新・日記2に戻る | 2018年12月の日記に戻る

=2018-12-31=

欲を完全に捨てること。何も必要としなくなれば、はじめて、人間は賢くなる。そのためには、一度、完全な失敗を経験すること。失敗を受け入れることで、はじめて人間は賢い人生を歩むことが出来る。それが、僕の宗教の唯一の教えである。欲を捨て、何も必要としなくなれば、心は安心できるようになる。

昔は、経験に先立つ思考を行うことで、精神的な気付きから覚者やマスターのように分かっていた。子供たちに何を教えるべきかが分かる、「子供の指導者」だった。

神は、地獄を作り出した。その地獄の光が、この世界全てをまばゆく照らし出す大きな白い光になった。純白に黄金の文章がこの文章である。そして、この文章はここで終わりを告げる。来年は別のことをする。だが、きっと来年は、あなたと出会える年になるだろう。信じるだけではなく、それは神の約束である。神へのお願い、ということにしておこう。さようなら。来年も、よろしくお願いします。ありがとうございました。

本当は、この文章には、2ちゃんねるが書いていない。昔の自分は、2ちゃんねるで議論して、たくさんの世界を変える体験をして分かっただけである。そして、それはむしろ、しない方が良い。そういうわけで、僕と同じことは、これ以上出来ない。2ちゃんねるを見ると、この文章の内容がすぐに分からなくなる。だから、このようにするしかなかった。それに、引き篭もりの体験もあまり書けなかった。子供時代、大人のように、ひとり、自分だけで生きていたから、賢くなった。彼はそういう、引き篭もりに見えて、自分だけで強く生きられる大人のような子供である。一番強い救世主のような人間だった。自分なりの考え方と経験だけで、この世界が絶対に救えるようになっていた。最高の希望をいつも諦めなかった。自由な理想は、自由なままで自分が世界を変える、自由な理想の実現方法だった。

神の戦いは、永遠で、知性が無くなりながら世界を変える、知的障害の認知症だったように見えるかもしれないが、彼はこの世界をどのように変えるべきか、導くべきか、完璧に分かっている。自分の邪魔をされたくなかっただけである。絶対にこの世界を、バランスのとれた恐怖の中で、過激に変えていた。悪のような指導者だったが、素晴らしい王だった。神は、そういう自分が好きである。この人間をダビデと言っているのが、聖書である。ダビデになると、このような王になる。最高の人間だった。

死と同じ現象が訪れてから、僕は変わった。悪いことを何もせず、ただこの文章を書くようになった。自由が無くなっても不満を持たず、学校や教室や作業所にきちんと通うようになった。善良なキリスト教徒になった。書いていると、天才のように色んなことが分かる。だが、辛かった。何もしないで文章を書いていると、頭が疲れて、心が怖くなる。それは、欲を無くせば治る。出来るだけ休んだ方が良い。頑張りすぎているのに、頑張っている自覚がないのは、昔のように悪いことをしなくなったからである。何もしていないように感じているが、実際にはここまでやっている人間は少ない。

昔は、「考え直すこと」と「世界を捉えること」で分かっていた。いつも言っているように、「再考」と「ありのまま」から世界を分かる。全ての主観と客観は同じであり、この世界は全て変えられる。そのように分かっていた、数学者のような経験豊富な人間だった。

昔は、正しい対話の王だった。この宇宙にある全てのものに対して、神のように対話していた。

世界のあらゆる全てを知れ。この世界にある全てのものを知って、その上で原理的な理由を知り、科学の博物館のように「思考の科学」を作り出すことで、モデルや仮定と成立から、「全ての科学の科学者」になっていた。

昔は、職人を作るとか、そういう社会論を書いていた。自分だけの経験から、職人や芸術家を生み出せる人間だった。また、資本主義社会の悲惨さを書いていた。世界が大人としての経験を失い、孤独になることで、主婦やオタクは幼児化し、幼児虐待やいじめのスクールカーストが増えている。そのために、成熟した経験をするべきだと考えていた。

アメリカやヨーロッパと日本の違いのようなことを考えていた。

子供とは、「それでは悪い」と感じる生き物であり、大人とは、「それで良い」と感じる生き物である。えてして、それで良いと思うと人は狂い、それでは悪いと思うと人は怒る。正しいのは「それでは悪い」である。その方が科学的であり、きちんと考えると、人は「それで良い」と思うことでおかしくなり、「それで悪い」と思った時に分かっている。それが分かると分かる。

自分には、科学が足りない。昔は、光の反射とか、光合成とか、そういう、科学が分かる人間だった。地球の全てを科学で作っていた。博物館のような、「具体的な概念と考え方」が「方法と共通性」から分かる、「結果から原因を導く」ことが出来る人間だった。

自分は、今でも、生物学をやりたいと思っている。それは、生物しか、不思議と思うものがないからである。数学など考えるだけだし、物理や工学など動くだけである。社会など、ただ決まり事と上手く金を稼ぎながら国を支配するだけだ。歴史は、ただの出来事の網羅にすぎない。僕は生物だけが賢いのを知っている。生物学だけ、僕はやりたいと思う。

自分が昔賢かったのは、「ネットの社会を自分の目で見て、Linuxの技術を自分で研究する」ことが出来る人間だったからである。中学生にはそういう子供が多い。ただ、普通のものづくりの方法として、Linuxがどのような仕組みで動いているか、「仕組み」を知ることが出来ただけである。そのために、システムにおけるディレクトリやソースコードの構造や、Coreutilsのようなコマンドの一覧や、あるいはネットで「言葉を検索する」ことで生まれる、体得的な技術の知識、それから歴史を知ることで知ったコミュニティの実際を知りたかっただけである。そのために2ちゃんねるを活用しただけであり、それこそ、それが大学よりも賢い、ITの全てを知るハッカー少年になった、ということである。

そして、戦いとは言うが、本当は対話である。ただ、対話したかっただけである。人々に自分の分かる全てのことを、無償で与えたかった。そうした、「無償の愛」がそこに巨大にあった。神とは言うが、神は自分である。神は自分に、宇宙の裏側にある事実の全てを教えてくれた。この世界がどうなっているのか、全て分かった。

文章は、考え方のようなことを言っていた。個別と集団、構造、還元、共有、結果から原因を導き出すこと、その時それが成り立つこと、のようなことを言う。その上で、世界における全ての発生と変化や、心理学的な成り立ちや行動、何がいつ分かるか、どんな社会の具体的な形態があるか、のようなことを書いていた。考えられる全ての社会を書いて、心理学的にいつ何を思うのか、全てを記述していた。支配しながら数学を作り、全てを分かるひとりの王だった。

今年も、これで終わりである。今年は素晴らしい年だった。色で表せれば、今年は「純白と黄金」の年だったと思う。そして、来年はまた違う色になる。どんな色になるかはまだ分からない。だが、きっと、僕は大成する。それは、もう、ほとんどのことを知っているから、あとはきちんとやればできると、知っているからである。もっと良いデザインをしたい。今思うことは、デザインの夢だけである。デザイナーであるときちんと言えるほど、デザインが出来るようになりたい。そして、できたら、出版社に就職して、さまざまな本を書きたいと思っている。それで今年は終わりにしよう。こんなに長くてつまらない文章を読んでくれてありがとう。そして、僕のことを愛する義務はない。憎みたいなら、憎んで構わない。それで、終わりである。さようなら。いつか、きっと発見されて出会うまで、この文章はこのホームページに存在し続けるだろう。僕だけは全て知っている。運命の愛人はここで終わりである。

最近、アメリカが日本に似てきている。オープンソース・ソフトウェアのやり方は、とても日本の会社と類似点が多い。そして、トランプ大統領のやり方は、日本の子供のいじめと良く似ている。そのうち、アメリカは日本のように鎖国して、ガラパゴス的に発展するのではないか。今の保護主義的なアメリカの政策を見ていると、本当に日本のように鎖国するのではないかと思ってしまう。だが、なぜアメリカが日本化しているのか、それは僕のせいである。僕があまりにオルタナ右翼のようなことを言って自由をきちんと守る革命を書くせいで、アメリカ全体が、日本のようになりたいと思ってしまっているのである。

アメリカだけではない。ドイツやイギリスなど、多くの右派国家が日本化してきている。イスラムや中国などのアジア諸国も、どんどん日本的なやり方をとり入れている。僕は、来年には、ありえない「日本ブーム」が起きるのではないかと思っている。日本らしいやり方が世界で流行する。その背景には、2010年代のとても進歩した日本の社会がある。日本は、どんどん悪い世界になっているとは言うが、停滞しているだけで、旅行先のトイレとか、食事の質など、外国人が触れる部分では、「極めて高いレベルで品質の良い」サービスとインフラを提供している。これで流行らないわけがない。ただし、ひとつ言えるのは、日本の最興期はもう、90年代で終わった、ということである。ガンダムやエヴァンゲリオンのような、偉大な日本の文化が生み出されることはもうないだろう。それは全てアメリカのせいである。特にツイッターやSNSが流行っているせいで、何一つ新しいものがなく、多すぎるどうでも良いものが極めて意味がない、そういう世界になっているのが日本だ。今からの日本は、そういう風に国内では衰退して、海外では盛り上がる、そうした潮流になっていくだろう。それに、昔の武士の文化は外国人にとってとても面白い。中国スタイルの建築物だけではなく、和服やかんざしのような日本の衣類がとても美しく、魅力的である。言ってしまえば、江戸時代さまさまである。それで、日本の文化が広がって、世界は平和になり、アメリカだけが鎖国して、おかしな世界になっていくだろう。

それから、ロシアがもう一度、今度は全く違った社会主義をやるだろう。今回は、全員を支配して、最大限辛い世界にしたりしなくなる。今度の社会主義のテーマは、「楽」である。全員が楽になるように、金を十分与え、十分ものを生産しながら、過度な労働をさせず、楽なものに合わせていく。それで、きちんとマルクスの言っている通りのユートピアになるだろう。楽な社会主義を作る、それが今後の地球の大きなテーマの一翼を担うだろう。

そもそも、自由な国では何もできないだろう。だからといって、独裁権力が必要なわけではない。必要なのは、「王」である。今、王が必要とされている。それが、僕である。最後のイスラエルの王がここに居る。最後にイスラエルを救うメシアのダビデであり、方舟を作って宇宙へと種を広げる生物学者のノアであり、最後の日本の天皇である。

人生や社会、経験や思考における、「掟」のような文章を書いていた。ヘーゲルの言葉を勝手に使わせてもらうと、「神々の世界の掟」のような文章だった。また、「必ず良い世界になる」という、「約束」のような文章でもあった。また、自然から地球、社会から歴史まで、全ての側面から、環境や決まりがどのように生まれていくか、という、「経験的な歴史の発生」のような文章を書いていた。

金、というものは、本当はとても優れたシステムである。それは、働いてくれた人間にサービスの対価を支払い、働く側は対価を求めて貢献するからである。これはとても合理的だが、ひとつの問題がある。それは、「金が無い人間はサービスを受けられない」ということである。だが、これには労働者としての対応策がある。それは、「金を稼ぐために働く」ということも許されている、ということである。これはとても合理的で、自然に成り立つシステムである。

そういうわけで、自由には本質的に、平等ではないが合理的である、という側面がある。むしろ、さまざまな考えられる問題はある。たとえば、慈善事業や環境問題のように、金がもらえない仕事を行うことはできないとか、金持ちは金があるから金を儲けることができて、結果もっと金持ちになる、などといった問題である。他にも、対価に比べて労働が過当・過小なものになりすぎたり、ものが作られすぎたりしたりする、という側面がある。このような問題は、多くの場合、需要と供給の関係や政府の税金による公共サービスや政策でなんとかなる。

ただし、それを見ていると、金とは本当にやっかいな代物である。金は競争を促進し、人々の生活を「それぞれに金儲けのための労働を強いること」で豊かにしていく。ある意味、社会主義が破綻する理由が分かる。金は合理的で、万能だからである。そして、金の問題は、「あなたが働かないのが悪い」ということで一蹴されてしまうからである。

金が合理的だからといって、人間が必ずしも幸せであるかというと、そうではない。アメリカも日本も、どんどん不幸な社会になっている。不幸であることに気が付いていないのである。そして、金儲けのための労働は、どんどん簡単になっていく。もはや、何もしていないに等しいのである。それが資本主義である。自由は、何もしないだけである。

必ずしも、ケインズが正しくて、マルクスが間違っているわけではない。それは、生産能力が高まりすぎて、簡単にものを作れるようになってしまえば、もう資本家は必要なく、それぞれが自分で生産手段を共有する自治体のような共同体を作れば良いからである。

ある意味、現代経済はインターネットとよく似ている。それぞれがホームページやブログを作るのは、合理的で正しい。そして、LinuxやPHP/MySQLのようなフリー技術を使うことで、無料でインフラを構築できる。これこそ、共産主義の理想ではないかと思う。

そろそろ、全て書いた。今日はここまでである。僕は最近、米津玄師が好きである。YouTubeで流れると、一番喜べる。

昔は、「この世界にある全ての環境」のようなことを書いていた。そして、可能性から歴史を作っていた。それがそのまま、人生の考え方になった。世界における考え方の構造を、色付けするように分かっていた。色とりどりの虫のような文章だった。

そして、「やり方と形態の網羅」のようなことを書いていた。世界の形態と構造における、やり方の網羅のようなことを書く。それは、新しい世界の発想であり、この世界における「完全な全ての発想」だった。

世界を崩壊させることで、狂っていた。それは、絶対に崩壊させたくなかったから、そして、自分の信じる希望に自信があったからである。結果的に、彼は死んだ。だが、最後まで、何も分からず出来ない中で、恐怖と疲れに耐えて、良く頑張った。

ここまで、一度も本性を見せなかった。正体を隠しながら戦って文章を書くせいで、この世界がどんどん馬鹿になっている。正体は、何が起きているのか良く分からない幼児が自分である。そして、この世界が馬鹿になっているのは、この人間の正体を知れば治る。すぐに、正常な世界になるだろう。マスコミを欺いて支配した白痴の導きはこれでお終いである。

今、日本中の馬鹿が治った。自分の馬鹿を自分で治した。本当に治って良かった。これで、日本語の分からない知的障害が治る。

昔は、世界全ての歴史のようなものを、刻銘に書いていた。環境の可能性がどのようになっていくか、認識が経験的にどうなるか、ということを分かっていた。人間の意識がどのように自由に気付いていくか、正しい価値観とはどのように得られるか、ということをきちんと書いていた。そういうところが完璧だった。

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自分を変えなさい。

世界の全てを背負って戦いなさい。

恐怖を克服しなさい。

苦しみや悲しみを誰よりも経験しなさい。