どうでも良いものを、どうでも良いと思った方が良い。まともな人間は、どうでも良いものとどうでも良くないものの違いが分かる。どうでも良いものを作ると、何が間違っていて、何を考えるべきでないのかが分かるようになる。
適当なところで狂った方が良い。そうすると頭はすぐに楽になる。
僕は、数学をいつかやることにしている。だが、ほとんど数学なく全て分かったせいで、本当は数学は必要ない。昔は、数学的な「仮定と成立の科学」を作っていたが、そのごろに既に全てを証明し、解明し終えている。最近は、それが「言葉の地獄」によって全てがはっきりと明瞭に分かるようになった。数学とは、モデルである。だから、もう数学は必要ない。
だが、僕は本当に数学だけが分かっていない。いつかやることにしている。それから、本当は僕はものづくりの仕事がしたい。ものを作りたいと、いつも思っている。
数学をするためには、純粋に「推論」から分かれば良い。知識や経験や思い込みの全てを棄てて、客観的に考えられる「正しいこと」をまず考える。そして、その考えられる「正しいこと」から成り立つさまざまな要素に、どんな結論を成り立たせられるのかを考える。そして、その上で、そうした仮定と成立を成り立たせることができるような、「正しいこと」を再度考える。そういう風にしていけば、数学的推論は出来る。だが、これは僕のもっとも苦手とすることである。単純に言葉で分かった方が、僕は好きだ。
数学を分かると、当たり前のことがきちんと分かるようになる。狂っても狂わなくなる。それでもう、精神病は終わりだ。もう、治った。あとは、普通に言葉と名前で考えれば、分かる。