足の精神はねじれているだけだから、ねじれを治せば治る。もう、治った。
頭の外側にある部分と、真ん中にある部分は同じなのに、その間にある部分がおかしくなっている。そこを消せば良い。
動き回ったり、じっとしていられなかったりするのは、体を動かさずに頭だけを動かすようにすれば治る。
こんな画像があった。面白いが、僕は完全に2007年の方だ。2017年の流行についていけていない。
2007年頃のJKとイマドキJK……その生態をまとめたイラストが話題 - KAI-YOU.net:https://kai-you.net/article/42092
むしろ、バンプやRADすら十年前だとする今どきのJKがあり得ないと思う。2017年の方は、ワンオクとドロスとback numberとpixivしか分からない。ただ、iPhoneはもう普及しすぎて流行りとは言えないのではないかと思う。
ものを、材料、性質、価値、関係性、事実、意味だと考えなさい。そこから、照らし合わせることで、原理法則を考えなさい。何から何が生まれるか、何をすると何が出来るのかを考えなさい。具体的な考え方の成立を知りなさい。そして、理由がそうであることから、発想を転換し、悟りなさい。それを、人は「独自の数学」と呼ぶ。公理主義と定理の証明、そして事前にその成立条件を考えることで、同時に経済学のことも考えられる。人々に力を与え、可能性を許し、チャンスを何度も与え、失敗の経験から学ぶようにしなさい。多様性や共有から、創造的な合理性を信じなさい。
一度、全てを知ってしまえば、逆に未知がなくなって、知性を失うかもしれない。だが、それは本当は、成虫へと変わっているだけである。今までの馬鹿な自分が治って、新しい旅へと出かける道がそこに生まれる。そこから、美しい芸術作品、完璧な社会モデル、そして最高の発見が生まれるだろう。あなたは、必ず、天使になるだろう。
昔は、いつどんな環境や社会が生まれるか、人々はなぜそれをするのか、ということを、学校から離れてひとり考えただけである。それだけで、この世界の全ての「知のあり方」を知った。そこには経験と具体例の全てがあり、それが「仮象の世界」を作ってくれた。想像力によって全てを知り、右脳は左脳を完全に支配した。人格全てが融和して、この世界における「人生のあり方」を全て知っていた。
本当は、全く狂った人間ではなかった。まともに、この世界全てのことを実地的に経験して考えただけで、あとはそれがおかしなことに自ら巻き込まれただけであり、何も狂っていない。回想すること、ネットで経験しながら空想することで、「もし自分が自由になったら不自由な時と比べて何ができるのか」を知っただけで、あとは、ネットを経験することからあまりに現実世界の人々の経験や体験の在り方が分かっただけにすぎない。ネットはコンピュータ全盛期の全ての技術を教えてくれた。理科や数学のような考え方で、環境と心の全てを解決・解明していた。知性のある経験の考え方で、ブッダのように分かっていた。
よって、「普遍的な環境の中で、人々が自立して自由になったら不自由な時と比べて何が出来るのか」という「潜在的可能性」と、経験に基づく「知性」が僕のテーマだった。ある意味、ヒュームの言っていることと全く同じである。人々は、この世界を自分の見ている世界であると「勘違い」している。あるいは、「思い込み」を信じている。だからといって、その勘違いや思い込みが間違っているわけではない。逆に、そうした思い込みを全て吸収することで、意識を全て言えるようになり、経験から意識を知って、「環境の諸法則の全てを知る」という「精神的な成長」の体験ができるのである。それは「知のデータベース」であり、「全員に許された進歩と転換の自由」である。
gitが辛い。
残念ながら、gitが壊れた。もう、gitは使わない。