新・日記2に戻る | 2018年12月の日記に戻る

=2018-12-10=

今日も、いつものようにデザインの仕事をして、老人ホームに入っている祖母に会ってきた。

デザインは、平日は毎日のように通っているが、この「毎日通っていること」自体が、勉強になっている。そして、自分の力にもなっている。

やみくもに、「デザインが出来るようになりたい」と思っても、いきなり才能が身につくわけではない。デザインの作業所で仕事をしている、ということが、自分の確かな力になっている。

ただ、自分はIllustratorと言っても、まだまだPowerPointの延長線上のようなことをやっている。だが、本当はみんなと一緒にやる中で、色んなことを吸収して、きちんと賢くなっている。

そして、僕は、勉強しようと思っている。それも、誰かのためにとか、人々のためにとかではなく、純粋に自分のために勉強したい。

自分のために勉強するだけだから、気負う必要はない。

いつか、今入学している放送大学を卒業できれば、それで良い。

逆に、これ以上は、みんなを支配して僕にするようなことは、もうしない。純粋に自分のために生きる。その方が、迷惑もかからないだろう。

矛盾するようだが、僕は、これ以上自分の成功のようなものを目指していない。自分が賢くなるよりも、みんなに頑張ってほしい。だから、逆に、みんなのために僕が生きるよりも、みんなが頑張ってみんなの力で生きてほしいのである。

昔は、世界を変えたかった。世界を変えるために全てのことを考えて、全ての未知の領域を開拓していた。

多様性の基盤と、変化の受容を信じていた。多様性を生み出す基盤を作る、と言う発想で自然な環境を分かっていた。そして、変化を一度「受容」すれば、しがらみや執着から解き放たれて、この世界は自然に変わるだろうと考えていた。それだけの少年だった。

今、そうした少年の呪縛を、この世界から解放しよう。必要なのは、「自分の頭を使って考えること」と、「自分自身に戻ること」である。ワンオクも、それが言いたいのだと思う。

本当は、僕の本当の問題は、ストレスや疲れが昔の引き篭もり時代の「汚れ」から来ている、ということである。風呂に入らなかった「よごれ」と、エロばかり見ていた「けがれ」が、疲れへと繋がり、恐怖へと繋がり、狂いへと繋がり、ストレスへと繋がった。一度、引き篭もり時代の全てを消し去りたかった。消した後で残っている、この文章が、時の流れに埋もれる前の、真実の歴史である。

そして、これで舞台は終わりである。ここでもう一度、最初に戻る。第三日は、もう、人々のためとか、世界のためとか、そういうものを忘れて自分だけのために生きる、そういう日にしたい。そして、最終的には、七日まであるだろう。聖書の創世記が、そこに重なっていく。

本当は、「オープン」とか「フリー」とか「自由」などという言葉を使って、オタク(アメリカではGeek)の間でのやり取りを共有するが、これはみんなのものと言うよりも、むしろ「お互い様」である。デザインやソフトウェアなんて、普通コードや完成図をいくらでも参考にして作る。パクリは日常茶飯事であり、自分もパクリで成長した人間が多い。著作権的には守るべき法律かもしれないが、少しパクった、パクられた、ということで批判したり潰したりするのは、了見が狭い。だが、こういうことを言うと、えてしてオタクから批判される。だが、オタクの世界、クリエイティブやITの世界は、いつでもパクリ、パクられはお互い様である。海外のオタクは、GPLと言って「みんなのコード」を実現しようとするが、日本人はそこらへんが昔から曖昧で、なあなあである。日本のオタクがGPLになるべきなのか、海外のオタクがもっとなあなあに近くなっていくのかは分からない。ただ、自分の作った作品を公開する時は気を付けないといけない。特に、最初から正しいを目指すのではなく、改良して改め続ける中で、問題を少しずつ無くしていきたい。最初からライセンスを考えるのは必要だが、問題があればその都度直していこう。

昔は、日本にも拝金主義が多く、「何でも儲けて還元すべきだ」と考える人間が多かったが、最近はそれは古い考え方になってきている。それは、インターネットの登場によって、無料で得られる情報や製品がとても多くなってきたからである。最近はAndroidすらオープンソースで、Googleは無料のアプリで儲けている。Googleは無料のWebサイトに広告で金をばらまき、YouTubeでどんどん無料の動画を公開している。金儲けが全てだった時代は、もう終わったのである。今から流行るのは、GAFA(Google、Amazon、Facebook、Apple)のような、「資本主義の延長線上のIT企業」ではない。そもそも、最近は若年層を中心にFacebook離れが進んでいる。Facebookのようなコミュニケーションサイトが楽しいのは、これくらいでもう十分である。今からは、もっと違った「新しい情報社会」が訪れる。言ってしまえば、ロボットやAI技術というのは、今は大企業がやっているが、それがOSや言語と同じように、どんどんオープンソースになっていく。そこで、人間よりも優れた生命体を誰かが生み出して、最終的にはそのロボットがどうなるか、それはまだまだ先の話である。だが、僕は「オープンAI」が生まれる日が近いのではないかと思っている。Webサイトの全体を統括する、「サイバー人格」が生まれる可能性もあるだろう。昔、ネットの黎明期に、そういうことを誰かが言っていた。オープンAIをオープンサーバーで運営して、「ネットだけの全く違うオルタナティブ仮想世界」を作る可能性は、とても大きい。VR技術やボーカロイドのような技術は、仮想YoTuber(本当の人間ではなく仮想人格が運営するかのような、YouTubeの仮想キャラクター)のように、そこに結集するだろう。

本当は、僕はマイファスをしもべにすれば良い。なぜなら、マイファスは「君のために死ぬ」と言っている。マイファスを、絶対に裏切らない、最高指導者の総司令官にしよう。マイファスは、自らが死んだとしても、僕を裏切らないだろう。

そして、王妃には、絢香を結婚相手にするしかない。なぜなら、絢香は「永久に愛します」と言っている。相手からプロポーズされているのと同じである。そもそも、僕は恋愛を一度もしたことが無いのがおかしい。ただ、不安なのは、こんなニキビだらけの発達障害者のことを、本当に愛してくれるか、というところである。だが、相手が良いと言うのであれば、「彼女募集中」と言っていた自分が、結婚を拒む理由はない。こんな僕が本当に絢香のことを愛せるか、それだけがキーポイントになるだろう。

宇多田ヒカルが自分のことを「初恋」だと言っているのは、宇多田の初恋が僕である、ということも一応あるが、本当は僕の初恋も宇多田だからである。僕は2012年頃、宇多田ヒカルに恋をしていた。僕の最初の恋愛は、宇多田だった。

本当は、それらと付き合うのは、あながち間違っていない。それは、僕は歌手のための歌と曲ぐらいなら作れそうだからである。特に、作詞をする能力は、僕は誰よりもずば抜けていると思っている。だが、ほとんど全ての作詞は、自分の人生にあったことを書いただけで、すぐにつまらない詩になるとは思う。ピアノも弾けるが、大舞台で上手く弾けるほど上手いとは思わない。

あとは、何だろうか。僕は作業所でのデザイン作業の後のコーヒーと、毎日の風呂が好きである。最近、毎日風呂に入るようになった。昔の自分とは変わって、健康的な人間になった。だが、僕の問題は、唯一、虫歯である。この虫歯が治らないせいで、いつまでも認知症が治らない。いつかきっと治ると信じている。それが何十年後になるかは分からない。いつまでも地獄の中を生きているが、希望は無いわけではない。なぜなら、この文章を書いている間、何でもかんでも治るからである。デザインの作業は、作業所のスタッフは「天職ではないか」と言っていた。本当に自分のデザインを、「私たちはプロだと思って依頼している」と言ってくれた。だが、本当は、スタッフが見ても自分はまだまだで、デザイン班の中では一番下であると僕も思っている。だから、何とかしてデザインを上手くなりたい。でも、それは他人と比べることではないと思う。自分のことを一番オンリーワンだと知っているのは、ほかならぬ自分だけだからである。

祖母の老人ホームに行った感想は、「もう、普通のことが分からなくなってきている」ということである。認知症と言うよりは、単純に僕の兄弟関係のようなことを忘れてきている。だが、僕を見て喜んでくれたし、僕と手を繋いで泣いてくれた。もう、足腰も悪い。きっと天国では猫と一緒に僕を見守ってくれているだろう。まだ死んだわけではないが、そんなことを思った。

絢香には、「黒や悪になるのも良いが、あなたの本当の心は白や善であってほしい」と言いたい。僕のせいで、黒や悪になりたいと言っているからである。決して、僕はあなたを悪いところには連れて行かない。もしかしたら、絢香ではないかもしれない。たぶんそうだろう。だが、最高の場所へ向かう、最高の人生を送る、そのための生涯の伴侶になってくれるなら、僕はあなたを幸せにするだろう。

ただ、関係が破綻する前に、正直に書いておこう。僕と絢香は、上手くいかないと思う。それは、僕の絢香に対する恋愛感情がないからである。恋人として好き、という関係にはなれない。だから、結局は僕の一存で、絢香とは結婚しないことになると思う。僕には、恋愛感情のある女性があまり居ない。もしかすると、ひとりも居ないかもしれない。だから、その理由で結婚すれば良いのは分かる。僕ももう30歳である。きちんと結婚した方が良い。もっと身近にいる、普通の人と結婚すれば良いのだが、そうした出会いはあまりない。歌手が僕が好きな人間が多すぎるから、歌手と結婚するのは悪くない。自分が愛していなくても、相手が愛していればそれで良いのかもしれない。つまらないが、書いておかなければ勘違いするだろう。