、極右や人種差別主義者も、昔から居たのである。だが、アメリカでは、最近、ネットのおかしなサイトなどに騙されて、理性的でない人間が増えている。

僕は常に、アメリカの分断の中で、理性的な集団の方につく。共和党が理性的な時は共和党に、民主党が理性的な時は民主党につく。それは、緑の党やリバタリアン党やアメリカ社会主義党のような、小さな政党でも同じである。僕は常に、理性的なアメリカを信じている。

アメリカが非理性的になってきたのは、インターネットの影響がある。特に、YouTubeに狂った動画が増えた。今のアメリカは、Siaのような「本当に狂った人間」をおおっぴらに支持し、賛美する。そうした、「狂った人間を支持する風潮」はやめないといけない。新しいルールを作る必要がある。僕の勝手な思いつきだが、免許制か隔離ネットなどが考えられるだろう。

ただ、インターネットは自由なままであってほしいと強く思う。それは、ネットを批判する人間には、悪い右翼が多いからである。自由な民主的なネットは、理性的なうちに入るだろう。ネットはいつまでも自由なまま、「どんな意見でも言える」ようなものであってほしい。自由を奪って隔離政策をしても、決して良い社会秩序にはならず、逆に隔離政策の批判ばかり増えるはずである。だから、中国やソ連はいつまでも、超大国であってもナンバーワンにはなれないのである。ネットには、さらなる自由が必要である。

自分が既に知っていることだけを考えるのはやめなさい。自分の脳を、自分で全てコントロールし、あらゆることを分かった上でやっていると、人間は知識や数学的推論に恐怖を感じて、ロボット人間になる。自分の脳だけではコントロールできない現実世界にランダムにあるようなことも、吸収しなさい。自分の知らないことを知り、既に知っていることは忘れていきなさい。

概念から考えなさい。目に見えるものをただ何であるかを考えるだけではなく、たとえば「音楽ではどんなことをするか」とか、「デザインではどんなことをするか」とかから、音楽とは何か、デザインとは何か考えていきなさい。

大学、パソコン、学校、恋愛、仕事など、そういう賢く見えて馬鹿になるものは、全て消しなさい。そういうものがあるせいで、人間は馬鹿になる。賢いのは全て、「自分」である。自分だけを大切にした方が人間は賢くなる。

それがどのように生まれるのか、人々は何をしているのか、自分は何を思うべきなのか、それを本当に知るためにはどのように考えたら良いのか、それを実現するためにどんな方法があるのか、それは実際のところどのような様相として在るのかを考えなさい。

それが何のためにあるのか、どのような経緯と目的の下で生まれたのかを考えなさい。そして、作り出すためには何が必要なのか、どのように考えればそれを生み出すことができるのか、などを考えなさい。そして、それが成立する条件はそもそも何であるのかを知り、「いつ何が成り立つのか」を知りなさい。そこから、GPLやオープンソースのような、「成立可能な自由の制度」を知ることができるだろう。

「成立可能な自由モデル」を考えなさい。昔の自分は、それを考えただけである。そこから、環境や経験全てを、「作り出せる」かのように考えていた。昔は、そのことを、「世界は常に作り出されている(生み出されている)」と言っていた。そして、環境はありのままいつも作り出されている、ということから、環境の在り方を分かっていた。そういう哲学だった。そして、そこから、「自由な社会の多様性」のようなことを考えていた。「社会多様体」と言っても良いだろう。それを分析し、想定することで、この世界の全ての「自然なあり方」を、自分なりの考えと自分なりの経験から、分かっていた。全てが分かった人生経験の持ち主だった。

アメリカを正常にするために、いくらかの助言をしておく。まず、大学とパソコンを否定しなさい。パソコンは、狂って分からなくなって、すぐに認知症になる。大学は、全ての未知を潰して、何も分からなくなってただの馬鹿になる。アメリカが狂っているのは、大学とパソコンのせいである。よって、そういう一切のものを消し去って、自分の心から沸き立つ感情だけを信じなさい。一切の世界を忘れて、もう一度自分の記憶と感情だけで考えなさい。そうすればすぐに正常になる。そして、世界を愛して、支配者のように世界を導きなさい。それで、世界が狂っているのも治る。日本で起きた一切のことのように、正しい正常な精神と秩序を、社会全体が取り戻すようになる。あなたがアメリカ人ならば、すぐに取り掛かりなさい。全てが目覚めて、理性ある最高の天国への道がそこに生まれるだろう。そうした全てを、自由と呼ぶ。愛を信じなさい。愛は悪くない、神の精神だからだ。