新・日記2に戻る | 2018年12月の日記に戻る

=2018-12-11=

狂った人間というのは、頑張っても上手く行かないことに対して「なんでこんなに頑張っているのに自分はできないの」と叫び声をあげ、徐々にそれが諦めに変わっていって、「自分には何もできない」と諦めて、「自分なんか価値のない人間なんだ」と決めつけてしまう。

だが、本当に狂った人間には、そういう人間は多いように見えて少ない。本当に狂った人間は、まともな理性すら無くなっている。全てが分かっているせいで、新しいことを分かる知性が無くなってしまい、「まともな理性とは何だったのか」が分からなくなってしまう。

今の時代、そういう人間が多い。僕は、そういう人間を宇宙のレベルで導いて治している。僕と同じように生きれば、正常な人間になれる。

本当は、必要なのは赤ん坊に戻ることではない。本当に必要なのは、「新しい存在を創造すること」である。「新しい人生」を生きなければ、そうした人間はまともにならない。そして、新しい人生を生きるためには、新しい力が必要である。それを言ってしまうと、「今までとは別の形で狂った人間になる」ということになる。何か、同じことを続けるだけではなく、別の狂った人間になれば、狂った人間はすぐに治る。だから、治しても、治しても狂う人間は、狂った人間になってしまうのである。それが、神のレベルで言う、「正常な治し方」である。

本当は、狂うために頑張る必要はない。頑張るのをやめて、少し休みなさい。全てを休む方向へと向けていけば、精神的な異常は全て、喪失と慣れによって治る。だから、全てを失えば、それが新しい白紙のページになる。線を修正する消しゴムよりも、キャンバスを一度塗りつぶすための白い絵の具が必要だ。

テレビでDa Pumpを見ていて思うのは、「今しか聴いてもらうチャンスがないな」ということと、「オヤジも頑張っているな」ということである。あまり、批判しない方が良い。今、頑張って普通の曲を繰り出している。今しか聴かれないが、本人たちはここがチャンスである。

良く考えると、僕もDa Pumpと大して変わらない。こんなデザイナーなのか作家なのか良く分からない見習いが、そこまで流行るわけがないが、それでも頑張っている。Da Pumpはそういう人間たちのヒーローだ。

本当のことを言えば、一年にたくさん詰め込みすぎただけで、辛くなった。そして、数学とドイツの知性のせいで、辛いのにいつまでも同じ繰り返しをしている。

もっと、感謝の言葉を言った方が良い。この状況に、感謝すべきである。今しか出来ないことを、きちんとやっている。老人になれば、もう、何も分からなくなるだろう。今が一番華の時代である。ゴッホのように、死後に評価されることがあるなら、それを待ちたい。だが、それも無く、この詩人もそういう人間たちと同じように消え去っていくだろう。そんな人間たちの集団が、今の僕ら、一般人の大人たちである。

見ていると、役所はIT業界と同じである。もっと言えば、役人はLinuxと同じである。何も出来ない絶望的な状況の中で、どうすれば良いのかも分からずにやっている。日本人が役人天国だと言われるのは、そうした官僚が日本の全てを支配しているからである。むしろ、昔の自分が、そういう人間だっただけである。馬鹿に見えて、そういう人間が賢い。そういうわけで、役人とLinuxはいつも嫌われているが、本当に賢いのは、役所とIT業界、役人とLinuxだけである。

だが、そんなことはもう言わなくて良い。感謝の言葉を言おう。この世界に感謝して、人々に感謝して、「どんなことでもありがとう」と言おう。それを言っていると、気分が良くなる。感情が復活して、恐怖や不安がどこかへと流れ去って行く。小川に船を乗せるように、感謝の言葉で心の悪いものがどこかに流れていく。ありがとうと言おう。そうすれば、きっと世界は平和になるだろう。

あとは、マイファスを最高指導者にする、と言ったが、残念ながらそれは取り消したい。ありえないことを言ってしまった。マイファスが悪いわけではない。完全に僕が間違えただけである。

本当は、自分が賢かったのは、「一度地獄を見たから」である。どんな地獄だったかを、一言で説明する必要はもうない。だが、とてつもなく大きな、愛と勇気の人間だった。全てを荒れ狂う中で導き、全ての汚いものを浄化し、全てをさらけ出し、全てをぶち壊して、もう一度最初から生まれるまで、最初から最後まで全てを耐えた。堪えた。この人間こそ、救世主と言う名前に相応しい。そう、この人間が、キリストがキリストだったのと同じように、ただこの人間だっただけである。このような聖書を書く人間のことを、人は神と言う。自分の人生をきちんと書いて、ここまで体験した人間は、皆、神である。神とはそういうものである。そして、信じるものを神は救う。人々を救ったようで、自分が救われた。そして、信じるものを神が救うとは、この人間のことを言っているように見えて、みんなの視点からみんなのことを言っている。この人間を信じるものは、救われる。神が、不死鳥のように人々を愛している。神を信じるしかない。盲信と言うよりは、絶対他力を信じるしかない。神に全てを委ねて、神のするように、身を任せるしかない。その上で、身を清めることしか、できないのである。

アメリカはカタルシスの国だから、トランプが流行っているが、日本ではDa Pumpが流行る。そして、ドイツでは神が流行り、ソ連では革命が流行った。本当に、それらみんな、カタルシスの中の子どもたちの国である。僕がその子供たちの学校を作っている。だが、この学校は結構ナイスな学校で、分類をきちんとしているだけで、なんとか体裁を保っているが、内容は馬鹿なように見えて、本当はとても濃い内容である。僕のような人間が流行るようなことはないかもしれない。だが、マイファスが「We can't find you」と言っているようだが、僕は隠れているつもりも逃げ出すつもりもない。僕はここに居て、ただ見つけ出されるのを待っている。きっとこの世界で、もう一度、「良い時代」が起きるだろう。その時、僕はもう、そこには居ないのだろう。僕の居る間に見つけてほしかったが、それは仕方ない。

運命の悪戯か何なのかは知らないが、僕本人だけは、この世界の裏側にあるものを全部分かっている。本当は、今の僕なんか、何も賢くない。昔は、全宇宙の全プロセスのようなことが分かる人間だった。世界に対する愛と、世界を変える衝動のある人間だった。だが、大人とは、こういうものである。似ても似つかない馬鹿になって、それでも自分を自分だと主張する、そのような、「誰かが僕を名乗り、僕が誰かを名乗る」ような、マイファスのような人間が自分である。狂っているわけではない。まともすぎるだけの精神病、愛情の欠落したジェノサイドの善良家になっているだけである。