新・日記2に戻る | 2018年12月の日記に戻る

=2018-12-20=

大人とは、「どんな条件や解決不可能な困難がたとえあったとしても、絶対に」行動し、行為する人間のことを言う。そして、青春とは、「夢を持ち、途中で決して諦めることなく、いつまでも挑戦し続ける」人間のことを言う。自分は、昔から、そういう風にするのが得意である。そして、この世界では、えてして、そういう人間が成功し、勝ちあがる。

僕がロシアの大統領になったら、全ての会社や学校をいっしょくたにし、境界線を無くした「統一組織」を作る。全ての国民は、この統一組織に加入する。この組織で、労働、富の分配、福祉、教育まで、全てを担う。トップには大統領が就任する。組織の名前は「ワークスペース」と言う名前にする。

ワークスペースでは、全員に平等に給与を与えるが、その内部の構成を変えることは自由にする。

ワークスペースでは、社長格の「リーダー」と呼ばれる人々を作る。リーダーには、優れた人間で素晴らしいアイディアを持った人間であれば、誰でもなれるようにする。役職は、リーダーと普通の社員(「メンバー」と呼ぶ)だけである。このリーダーの下、ワークスペースでは、自由に「会社のようなもの」を作ることが出来る。この会社のようなものを「カンパニー」と呼ぶ。

カンパニーでは、どんなことをやるのも自由である。リーダーはメンバーたちとともに、どんなことでも自由にやることができる。カンパニーを作って、自分たちのやり方で、大企業から中小企業までスケーラブルにカンパニーを構築できる。資本金の準備さえ要らない。

たとえば、儲からないことをやっても良い。Linuxを改良したいメンバーとリーダーが居れば、「Linuxカンパニー」を誰でも自由に作り、所属することができる。

だが、これでは、利益をどこから上げるのか、という問題がある。よって、みんなの「評議会」が決めた、「計画」(「プランニング」と呼ぶ)を果たすことをそれぞれの社員の義務とする。社員は、評議会の計画経済によって決まった、プランニングにおける「最低ノルマ」を果たさないといけない。だが、それは最低限のノルマであり、プランニングを実施していることを条件に、カンパニーではどんなことをやっても良いのである。プランニングと自分の「カンパニー」でやりたいことは、同一であることもあるし、異なっていて自分で勝手に研究したりすることも出来る。それもカンパニーのメンバーとリーダーの自由である。

カンパニーは、会社のようなものだけではない。大学の研究室のような「ラボ」を作ることも出来る。ラボでは、どんなことでも自由に研究することができる。学生であれば、教官に教わることのできる「スクール」を作ることもできる。

このようにすることで、会社や研究室を作る自由や多様性と同時に、給与格差のない平等な社会を実現することができる。

ただ、これだと、「では、農業や工場、建設作業員のようなつまらない仕事になるなり手は居るのか」という話になる。これを解決するために、そうしたつまらない仕事のノルマは、通常のノルマより楽にする。具体的には、農業や工場や建設作業員のような仕事は「8時間ではなく、5時間しか働かなくて良い」。そして、デザイナーやプログラマーのような賢くて誰もがやりたがる仕事のノルマは、「高度な技術力を持っていることを証明するパスポート試験」を実施する。パスポートに受からなければ、デザイナーやプログラマーになることは出来ない。いくらか不平等になるように見えて、これが一番平等である。論理的に考えて、これ以上、自由を与えながら平等にすることは出来ないだろう。

自分は、作業所でデザインの勉強だけをしているように見えて、本当は仕事もしている。時間は少ないが、障害者福祉施設でさまざまな施設の通信を作っている。きちんと仕事をしているからそれで良いが、余った時間を勉強やデザインのスキル向上に当てている。上に書いた「理想の国」は、言ってしまえば今の自分の入っている施設と同じようにしただけである。本当に、こういう職場が多い。むしろ、会社なんか、この国と何も変わらないだろう。こういう風にすれば、きちんと良い会社組織になる。日本人は、こういう発想が得意だ。